第17話「師匠なんて呼ばないでくれ」
リズが村に来て三日。彼女の回復は順調だった。
朝、小屋の前でリズと一緒に朝食を食べていると、ユイが様子を見に来た。籠に新しく焼いたパンを持っている。
「おはようございます、アキトさん。リズさん」
「おはよう」
「おう」
とリズは短く返事した。まだ少し人見知りしているみたいだけど、昨日よりは柔らかい表情だ。
ユイがパンを置いて、リズの顔を見た。
「顔色、良くなりましたね」
「ああ。おかげさまで」
「無理しないでくださいね」
「分かってる」
ユイは微笑んで、それから俺に言った。
「今日も巡礼者が増えそうです。村長が、アキトさんに挨拶してほしいって」
「また?」
と俺はため息をついた。
「昨日もしたのに」
「人気者ですね」
とユイは笑った。
「人気なんていらないんだけどな……」
リズが不思議そうな顔で俺を見ている。
「あんた、本当に有名人なのか?」
「らしいよ。よく分からないけど」
「変なの」
とリズは笑った。
「有名なのに、こんなところで朝飯食ってるなんて」
「普通に食べたいだけだよ」
「それが変なんだって」
リズは楽しそうだ。彼女の笑顔を見ると、こっちも嬉しくなる。元気になってきた証拠だ。
午前中、リズは村の周りを散歩していた。俺も付き添っている。まだ完全に回復したわけじゃないから、念のためだ。
畑を通りかかると、村人が作業している。リズはその様子をじっと見ていた。
「みんな、楽しそうだな」
「そう?」
「ああ。笑顔で働いてる」
リズは少し寂しそうな顔をした。
「俺が冒険者やってた頃は、いつも殺伐としてた」
「冒険者って、大変なの?」
「大変だよ。魔物と戦って、命がけで依頼をこなして」
とリズは腕の傷跡に触れた。
「いつ死んでもおかしくない」
「……そうなんだ」
「でも、それしかできなかった」
リズは空を見上げた。
「親もいないし、家もない。だから、強くならなきゃいけなかった」
「強く、か」
「ああ。弱いと、生きていけない。そう思ってた」
リズは俺を見た。
「でも、あんたを見てると、分からなくなる」
「何が?」
「強さって、何なのか」
リズは真剣な顔をしている。
「あんた、戦わないだろ?」
「うん。戦う理由がないから」
「でも、みんなあんたを尊敬してる。頼りにしてる」
「それは……」
「なんでだ?あんたは強くないのに」
リズの問いに、俺は少し考えた。強さ、か。確かに、俺は戦えない。魔法も使えない。ただの人間だ。
「強くなる必要なんて、ないんじゃない?」
と俺は言った。
「え?」
「生きてるだけで、十分だと思う」
リズは目を見開いた。
「強くなくても、誰かと一緒にいられる。美味しいもの食べて、気持ちよく寝られる。それだけで、幸せだよ」
「それだけで……」
「うん。焦る必要もない。ゆっくりでいい」
俺はリズの肩に手を置いた。
「リズさんは、もう十分頑張ってきたと思う。だから、少し休んでもいいんじゃない?」
リズは黙っていた。でも、目に涙が浮かんでいる。それを必死に堪えている。
「……ずるいな、あんた」
「え?」
「そんなこと言われたら……泣いちゃうだろ」
リズは手で目を拭った。
「俺、ずっと強くならなきゃって思ってた。弱い自分が許せなかった」
「……」
「でも、あんたは言うんだな。生きてるだけで十分だって」
リズは笑った。涙声だけど、笑顔だった。
「初めて言われたよ、そんなこと」
「そう?」
「ああ。みんな、もっと強くなれ、もっと頑張れって言うだけだった」
リズは俺を見た。
「あんた、優しいんだな」
「そんなことないよ」
「いや、優しい」
リズは深呼吸した。それから、真剣な顔で俺を見た。
「なあ、アキト」
「なに?」
「俺、あんたの弟子になりたい」
「え?」
「あんたの生き方を、学びたい」
リズは頭を下げた。
「お願いします。弟子にしてください」
「ちょっと待って」
と俺は慌てた。
「弟子って、俺は何も教えられないよ」
「教えてくれ。あんたみたいに、生きる方法を」
「いや、だから……」
「お願いします」
リズは譲らない。その目は、本気だ。俺は困った。弟子なんて、取ったことがない。というか、俺に教えられることなんてあるのか?
