第12話「観察される日常」
観察初日。朝から神官たちが小屋の前に待機していた。
扉を開けると、ルシウスと二人の若い神官が立っている。全員、真剣な顔だ。まるで重要な儀式に立ち会うかのような緊張感がある。
「おはようございます、アキト殿」
「……おはようございます」
なんだこの空気。朝からこれはキツい。俺は小屋から出て、いつものように伸びをした。体がバキバキと鳴る。気持ちいい。
「記録してください」とルシウスが若い神官に言った。一人が羊皮紙と羽ペンを取り出して、何やら書き始める。
「え、今の?」
「はい。朝の動作です」とルシウスは真面目な顔で言った。「体を伸ばす動きに、何か意味があるのではないかと」
「いや、ただのストレッチですけど……」
「ストレッチ……」と若い神官が呟きながら書いている。「体を清める儀式の一種、と」
「違います」
でも聞いてもらえなかった。三人とも、俺の次の動作を待っている。視線が痛い。
朝食の時間になった。ユイが小屋に来て、いつものようにパンとスープを持ってきてくれた。
「おはようございます、アキトさん」
「おはよう」
ユイは神官たちを見て、少し困った顔をした。でも、笑顔で挨拶する。
「神官様方も、よろしければご一緒にどうぞ」
「いえ、我々は観察するだけで」とルシウスは言った。「どうぞ、普段通りに」
普段通りって言われても、見られてるのに普段通りなんて無理だ。でも、腹は減ってる。俺は席について、パンを手に取った。神官たちが息を飲む音が聞こえた気がする。
「記録を」
「はい」
若い神官がまた書き始める。俺はパンを齧った。外はカリッと、中はふわっと。美味い。スープも飲む。温かくて、野菜の甘みが染み出てる。
「食事の所作も、非常に丁寧ですね」とルシウスが呟いた。
「普通に食べてるだけですけど」
「いいえ。一口一口、感謝を込めて食べておられる」
「そんなつもりは……」
「謙虚なお方だ」と若い神官が言った。「食事にすら、神への祈りを込めている」
「だから違うって……」
ユイが苦笑している。俺も苦笑するしかなかった。これは、何を言っても無駄だ。
朝食を終えて、畑に向かった。神官たちも、もちろんついてくる。村人たちが不思議そうな顔でこっちを見ている。子どもたちは、神官の立派な法衣に興味津々だ。
「今日は、人参の草むしりをします」
「草むしり……」とルシウスが真剣な顔で頷いた。「それもまた、神聖な行為なのでしょうね」
「ただの雑草取りです」
畑に着いて、しゃがみ込む。雑草を一本一本抜いていく。根っこまでしっかり取らないと、また生えてくる。地味な作業だけど、これをやらないと畑が荒れる。
「記録してください」とルシウスが言った。「どのように草を選んでいるのか、どのような順序で抜いているのか」
「順序なんてないですよ。適当に抜いてるだけで」
「適当、ですか」とルシウスは感心したように言った。「つまり、直感に従っている。神のお導きのままに」
「いや、本当に適当なんですけど……」
若い神官が熱心にメモを取っている。「神のお導きのままに草を選別し、大地を清める儀式」とか書いてる。違う。本当に違う。
しばらく草むしりを続けた。汗が出る。日差しが強い。でも、風が吹くと気持ちいい。俺は立ち上がって、汗を拭った。それから、大きく深呼吸した。
「今のは!」と若い神官が声を上げた。
「何ですか?」
「深呼吸です!」
「……はい、深呼吸ですけど」
「大地の気を取り込んでおられる!」と若い神官は興奮している。「これが、力の源なのでは!」
「ただ空気吸っただけです」
でも聞いてもらえない。三人で何やら議論を始めた。「大地の気」だの「魔力の循環」だの、色々言ってる。俺は呆れてため息をついた。そしたら、また神官たちが反応した。
「今のため息!深い瞑想の後の息です!」
「……もういいや」
何を言っても無駄だ。俺は諦めて、また草むしりに戻った。
昼になって、温泉に向かった。神官たちも、もちろんついてくる。
「あの、温泉は入らないんですか?」
「我々は観察するだけです」とルシウスは言った。「どうぞ、普段通りに」
「見られながら入るの、恥ずかしいんですけど……」
「大丈夫です。外から見守っております」
それも嫌だ。でも、温泉には入りたい。体が汗でベタベタしてる。俺は仕方なく、男性用の浴場に入った。神官たちは外で待機している。
服を脱いで、湯に浸かる。温かい。体中の疲れが溶けていく。最高だ。思わず、「あー……」と声が出た。
外から、神官たちの話し声が聞こえてくる。
「今の声、聞きましたか」
「はい。深い安らぎの声です」
「まるで、神との対話をしているかのような……」
「清めの儀式に違いありません」
違う。ただ気持ちいいから声が出ただけだ。でも、もう何も言わない。言っても無駄だから。
湯から上がって、体を拭く。それから服を着て、外に出た。神官たちが待っていた。
