第25話「小さな奇跡、大きな伝説」
レオナルドが去ってから、村は再び穏やかな日常に戻っていた。朝は畑仕事をして、昼は温泉に入って、午後は昼寝をする。夕方には誰かが来て、一緒に過ごす。そんな日々が続いていた。でも、最近になって気づいたことがある。村で小さな問題が起きても、いつの間にか解決しているのだ。
ある朝、村の子どもが転んで膝を擦りむいた。血が出ていて、痛そうに泣いている。俺がたまたま近くにいたので、駆け寄って傷を見た。そんなに深くはない。大丈夫だろう。
「痛いの痛いの、飛んでいけ」
と手を当てながら言った。子どもの頃、母親がよくやってくれたおまじないだ。効果があるわけじゃないけど、気休めにはなる。子どもは涙を拭いて、膝を見た。
「あれ……血、止まってる」
「え?」
俺も見ると、確かに血が止まっている。それどころか、傷が小さくなっている気がする。さっきまで赤く腫れていたのに、今はほとんど分からない。
「痛くない?」
「うん、もう痛くない」
子どもは笑顔で走っていった。俺は自分の手を見る。何か、したのか?いや、ただ手を当てただけだ。でも、傷が治った。偶然か。きっと、偶然だ。
その日の午後、畑で害虫が発生しているという報告があった。キャベツの葉っぱが食べられているらしい。村長と一緒に畑を見に行くと、確かに虫がたくさんいる。小さな緑色の虫だ。
「これは……厄介だな」
と村長が言った。
「このままでは、キャベツが全滅する」
「駆除しないとダメですね」
「ああ。でも、数が多すぎる」
俺は畑を見回った。虫がたくさんいる。一匹ずつ取るのは大変だ。どうしよう。そう思いながら、畑の周りを歩いていると、虫が減っていく気がした。最初は気のせいかと思ったけど、本当に減っている。
「村長、虫が……」
「ん?ああ、本当だ。いなくなってる」
村長も驚いた顔をしている。さっきまでたくさんいた虫が、ほとんどいない。どこに行ったんだろう。
「お前、何かしたか?」
と村長が聞いた。
「いえ、ただ歩いただけです」
「歩いただけで……」
村長は呆れたような、感心したような顔をした。
「やはり、お前は特別だな」
「特別じゃないですよ」
「いや、特別だ」
村長は笑った。
「まあ、いい。虫がいなくなって、助かった」
夕方、井戸の水が濁っているという報告があった。何か混ざったのか、茶色く濁っている。これでは飲めない。村人が困っている。
「どうしたんだろう」
「分かりません。朝は普通だったのに」
村人たちが井戸を覗き込んでいる。俺も覗いてみた。確かに、濁っている。底が見えない。
「一度、掃除した方がいいかもしれませんね」
「ああ。でも、今日は遅いから、明日にしよう」
村長がそう言った時、俺はふと思いついて、井戸に手を伸ばした。水面に触れる。冷たい。それだけだ。でも、手を引いた時、水が透明になっていた。
「あれ?」
「おい、水が……」
村人たちが驚いている。濁っていた水が、透明になっている。底まで見える。
「アキト、お前……」
「いや、何もしてないです。ただ、触っただけで」
「触っただけで、こんなことになるか?」
村長は困った顔をしている。でも、水は透明だ。飲める。それでいいじゃないか。
「まあ、結果オーライですね」
「……そうだな」
村長は諦めたように笑った。
その夜、四人で星空を見ていた。今日も、色々あった。子どもの怪我、害虫、濁った水。でも、全部解決した。なぜか分からないけど、解決した。
「アキトさん、今日もすごかったですね」とユイが言った。
「何が?」
「子どもの怪我を治したり、虫を追い払ったり、水を綺麗にしたり」
「いや、俺は何もしてないよ」
「でも、アキトさんが近づくと、問題が解決するんです」
ユイは不思議そうな顔をしている。セシルも頷いた。
「やはり、アキト様は神に愛されています」
「神とか、そんな大げさな……」
「大げさじゃないです」
とセシルは真剣な顔をした。
「これは、奇跡です」
「師匠、もう諦めろよ」
とリズが笑った。
「お前は特別なんだ。認めろ」
「特別じゃないって……」
三人は笑っている。俺は何も言えなくなって、空を見上げた。星が綺麗だ。いつもの星空。変わらない、静かな夜。
「まあ、何はともあれ、問題が解決してよかった」
と俺は言った。
「そうですね」
とユイが微笑んだ。
「はい」
とセシルが頷いた。
「だな」
とリズが笑った。
四人で、しばらく星を見ていた。静かで、穏やかな時間。こういう時間が、一番好きだ。
同じ頃、王都では商人グラドが酒場で語っていた。周りには人だかりができている。みんな、グラドの話に聞き入っている。
「本当なのか、その話は」
「本当だとも!」
とグラドは力強く言った。
「私はこの目で見たんだ。アキト殿が、魔物を懐柔するところを」
「魔物を……懐柔?」
「ああ。戦わずに、ただ手を置いただけで、魔物が大人しくなった」
