第十四話 地の覚醒
白いベッドに朝日がちらちらと注ぐ。ポーラスターにいると気が付き、伸びをした。
「昨日は彼の会社まで押し掛けてしまったのよね」
夕べは興奮気味で寝付けなかった。私を起こしてくれた出窓を眺める。日差しが揺れているのは、しば桜が囁いているからだろう。私に不安が少ないときは寡黙になるようだ。
「白と薄桃の株は、お父さんとお母さんからのもの。一人暮らしは寂しいだろうと新幹線のホームで渡してくれたわ」
土の表面が乾き気味だから、少々多めに水遣りをした。緑が潤っていい感じだ。鉢の土作りは通気性がよく肥沃な培養土が合う。父の話では、赤玉土と腐葉土と堆肥を六対二対二に加え、元肥がいいようだ。本来、しば桜は地植えで楽しむと色とりどりの波ができて美しい。しかし、私には小ぶりの彼女らが丁度いいようだ。
「うん、お陰で寂しくないわ。四月には花を堪能できるわね」
群青の水には、しば桜と私の気持ちを綴るつもりだ。
「ねえ、私の話を聞いてくれるかしら?」
白と薄桃とは長話になると思い、飲み物を用意する。迷ったけれども、灰を集めた色の益子焼で緑茶をいただくことにした。
「仔犬の澄んだ瞳にやられたのよね。勿論、寧くんよ」
白と薄桃が揺れる。
『櫻絵ちゃん、〝忍耐〟で私から応援するよ』
『私からは、〝誠実な愛〟よ。きっと心から結ばれる人がいると思うの』
「ありがとうね。寧くんもずっと忍耐して来て、誠実な愛を育ててくれているのよ」
暫くして、気持ちの奥底に眠っていた涙を見出した。
「だから、優しいのよ。私もそろそろ決めないと」
しば桜がざわつく。
「やっだー。迷子だった恋の行方よ」
『櫻絵ちゃん、自分で決めると後悔しないわ』
『櫻絵ちゃんが実を結ぶのなら、応援するよ』
◆◆
日曜日となる。三時と約束してその時間に来る寧くんではないだろう。早めにちらちらと窓から覗いていた。花が歩いている。下の花屋さんとは違う所で大きな花束を用意したのだろうか。
「寧くん」
「こんにちは。お洒落しても可愛いね」
「やーだー。ピンクのワンピースで春を先取り気分ですよ」
「ふふ、似合うのが一番だよ」
照れまくった。はぐらかそう。
「ええっと。展示場、すぐに分かったかしら」
「そうだね。一階が花屋さんで、階段を上がった所にあるのかな」
「そうよ。外階段から上がりましょう」
私が先導して、花束と寧くんは二段下から来た。木目調の戸に飾った『五人展・五つの花びら』をノックする。ポスターが扉と共に外側に引かれた。
「こんにちは。お客人を呼んでみたりして。橘寧さんです」
私は照れ隠しをしながら、彼に入室を促す。
「こんにちは、橘さん」
四人の声が揃う。私はお友達を紹介した。
「西田さんと岩下さん、山木さんに増岡さんよ」
「よろしくお願いいたします。あの、生原さんも誘ってくださってありがとうございます」
近くにいた増岡さんに、寧くんが頭を垂れて花束を渡した。
「お気遣いいただいてすみません」
「増岡さん、大丈夫よ」
「生原さんとは、上野美大から親しくさせていただいております」
四人には土曜日の飲みでちょっとだけ彼氏の話をしてあった。上野美のミンナに比べたら、根掘り葉掘り聞いたりしないし、優しいお祝いの言葉をいただいたりした。
「ゆっくりして行ってください」
西田さんが微笑みながら挨拶をする。
「これからも、よろしくお願いいたします」
「ふふ。私からもお願いね」
四人の作品をゆっくりと鑑賞して回った。アロエが萌える大きな絵、仔犬の昼寝、サルバドール・ダリを匂わせる時計、ワシリー・カンディンスキーを彷彿とさせる明るい配色と踊る形状が新鮮だった。
「皆、がんばっているわね」
「櫻絵さんの作品をまだ見てないよ」
「この窓際のよ。予定とは違う作品を描いたのよ」
「あ……!」
寧くんが声を消した。
「白いカーテンと溶け込むようにレースを纏った女性が、こんなにも愛おしそうにお腹を――」
「これはね、『母』と題したわ。詳しくはリーフレット『群青の水』に綴ってあるから」
声を殺したまま、私の想いをリーフレットから読み取って行く。
「明治からの女系で苦労をされて来たのですね」
「お祖母さんと母に私ね」
「しば桜が、私達を見守ってくれたとか。僕には分からないことだけれども、寄り添って行けたらいいと思うよ」
小さな展示場に二時間もおり、寧くんは、置いてあったノートに、全ての作品へのご感想を書いて行ってくれた。
「僕には絵のことが分からなくて申し訳ないけれども、本当にいい作品と出会わせていただき、ありがとうございます」
「あれ? 寧くんは、鶯谷大学大学院の美術研究科修了よね」
彼から肘で突かれてしまう。内緒にしてほしいとのことか。
「ありがとうございました。花束までいただきまして。生原さんをよろしくお願いいたします。友達の大切な方は私達にとっても大切ですから」
四人ともお見送りに来てくれた。
「僕には学ぶことの多い五人展でした。こちらこそありがとうございます」
「やややや。そんな、あれよあれ。私は明日も来ますね」
「またねー」
四人の笑顔が焼き付いた。よかった。参加してみて、じんわりとありがたみが分かる。
「疲れてないかな。櫻絵さん」
「うん、大丈夫よ。駅前に喫茶店があるけれども、公園のベンチがいいかな」
「寒いといけないから、お店の中がいいかも知れないね」
喫茶ランランの戸を潜る。海の生き物が揺れるモビールのシャランとした音で出迎えられた。勧められた席に着くと、寧くんはコーヒーフロートを頼んだ。
「寒くないのかしら」
「僕は暑いよ」
「私はレモンティーをホットで」
五人展の話ばかりをしていた。
「やはり、櫻絵さんのが白眉だと思うよ」
「やーだー。身贔屓だわ」
寧くんは、群青の水については触れない。それが優しさなのだろう。
「そろそろ、東京駅に行こうか」
「そうね」
七時からレストランだからと、腰を上げた。私が払おうとしても寧くんに奢られてしまう。
「ごちそうさまでした」
「遠慮しないで」
東京駅に着く。
「構内から『レストランあまだ』のある大都会ビルまですぐなのよ」
白いエレベーターに並んで乗った。
「三十六階が最上階よ。私達が行くのがまさにそこなの」
「櫻絵さん。楽しそうだね」
「だって、ねえ」
レストラン街のある三十階までは止まらない。ワンピースの足元がすうっとするのが変な感じだ。幸せに向かっている所だった。予約席に着いたら大切な話をしなければ。
「櫻絵さん!」
「ね、い……?」
――突然、立っていられなくなった。