「清々しいお顔ですね」とルシウスが言った。
「温泉入ったら、誰でもこうなりますよ」
「いいえ。あなたの顔には、神聖な光が宿っています」
「気のせいです」
ルシウスは笑った。「謙虚なお方だ」
もう何も言わない。俺は森の昼寝場所に向かった。
昼寝場所は、木々に囲まれた静かな空き地だ。草がふかふかで、風が心地いい。神官たちも、ここまでついてきた。
「ここで昼寝します」
「昼寝……」とルシウスが呟いた。「それは、瞑想ですね」
「寝るだけです」
「いいえ、瞑想です」
もう反論する気力もない。俺は草の上に寝転がった。空が見える。青い空。白い雲。鳥が飛んでいる。風が頬を撫でる。気持ちいい。
目を閉じる。周りの音が遠くなる。鳥の声、風の音、葉っぱの揺れる音。それだけだ。神官たちの話し声も、だんだん遠くなる。
「深い瞑想に入られました」
「記録してください」
「はい」
そんな声が聞こえたけど、もう気にしない。眠気が襲ってくる。気持ちいい。このまま、寝よう。
そして、眠りに落ちた。
どれくらい寝ただろう。目を覚ますと、夕方になっていた。空がオレンジ色に染まっている。体を起こすと、神官たちがまだいた。ずっと待っていたのか。
「お目覚めですか」とルシウスが言った。
「……はい」
「三時間ほど、瞑想しておられました」
「寝てました」
「深い瞑想でした」とルシウスは訂正しなかった。「その間、周囲の動物たちが静かになりました」
「え?」
「鳥も、虫も。まるで、あなたの瞑想を邪魔しないかのように」
そんなことあるのか?俺は周りを見渡した。確かに、静かだ。でも、それは偶然じゃないのか?
「これも、あなたの力です」とルシウスは確信を持って言った。「動物たちも、あなたの神聖さを理解している」
「……はぁ」
もう何も言わない。何を言っても、無駄だから。
村に戻る頃には、日が傾いていた。小屋の前で、ユイが待っていた。
「お疲れさまです、アキトさん」
「ああ、疲れた」
「大変でしたね」
ユイは神官たちを見て、少し申し訳なさそうな顔をした。神官たちは、俺とユイのやりとりを観察している。
「夕食、作りましょうか」とユイが言った。
「頼む」
「じゃあ、一緒に作りましょう」
ユイと一緒に小屋に入る。神官たちは外で待機している。ユイは野菜を切り始めた。俺は火を起こす。いつもの作業だ。
「神官様たち、ずっとついて回ってたんですか?」とユイが小声で聞いた。
「ずっと。朝から」
「大変でしたね……」
「うん。何やっても誤解される」
「そうでしょうね」とユイは苦笑した。「でも、あと数日の辛抱ですよ」
「数日……長いな」
「頑張ってください」
ユイは笑顔で言った。その笑顔を見ると、少し元気が出る。一緒にいると、楽になる。ユイがいてくれて、本当に良かった。
料理が完成した。野菜のシチューだ。いい匂いがする。二人で席について、食べ始める。外では、神官たちが話し合っている。
「共に食事をする……」
「深い絆があるのでしょう」
「あの女性も、聖なる存在かもしれません」
ユイが「え?」という顔をした。俺は首を横に振った。「気にしないで」
「はい……」
二人で、静かに食事を続けた。シチューは美味しかった。ユイと一緒だと、もっと美味しい。この時間だけは、神官たちのことを忘れられる。
夜、神官たちは村長の家に戻っていった。やっと一人になれた。小屋に戻って、ベッドに倒れ込む。疲れた。本当に疲れた。
「一日中、見られてた……」
呟く。朝から晩まで、ずっと観察されてた。何をやっても記録される。何を言っても誤解される。これが、あと数日続くのか。
「……はぁ」
大きくため息をついた。でも、仕方ない。村のためだ。村長も、村人も、みんな困ってる。だから、我慢するしかない。
窓の外を見る。星が出ている。いつもの星空。これだけは、変わらない。それが救いだった。
「明日も、頑張るか」
そう言い聞かせて、目を閉じた。すぐに眠りが訪れた。深くて、静かな眠り。明日への活力を取り戻すための、大切な眠り。
その夜、村長の家では神官たちが報告書をまとめていた。
「間違いありません」とルシウスが言った。「あの方は、聖人です」
「全ての行動に、神聖な意味がありました」と若い神官の一人が言った。
「食事、作業、瞑想。全てが、神への祈りでした」
「しかも、ご本人は無自覚です」とルシウスは羊皮紙に何かを書きながら言った。「これほどの謙虚さ、見たことがありません」
「本部に報告すべきです」
「ええ。明日、手紙を出しましょう」
ルシウスは羽ペンを置いた。「この村は、神に選ばれた場所です。そして、アキト殿は、神の使いです」
三人は頷き合った。誰も、疑っていない。全員が、確信していた。
誤解は、さらに深まっていく。
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