グラドは酒を飲んで、続けた。
「それだけじゃない。雨を降らせたり、病気を治したり、村全体を豊かにしたり」
「すごい……」
「聖人どころじゃない。神の化身だ」
周りの人たちが、ざわめいている。グラドの話は、少しずつ誇張されていく。でも、基本は真実だ。アキトは、本当にそういうことをしている。
「その方に、会ってみたいものだな」
「私もだ」
「王都に来てくれないだろうか」
人々の興味は、どんどん高まっていく。グラドは満足そうに笑った。アキト殿のことを、もっと多くの人に知ってもらいたい。それが、彼への恩返しだ。
王宮では、レオナルドが国王に報告していた。
「アキト殿は、王都への招聘を辞退されました」
「辞退?」
国王は驚いた顔をした。
「なぜだ」
「彼は、村にいたいと。村の人々と一緒に暮らしたいと、そう仰いました」
「……なるほど」
国王は考え込んだ。それから、笑った。
「面白い男だな」
「はい。ですが、年に一度の報告には来ていただけることになりました」
「それでいい」
国王は頷いた。
「無理に連れてくる必要はない。彼は、彼のままでいい」
「ありがとうございます」
「それより、レオナルド」
「はい」
「彼に会って、どう思った」
レオナルドは少し考えてから、答えた。
「普通の方でした」
「普通?」
「はい。でも、だからこそ特別なのだと思いました」
レオナルドは微笑んだ。
「彼は、本当に大切なものが何か、分かっている。それは、誰にでもできることではありません」
「そうか」
国王は満足そうに頷いた。
「では、来年を楽しみにしていよう」
貴族の間でも、アキトの噂は広がっていた。サロンでは、彼の話題で持ちきりだ。
「聞きましたか?辺境に、聖人がいるそうですよ」
「ええ。エドワード様が訪ねたと聞きました」
「どんな方だったのでしょう」
エドワードは、みんなに囲まれて話をしている。
「素晴らしい方でした」
とエドワードは目を輝かせた。
「一緒に昼寝をしたのですが、あれほど心が休まったことはありません」
「昼寝……ですか」
「ええ。彼と一緒にいると、すべてがどうでもよくなる。いい意味で」
エドワードは微笑んだ。
「私は、彼に救われました」
貴族たちは、興味津々だ。みんな、アキトに会ってみたいと思っている。
教会でも、アキトの話題が出ている。セシルからの報告を受けて、教会長は考え込んでいた。
「セシルは、彼を神の化身だと言っている」
「はい」
「しかし、本人は否定している」
「そのようです」
教会長は笑った。
「面白い。神に選ばれながら、それを認めない」
「どういたしましょうか」
「何もしなくていい」
教会長は言った。
「彼は、彼のままでいい。それが、神の意志だ」
こうして、アキトの伝説は広がっていった。王都で、貴族の間で、教会で。みんなが、彼のことを語る。「聖なる男」「神の化身」「奇跡の人」。色々な呼び方で。
でも、リーヴ村は変わらなかった。相変わらず、静かで穏やかな村だ。畑は緑で、温泉は湯気を上げ、人々は笑顔で暮らしている。そして、アキトも変わらない。朝は畑仕事をして、昼は温泉に入って、午後は昼寝をする。夕方には誰かと過ごして、夜は星を見る。
その夜、アキトは一人で小屋の前に座っていた。星が綺麗だ。最近、色々なことがあった。魔喰花、貴族の訪問、干ばつ、勅令。でも、全部乗り越えた。みんながいてくれたから。
「明日も、いつも通りにしよう」
呟く。特別なことは何もしない。ただ、いつも通りに過ごす。それが、一番いい。
窓の外から、三人の笑い声が聞こえてくる。楽しそうだ。俺も、そこに行こうかな。そう思って立ち上がった時、空に流れ星が流れた。
「あ」
思わず声が出た。流れ星。久しぶりに見た。
願い事、か。何を願おう。考えて、すぐに答えが出た。
「この日常が、ずっと続きますように」
小さく呟いた。それだけでいい。この村で、みんなと一緒に。ずっと、こうしていられますように。
流れ星は消えていった。でも、願いは心に残った。きっと、叶う。そう信じている。
ユイの家に向かう。扉を開けると、三人が振り返った。
「アキトさん!」
「来てくれたんですね」
「師匠、遅いぞ」
三人は笑顔で迎えてくれた。俺も笑顔で、中に入る。温かいお茶の香りがする。
「今日も、色々ありましたね」とユイが言った。
「うん。でも、いい一日だった」
「明日も、いい日になりますように」とセシルが微笑んだ。
「なるよ、きっと」とリズが笑った。
四人で、お茶を飲む。話をする。笑い合う。こんな時間が、一番幸せだ。
外では、星が輝いている。静かで、穏やかな夜。
村は眠りにつく。明日も、きっといい日になる。
そう信じながら、夜は更けていった。
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