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キミへ囁くしば桜  作者: いすみ 静江✿
第二章 微熱
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第十話 暴露の戸

 受話器が乱暴に切られたと思ったら、玄関の外で大きな音がした。


「殴ることないだろう」

「お前、橘寧だよな」

「暴力振るってから確認するのは、間違っている」

「確証を得たからよしと」


 殴る。そして、床に叩きつけられる。寧くんが飛ばされたようだ。


「大変だわ。サンドバッグにしないでよ」


 止めに入りたかった。でも、私の姿をあのオトコにだけは見せたくない。


「インターフォンは違う。私の声が届かない」


 玄関へ狂ったように這い出た。ドア越しに訴える。


「紫堂くん、警察を呼ぶわよ」

「怖えな。櫻絵、ヤバイ女だぜ」

「女の前に人なのよ」


 あの言葉が聴こえる。


『人の子は、人と思わないかい』


 先程の母の言葉だ。親らしい広い懐に初めて触れた。


「櫻絵が人だって? お前って自分が変わっているの知らないのかよ」

「普通の人だわ」

「お前は異端児だ。櫻絵」

「どうしてそんなことを決めつけるの」


 私を煽っているのか。お腹がじくじく痛い。早く病院へ行きたいのに。


「ぐあーはっはは!」


 急な嘲笑に驚いた。


「コイツのヘソの上に変な痣があるって知ってたか? 橘寧」

「はあ……?」


 私は上手く考えが纏まらない。あのときのテープの声が際限なく回って聞こえた。寧くんに本当に教えるだなんて。


「橘寧よ! はーはっは」

「寧くん……。嘘を信じないで」


 ドアを開けた方がいいのか。茶色いドアを力の限り数回叩いた。


「動じるなんて櫻絵らしくねえな」

「寧くん。私を信頼して」


 大切な寧くんを傷付けてしまう。


「小さな桜のような痣だったな。櫻絵」


 ドアの向こうからノックがした。これは、寧くんだろう。ショックが大きい筈だ。


「櫻絵さん、病院へ行こう」


 項垂れているかと思ったら、張りのある声だった。


「話は分かったわ。紫堂くん」

「痣の件は聞いたよ。帰って貰おうか」

「おい、いいのかよ」


 寧くんと私の気持ちが一致する。


「警察を呼ばれたくなかったら、大人しくお帰りください」

「櫻絵、マジ怒りかよ」

「お帰りください」


 二人揃って排斥する。


「僕も帰ってほしい。暴力のことを黙っていてほしかったら」

「畜生。うざったいな」


 ドアに憎しみを込めて一蹴りされた。


 ◆◆


「あの人は、エレベーターで降りて行ったよ。櫻絵さんは具合が悪いんだろう。僕と病院へ行こう」

「寧くん、気分を害した?」


 彼の反応が恐ろしかった。私がもっと抵抗していたらよかったのか。


「時間は戻らないし、櫻絵さんが健康になるのが先だ」


 私はドアの向こうで袖を濡らしていた。秘密を暴露された戸を開けて、寧くんにどれだけ謝ったらいいのか分からない。


「私、悔しくって」

「気概があるなら大丈夫だよ。大きな病院がいいかも知れないね。電話して行ってみよう」


 私もなるべくお手当をした。


「もう、誰もいないわよね」

「安心していいよ」


 ドアをそっと開ける。先程の喧騒が嘘のようだ。エレベーターが、未来への道を感じさせる。


「さあ、慌てずに乗って」

「ええ」

「大丈夫かい。荷物を持つよ」

「心から感謝しているわ」


 相変わらず優しさは売る程ある。彼は私に勿体ない。


「ねえ、私達の未来は曲がってしまったかしら」

「僕に振られることを案じているのかい」


 セダンをポーラスターの入り口まで寄せてくれた。後部座席で寝転がりたかったが、離れ難くて助手席にする。


「よいしょ」

「急患を受け入れてくれるそうだよ」

「お電話してくれたのね。ありがとうは繰り返しても尽きないものだわ」


 寧くんは総合病院へ連れて行ってくれた。車中で元気付ける話も沢山してくれた。


「大丈夫だよ」


 切り取ったように五文字の台詞が沁みる。怠くなって座席に寄り掛かっているばかりだ。


「僕は駐車場へ行くから」


 僅かの間だった。もう立っていることも奇跡的で、ベンチに腰掛けた。


「大丈夫ですか?」

「ああ、看護師さん。電話をした生原櫻絵ですが。止まらないんです」

「車椅子を持って来ます」


 その間、知らない女性に目を配られた。


「奥さん。丁字帯ていじたいなら持っていますよ。お使いになられますか?」


 親切に触れて泣きじゃくりたかった。丁字帯は初めて耳にする。


「大丈夫です。ありがとうございます」

「お大事になさってください」


 素敵な方と出会えたことに感謝しよう。看護師さんが車椅子を横に置いた。


「お待たせいたしました。車椅子へ腰を横滑りするようにできますか」

「ええ」

「櫻絵さん。遅くなってすみません」


 丁度、寧くんが現れた。


「旦那様ですか」

「恋人です。彼が病院へ連れて来てくれました」


 七階の産婦人科へ着いた。


「先生が来るまでにこちらで下着を脱いでお待ちください」


 不安だらけだが従った。脚を冷たいものが伝う。ひやりとした。あらゆることが頭を過る。


「先生がお見えですから、台に乗ってください」

「こんな状態ですが」

「落ち着いてください。診察をしましょう」


 間もなく診察は終わったと伝えられた。寧くんも一緒に医師の説明を受ける。


「最終月経はいつですか」

「昨年の十二月三日です」


 父の葬儀より前だ。


「妊娠の可能性はありません。最近大きなストレスはありませんでしたか? ホルモンバランスの乱れも関係してきます」


 俯いて心の弱さを恥じいた。


「ご自身を責めてはいけませんよ。生原さん」


 丸縁眼鏡の奥底から医師の表情は読み取れなかった。


「またお困りのときは、遠慮なく病院を頼ってください」


 背徳感しかなかったが、立ち直らなければ。


『薄桃よ。櫻絵ちゃんは悪くないわ』

『白よ。本当の恋も愛も自分で歩みましょう』


 ◆◆


「櫻絵さん、自宅で安静にしようね」

「子宮一号、万歳だわ! 万歳、万歳、万歳!」


 助手席で私はくたばっていた。自暴自棄になって道化もいい所だ。


「状態が悪かったら気持ちに効く薬もあると先生が仰っていたよ。静養を心掛けてくださいとも」


 寧くんは、自棄な私を包み込むように想ってくれていたようだ。


「僕はね、生原櫻絵さんと結婚したいと思っているんだ」

「万歳、万歳」

「落ち着いたら、改めてプロポーズをするからね」

「万歳!」

「哀しみの櫻絵さんを独りぼっちにできない。自分を傷物だなんて思わないでほしいよ」


 私の無駄口に封をされた。枯れてしまって出なかった涙が堰を切り、とうとうと流れる。両親から贈られたしば桜に注いでもいい。運転席の反対側を向いた。景色はどこもかしこも都会だ。私の事故は、煌めく街の車に轢かれたからか。


「未来は、どこへ繋がるの……」

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