第十一話 子宮一号
どうにか、自宅で横になることができた。体がガタついているのでベッドは助かる。
「気になるようなら、僕が片付けるよ」
寧くんはミミちゃん布団を赤いものが見えないように畳んで、玄関へと持って行った。幼くて恥ずかしいと思っていたミミちゃんの布団だけれども、部屋から消えるとなると躊躇いがある。祖母が寝かしつけてくれた淡い想い出が、私のシルエットに杭を打ち込むようだ。
「ミミちゃん布団って懐かしいのよ。私はうさぎが特に好きでね。薄くなった布団から綿を取って、祖母と母とで一晩で縫い上げてくれたの。幼い頃よ」
「お優しいご家庭で櫻絵さんは綺麗になったんだね」
「いや、綺麗かどうかは……。はてなよ?」
寧くんは私の体をあたためた方がいいと思ったのか、ココアを持って来てくれた。私の薄紅色をした益子焼があたたまり、窓際のしば桜に似てほんのり色付いたようだ。窓の方へついっと向く私の頬に紅が差す。
「寧くんが優しいのは、よく知っているわ」
「配慮に欠けて申し訳ない。心を推し量るのは真心がいるな」
ミミちゃんの想い出を手放す機会なのだろうか。
「確かに悔しい思いをしたわ。お察しの通りよ」
「僕は櫻絵さんのどんな過去も問わないから」
私は気色ばんだ。あられもない白い下着姿が晒された。彼は心が広いのではなく、鈍感に愛しているのではないのだろうか。本来なら責められてもいいとさえ思っていたのに。
「私の器量が間抜けだわ。いい所なんて全くないのよ。絵を生業としてギャラリーを作りたいとか、愚かな夢を見ているのよ」
自嘲したら喉に込み上げるものがあった。薄紅色を傾けるとココアが空だと知る。
「オトコが皆、寧くんみたいだと思ったら水準が段違いよ」
ごろんとベッドに横になる。
「私が私を責めるのは、自分のことなのに、どうしていけないの」
すぐ傍に寧くんが来る。空のココアを受け取り、去り際に言の葉を残す。
「櫻絵さん。気が付かないの? 両頬から溢れているよ」
「私? 涙が出る程弱くはないわ」
「無理はよくないよ」
とうとう涙腺が決壊したか。瘦せ我慢が見抜かれている。
「私のこと、私以上に分かる人はいないわよ」
「自棄にならないで」
言い得て妙とはこのことか。寧くんは熟慮した上で提案をした。
「相談できる所に出ることも考えられるから、希望を持とう」
「未来を壊されたことは、誰にも知られたくないの」
彼氏に知られてしまったから、私の将来なんて灰だ。これ以上も以下もないだろう。
『櫻絵ちゃん、素敵な予感がするわ』
『白もぱりっとお祈りするわね』
◆◆
「――僕は、生原櫻絵さんにプロポーズしたい」
「は……!」
心臓が一瞬で沸騰した。顔から首まで、紅潮してしまう。私は壁際に寝返りを打ち、布団を首元に寄せた。
「したいって、中途半端だわ」
最上級の照れ隠しだった。本当は嬉しいと思っている。だから、背を向けた。
「ごめん。映画は好きだったよね。ムードが出るよ」
「画面が小さいわ」
私は愚か者だ。寧くんが一所懸命がんばっているのに。
「テレビでも迫力があるから。僕の車に三本程のVHSを置いてあるんだ」
「え? 面白いのかしら」
くるっと寝返りを打ち直す。騙された。素直になっている。
「どんなのを観たい? レンタルだから、どの道、観なければと思っていた」
「ではでは、えーと。お任せでいいかしら」
咳きを一つ。
「アクション系はちょっと暴力も入るからね。恥ずかしい程の恋愛ものもあるよ。それから、ホームドラマとか」
「人間について悶々としているから、明るくて想像力を掻き立てられるものがいいわ」
話に花が咲いてしまった。心の灯りは許されるのか。
「いいのがあるよ。女一代記みたいだけれども、その幼少期には、自分と対峙する少女の成長を描いたものだよ」
「やーだー」
「櫻絵さんのやーだーは、いい感じの意だよね」
映画なんて思い付かなかった。父が亡くなってから久し振りだ。寧くんとも銀幕へは行かなかった。
「冒頭から気に入ると思う」
沈んでいただけの気持ちが、他へ興味を持ち始める。私の寧くんへの償いは一歩も進んでいないのに。
「さて、『ヒトミ物語』の始まり。ベッドからもよく見えるだろう」
「そうね」
川田瞳は六歳となった。故郷秩父では日々の糧にもありつけないのに、母は勉学こそ貧乏を脱すると考えて瞳を東京へやる。成績優秀であれば学費免除制度のある鵬明女学院で、特に英文に苦学する姿は、懸命で心打たれた。
「瞳ちゃん、がんばっているわね」
「健気だよね」
物語は日本のみが舞台かと思ったが、卒業後は海外へ留学して国境なき医師団を取材する。触れ合って行く内に、ドクター・アオノに恋心を寄せて行った。けれども、アオノの意思が治療に専念したいと薄々分かると告白もできない。戦況が激しくなり医師の手を求められる頃、アオノの母が倒れたとの一報が飛び込んだ。彼は山形へ向かいたい気持ちと葛藤していた。
「瞳さん、どうするのかしら」
「僕も切なくなる」
「寧くんにも乙女心があるのね」
暫くして、山形から葉書が届く。息子の姿を知ることができて、病室でも寂しくないとのことだ。病室にいる母、佳乃子の姿が大きく映し出されると、歌が流れた。
『お母様の御心が分かる程に僕も月日を重ね、健康に生きる者としての生業を全うしたいと思うようになりました。僕の心は山を越え、海を渡ってもいつでも寄り添っております。お母様だけではなく、患者様や取材班の方々にもです』
佳乃子が手紙を指で辿っている姿が映った。
「もしかしたら、瞳さんがこの便りを出したのかしら」
「櫻絵さん、先程の挿入歌でアオノの心が山形へ行ったのかな」
「ドクター・アオノのお母さんが、病室に写真を沢山飾っていたわ。きっと瞳さんの撮った写真と毎日の記録よ」
ドクター・アオノは、封筒に名前がなくても、ヒトミだと分かる。テントを巡ってヒトミを探すと、感謝の意を述べた。
「よかったわね」
「続きもあるんだよ」
「気になる所だけれども、またの機会にするわ。苦学するところは前向きでいいわね。留学したら恋に苦労して、ちょっと重いかな」
寧くんはお汁粉の素にお湯を注いでくれた。小豆が嵐のような血にいいからだろう。
「いいムードを安易に作ろうなんて、僕が甘かったよ」
「お汁粉も甘くていいわ。ご自身を責めないでね」
「少しだけ換気をしよう」
「あら、お願いしてもいいかしら」
すふうと入って来た風に、しば桜が揺れた。冬越しが上手くできるかな。
「映画、印象的だったわよ」
『ヒトミ物語』で、ヒトミのテントへ駆け込んだ患者がいた。予期せぬ妊娠をしたのは、力ある村の長から女性の弱さを突かれた為だと言う。親指大のシルエットから、よたつきながら手前に駆けてきて次第に顔面がアップになる。額に汗を沢山掻いて銀幕一杯に訴えていた。
『ワタシにも人権があります! 人権があります……!』
ヒトミは、いっぱしの平和面した日本と国境の最前線との差異を思う。セピア色の静止画に弱き女性のモノローグを被せていた。私の主張したいことは、人権なのだろうか。私の瞳に未来のヒトミさんが映る。