でも、リズの目を見ていると、断れなかった。必死な目だ。真剣な目だ。
「……分かった」
「本当か!」
「でも、俺は特別なことは教えられないよ。ただ、一緒に過ごすだけ」
「それでいい」
とリズは嬉しそうに笑った。
「一緒にいさせてくれ、師匠」
「師匠って呼ばないでくれ」
「なんで?」
「なんか恥ずかしい」
「でも、師匠は師匠だろ」
リズはニヤニヤしている。からかわれてる気がする。
「……好きにして」
俺は諦めた。リズは笑顔で頷いた。
その日の午後、セシルが小屋にやってきた。
「アキト様、お茶の時間です」
彼女は最近、毎日お茶を淹れに来てくれる。俺は小屋の前に座っていて、リズは隣にいる。
「ありがとう、セシルさん」
セシルがお茶を三人分用意する。リズは少し緊張している様子だ。セシルの神聖な雰囲気に、気圧されてるのかもしれない。
「リズさん、お体はいかがですか?」とセシルが聞いた。
「ああ、もうだいぶいい」
「それはよかったです」
セシルは微笑んだ。それから、俺に言った。
「アキト様、最近お忙しそうですね」
「そうでもないよ」
「いいえ。巡礼者の対応、村の手伝い、そしてリズさんの看病」
セシルは少し寂しそうな顔をした。
「私とお話しする時間も、減ってしまいました」
「ごめん。忙しくて」
「いいえ、謝らないでください」
とセシルは首を振った。
「私が、わがままを言っているだけです」
「わがままじゃないよ」
俺はセシルの手に触れた。
「セシルさんとの時間も、大切だから」
セシルは顔を赤くした。
「あ、ありがとうございます」
隣で、リズが不思議そうな顔をしている。
「あんたら、どういう関係なんだ?」
「え?」
「いや、なんか雰囲気が……」
リズは言葉を探している。セシルは慌てた顔をした。
「わ、私はアキト様を、その……尊敬しているだけです」
「尊敬ねえ」
とリズはニヤニヤしている。
「そういうことにしとくか」
「本当です!」
セシルは真っ赤になっている。俺は苦笑した。リズは意外と、こういうところを突くのが上手い。
夕方、ユイが夕食を持ってきた。
四人で小屋の前に座って、食事をする。今日のメニューは野菜のシチューとパンだ。いつものユイの味。美味い。
「ユイさんの料理、本当に美味しいな」
とリズが言った。
「ありがとうございます」
「毎日こんなの食べてるのか、師匠は」
「師匠って呼ばないでって言ったのに……」
リズは笑っている。ユイとセシルは、少し戸惑った顔をしている。
「弟子、ですか?」
とユイが聞いた。
「ああ。今日から師匠の弟子だ」
「アキトさんの……」
ユイは複雑そうな顔をした。セシルも、少し驚いている。
「あの、リズさん。弟子というのは……」
とセシルが言った。
「師匠の生き方を学ぶんだ。強くなくても、生きていける方法をな」
リズは真剣な顔だ。
「俺、ずっと強さを求めてきた。でも、師匠は違う。強くないのに、みんなから信頼されてる」
「それは……」
「だから、学びたいんだ。あの人がどうやって生きてるのか」
リズの言葉に、ユイとセシルは黙った。それから、ユイが言った。
「そうですか。じゃあ、よろしくお願いします」
「おう」
セシルも頷いた。
「私も、協力します」
「ありがとな」
リズは笑顔だ。三人とも、少しずつ距離が縮まってきた気がする。
俺はシチューを食べながら、その様子を見ていた。なんだか、家族みたいだ。賑やかで、温かい。
「みんなで食べると、美味いな」
とぼんやり言った。
三人が俺を見た。それから、笑顔になった。
「そうですね」
とユイが言った。
「はい」
とセシルが頷いた。
「だな」
とリズが笑った。
その夜、一人で星空を見ていた。
リズが弟子になった。弟子、か。俺に教えられることなんてあるのか、まだ分からない。でも、リズが学びたいと言ってくれた。それだけで、嬉しい。
ユイ、セシル、リズ。三人とも、俺の周りにいてくれる。賑やかになった。前は一人が好きだったのに、今は寂しいとすら思う。
「不思議だな」
呟く。人は変わるものだ。俺も、変わってきたのかもしれない。
窓の外から、三人の笑い声が聞こえてくる。ユイの家で、お茶を飲んでいるみたいだ。三人とも、仲良くなってきた。
「いい感じだな」
そう思いながら、ベッドに横になった。明日も、きっといい日になる。リズとの新しい日々が始まる。どんなことを学んでもらえばいいのか、まだ分からない。でも、一緒に過ごせば、何か見つかるだろう。
目を閉じる。心が温かい。三人がいてくれる。それだけで、幸せだ。
やがて、眠りが訪れた。静かで、深い眠り。
その頃、ユイの家では三人が話していた。
「リズさん、本当に弟子になったんですね」
とユイが言った。
「ああ。師匠の生き方、学びたいんだ」
「アキト様は、本当に不思議な方です」
とセシルが言った。
「強くないのに、みんなを惹きつける」
「だよな」
とリズは頷いた。
「俺も、最初は変人だと思った。でも、話してるうちに分かった」
「何がですか?」
「あの人、本当に優しいんだ」
リズはお茶を飲んだ。
「俺に、生きてるだけで十分だって言ってくれた。そんなこと、初めて言われた」
ユイとセシルは顔を見合わせた。
「アキトさんらしいですね」
とユイが微笑んだ。
「はい」
とセシルも頷いた。
三人は少し黙った。それから、ユイが言った。
「私たち、みんなアキトさんに救われてますね」
「そうだな」
とリズが言った。
「はい」
とセシルが頷いた。
三人は笑った。それぞれが、アキトへの想いを抱きながら。でも、それを口には出さない。ただ、一緒にいられることが幸せだった。
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