第一話:再点火の心音
意識が消える直前まで、俺の指先は油にまみれていた。
名前は、真柴 湊。
自動車工場の最終工程で、誰よりも精密な組み付けを行うことだけが俺の誇りだった。
だが、三日三晩の不眠不休は、人間の心臓を止めるには十分すぎた。 「……あ、このボルト、あと一回し……」 それが、俺の現世での最期の言葉だった。
次に目覚めた時、俺は雲の上にいた。
正確には、雲海に浮かぶ巨大な浮遊大陸。
その名は「ゾディア」。
そこは、蒸気と魔力が霧のように混ざり合う、歯車仕掛けの世界だった。
「……目覚めたか。異界の『調律師』よ」
声の主は、片腕が機械化された少女、リュミエだった。
彼女の背後には、天を突くような巨大な「殻」が転がっている。
それは、古の時代に神が乗り捨てたと言われる人型殻機「レグ・ルクス」。
「ここは……。いや、それよりそこの嬢ちゃん。その機械の右腕、オイルシールが死んでるぞ。魔法液が漏れて、内部の真鍮製ギアが腐食し始めてる」
リュミエは目を見開いた。
「……わかるのか? この機体はもう、数百年も動いていない。心臓部となる魔力が尽き、ただの山となっているはずなのに」
湊はふらつく足取りで「レグ・ルクス」に近づいた。
装甲の隙間に耳を当てると、微かに聞こえる。
それは、機械の悲鳴だった。
同時に、湊は自分の胸の違和感に気づく。
心臓の鼓動とともに、体内で「原子の衝突」が起きているような、凄まじい熱量。
かつて彼が工場の試作室で見ていた、次世代核融合炉の図面。
それが彼の魂と一体化し、新たな内臓として機能していた。
「……こいつは腹を空かせてるだけだ。高純度の火を待ってる」
湊は躊躇なく、レグ・ルクスの開放されたメンテナンス・ハッチに手を突っ込んだ。
そこには、空っぽのエネルギー・タンクがあった。
「核融合……連結。プラズマ流体、循環開始」
湊の血管を流れるエネルギーが、魔法の回路を伝って機体へと流れ込む。
核融合による莫大な電力が、機体内の魔法触媒を強制的に励起させ、未知の「白銀の炎」へと変換されていった。
『……認証完了。マスター・マナ・ミナト。システム、全稼働』
重厚な地響きとともに、レグ・ルクスが震えた。
全身の錆が剥がれ落ち、鈍色だった装甲が、超高温の排熱で白熱化していく。 それは、魔法しか知らないこの世界に、初めて「科学の熱」が持ち込まれた瞬間だった。
「信じられない。魔導炉を通さず、これほどの出力を生み出すなんて……」
リュミエが呆然とする中、空の向こうから金属の羽音を立てて、敵勢力の「空飛ぶ鉄獣」たちが迫ってくる。
この浮遊大陸を狙う、略奪者たちの軍勢だ。
「おい、リュミエ。こいつの操作系を俺に回せ。マニュアルなんていらない。機械と話せば、どう動きたいかくらいわかる」
湊はむせ返るような熱気が満ちるコックピットに飛び込んだ。
そこには、最新型の検査端末よりも鮮明な、機体状況のホログラムが浮いていた。
「……さて。オーバーワークの恨み、こいつで晴らさせてもらうぞ」
白銀の炎を噴き上げ、レグ・ルクスが空へと蹴り出した。
過労で散った整備士が、異世界の空で、最強のエンジニアとして産声を上げた。
本稿、第一話をお読みいただきありがとうございます。
本作では、現代の精緻なモノづくりを象徴する「自動車工場」の技術と、空想的な「魔法エネルギー」が融合する瞬間に焦点を当てました。
主人公・真柴湊が持つ核融合の力は、単なる破壊的なエネルギーではありません。それは、彼が前世で培った「極限の精度」という執念が形を成したものです。 一方、舞台となる浮遊大陸ゾディアの機体「レグ・ルクス」は、長い年月を経てメンテナンスを失った、いわば「疲弊した機械」として描いています。
過労によって一度は命を落とした湊が、今度は自らの意志で機械に命を吹き込み、共に立ち上がる姿に、技術者としての誇りと再生の物語を込めていく所存です。
核融合という科学の極致が、魔法の理をどのように凌駕し、あるいは調和していくのか。そして、湊の職人としての眼差しが、この世界の戦いと技術をどのように変えていくのか。
次話より、本格的な初陣と、この世界の謎に迫る展開を描いてまいります。 引き続き、鋼鉄と魂が交差する物語をお楽しみいただければ幸いです。




