第十五話 一滴の命
私の頭はガンガンになる。
「生きている――?」
縦に衝撃が走った。下から突き上げる。大地が覚醒したかのように。
「寧くん! 生きているわよね?」
まだ揺れている。とうに這いつくばっていた。
「地震、大地震に違いないわ……」
エレベーターには、私を入れて女性六名と男性四名がいた。中が広いので窮屈さはない。悲鳴が男女問わず聞こえた。
「寧くんの声がないわね」
エレベーターのボタンを押しまくる音が無機質にこだまする。
「寧くん――! 寧くん!」
私は人の文字が波打つ中、赤く光る文字を目指した。
「あの非常を押すんだわ」
割り込んだと思われた。
「おい、押すなよ」
低い怒声に冷静に応じる。
「最寄りの階で降りるのよ」
なるべくパニックを避けなければならない。
「きゃあ! これって、高速なんじゃない?」
甲高い声にも静かに対応する。
「恐らく二十九階付近に来ていると思うわ」
ボタンまであと少しなのに手が届かない。
「く……」
まだ、揺れているせいか、後ろへひっくり返ってしまった。男性の背に乗る形となった。
「櫻絵さん」
「ああ! 寧くん、探したのよ?」
ガクッ。大きくエレベーターが動いた。天井の方が回っている。
「僕が抱き締めるから、しっかりして」
「寧くん」
眩暈を覚え、どこかの壁に叩きつけられた。彼が庇ってくれたので、痛みはない。偶然にも赤い非常ボタンが近くなっていた。抱かれながら、私は手を伸ばす。
「櫻絵さん、僕とボタンを押そう」
喧騒の中、私の細い腕に添い合わせるのは、あたたかな手だった。
「せ――!」
揺れた勢いで、非常ボタンを押した。二人の掌が揃って壁を叩く。自然と長押しになっていた。大都会ビル守衛室の防災センターをコールし続けてくれないだろうか。繋がると祈りたい。
「非常ボタンの反応がないわね」
「一時的に混乱しているんだ。仕方がないよ」
折角、がんばったのに。
「外と繋がりたいわ」
「ボタンを全部押してみるしかないな」
「分かったわ。各階のボタンも確実に押すから」
私達は漏れなく、地階から屋上まで押した。全てのボタンが、汗を吸ったのか雫を纏ったかのように輝く。
「うわあ」
「開いたぞ」
「フロアへ出るんだ」
他に八名いると思っていたが、私達を山越えするように出て行った。
「櫻絵さん、僕達も逃げるんだ」
「ええ。二滴の命を守れるわ」
無事にフロアへ出られた。
「はあ、はあ……。やったわ! 外はいいわね」
すると、エレベーターからくぐもった声が聞こえた。
『もしもし、こちら防災センターです。通電しており、自動で各階に止まる仕様になっておりますので、ご安心ください』
「ありがとうございます。僕を含め十名が三十階に出ることができました」
『そこから、右手にございます階段をご利用ください』
確かにあった。
「分かりました」
「寧くん。大丈夫なの?」
「階段だ。階段で逃げよう」
揺れはビル独特のものとなり、大地震によるものとは違うと思う。
「私達、離れないわよね」
「いつだって一緒ですよ。これからも一生」
心の中で水風船が弾けた。
——いつだって一緒ですよ。これからも一生……。
「ええ! 一生一緒に……」
「二人で一滴の命となろう」
初めて恥ずかしがり屋の寧くんと手を繋いでいた。しっとりと汗ばんだ感触が彼の存在を語る。お互いのぬくもりが手の中で混ざり合って行った。
「階段を急ぐのは分かるから、転ばないように気を付けてほしいな」
高層階からだからではなく、気持ちがふわっと浮いて長い道のりに感じた。再びプロポーズされたからだろうか。
「三階だ。もう少しで一階につくよ。油断しないでがんばろう」
不謹慎ながら、災害でなのか寧くんとのことでなのか、心の臓が跳ね上がっている。
「よがった。よがったあ、よがったね」
人前で泣かない私が、ただただ、寧くんのシャツにしがみ付いて、顔を埋めた。
「この様子だと、大都会ビル内は安全なようだな。一歩外へ出ると、ガラスなど危ないものが落ちているのかも知れない」
「家に帰るまでね」
「電車も動いているとは限らないよ。バスやタクシーも厳しいだろう」
祖母の話を思い出した。
「関東大震災のとき、お祖母さんが町屋から上野まで走って逃げたと聞いたわ。逃げ惑う中、元お祖父さんと出会い、あたたかい人柄に触れたとよく話してくれたの。同時に東京でのお針の仕事場と人を失ったとも」
寧くんが風船を割らないように、私の気持ちを受け止めてくれた。
「相当な火災を潜ったのだろうね」
「私達も走らなければならないのかしら」
「東京駅から葛飾までかい」
外から爆発したような音があり、煙が鼻を突く。
「ビルも危ないわ」
「飛び出すのはいつでもできる」
「情報がないのが厳しいわね」
どこも混乱の中にあるだろう。花屋の上にいる西田さんと岩下さんや山木さんに増岡さんら四人の無事を祈る。
「人が入って来たわ」
流れて行く人々をよく観察すると、このビルが一時避難所になったと分かった。
「焦っても帰宅困難になるだろうな」
「私達もここに留まるのかしら」
「悪くないと思っているよ」
入口から少し奥へ入った所に多くの人々がいた。毛布や水分等が配られている。私達も受け取り、空いた所にへたり込んだ。
「毛布は肩まで掛けた方がいいよ。僕の毛布を下に敷くかい」
「大丈夫よ」
疲れているのを露わにしてしまった。冷たく感じられたら、私が悪い。
「櫻絵さんの体は、かえがたく大切なんだ」
「将来子どもを産むからよね」
「僕は、僕は、櫻絵さんを道具みたいに考えていないから」
話が鬼門へ向いたか。
「紫堂にとっては、撮影する玩具だったわ。汚れた女よ」
「忘れようと声を掛けても難しいよな。ひねくれたって可愛いものだよ」
いつまでツンとしているのか私は。彼の目と私の目が合って、暫し苦しく息を吐く。
「寧くんは、初めての方がよかったと思っている。きっとそうよ」
「僕がメトロで初めて出逢った生原櫻絵さんは、妊婦さんに席を譲っていた。優しい人だとずっと思っている」
愚かなオトコに人の内面を見ていないと言った。寧くんはこんなにも優しく、私の中の私を見てくれている。
「あの……」
胸に大きな風が吹く。冷たくしていたら、駄目だ。私らしくいたい。




