くだらない地上の話はやめろと婚約破棄して嘲笑った元婚約者の彼が知らないこの世界の真実と共に風の魔法で地上に降りたら、いつの間にか失脚していたけど意味がない
ヒトヒニ王子との婚約は、すでに冷え切っていた。
雲一つない晴天の下、庭園のバルコニー。
ヒトヒニは視線を合わせようともせず、手元の書類に目を落としたまま、冷たい声で言った。
「またか。またその地上の話か」
「でも、ヒトヒニ様。この空に浮かぶ島々にも、いつか終わりが来るかもしれません。地上の研究はしておいた方がよいかと」
「くだらない。君の言う地上とやらは、いつからか始まった妄想だ。はぁ!君の奇行は、もう周囲からも嘲笑の対象になっている。王家の人間として、君はあまりにもふさわしくない。何が言いたいか、わかるよな?」
彼にとって、語る地上の話は、聞く価値もない戯言。
使える風を操る魔法も、彼らが使う高度を維持する魔法に比べれば、無力な遊びに過ぎない。
彼の言葉は、ぐさりと胸に刺さった。
それ以上に、理解しようとしない事実に、冷え切っていた。
読んだ、この世界を舞台にした漫画のこと。
物語の、始まりを知っていた。
「私の魔法も、いつか役立ちます」
「もういい。来週の舞踏会で、正式な発表をする。その時までに、君の頭の中を整理しておけ。身もな」
ヒトヒニは言い放ち、残して立ち去った。
手元に残されたのは、冷たい風だけ。
婚約破棄を宣告する前触れだと、分かっていた。
同時に合図でもある。
漫画で婚約破棄された後、テナイリアは地上へと旅立つことになっていたから。
一人、風の魔法をそっと使う。
微かな風が、頬を優しく撫でた。
これが、己をこの狭い世界から解放する、唯一の道。
一週間後には、約束通り舞踏会が開かれた。
シャンデリアの光が降り注ぐ華やかな会場に、貴族たちがひしめき合っている。
ヒトヒニは壇上に立ち、静かに咳払いをした。
「皆に伝えたいことがある」
一言で、会場のざわめきが収まる。
誰もが、婚約者との正式な結婚発表だと信じて疑わないが、違った。
これが、最後の夜だと知っていたから。
ヒトヒニはまっすぐこちらを見据え、冷徹な声で言う。
「残念ながら、婚約は本日をもって解消とする」
会場に驚きの声が広がる。
貴族たちはひそひそと囁き合い、好奇の目に晒す。
「彼女は王家の人間として、あまりにもふさわしくない。高度を維持する神聖な魔法も使えず、いつ落ちるかわからぬ下層の島の民と同じように、愚かな地上の話ばかりするのだから」
彼の言葉は、罵るだけのものではなかった。
王として、異物を切り捨てるための、冷酷な決断。
立ち尽くした。
心は不思議なほど静か。
前世で読んだ漫画の記憶が、屈辱的なシーンをただの物語の出来事として認識させてくれたのだろうか。
元婚約者は背を向け、他の令嬢たちと談笑を始めた。
ただ、他の女に目移りしたいだけ。
静かに会場を後にする。
窓の外には、終わりなく広がる雲海。
彼が嘲笑した下の世界の話。
それは、私だけが知る、この世界の真実。
誰もが役に立たず、意味がないと馬鹿にした風の魔法。
この場所から、本当の物語へと導く唯一の鍵。
彼は今がクライマックスだと信じているのが、滑稽。
一人、不敵に笑う。
ここから始まるのは、漫画の物語じゃない。
落下へのカウントダウン。
誰も知らない地上へと向かうことを決めた。
下へ下へと風を操り、降りていく。
他に足が着くと安堵する。
水の結晶を探す旅は、過酷ではあったが、孤独ではなかった。
地上は、空の世界で信じられていた呪われた土地とは、全く違う。
豊かな緑の森、清らかな透明な川。
漫画で見た通りの、静かな遺跡が美しくも広がっている。
浮遊した世界には、過去の遺産なんてない。
風の魔法は、旅の道案内に大活躍。風の流れから、水のある場所や、古代の遺跡の方向がわかる。
旅を始めて数週間で偶然、川辺に落ちていた古びた飛行船の残骸を見つけた。
船内から、空の世界で出版されたばかりの新聞を見つける。
ボロボロだったが、まだ文字は読めた。
落ちたのか、これ。
そこには、巨大な見出しで書かれていた。
目立つから、よほど騒ぎになったみたい。
「ヒトヒニ王子、失脚! 婚約者失踪の謎と地上の仮説が原因か?」
記事を読み進めると、信じられない内容が書かれていた。
婚約者だった女が、窓から身を乗り出し、雲海へと消えていったことが、目撃者の証言として報じられている。
衝撃的な落下と、彼女の奇行を放置した責任を問われ、ヒトヒニ王子はすべての権力を剥奪され、幽閉されたという。
「……うーん、不思議ね」
思わず声に出して呟き、新聞を地面に落とした。
確かに、復讐したかった。
でも、それは自分の力で成し遂げるつもりだったが。
こんな風に、自分がただ消えただけで、彼の未来が崩壊するとは思いもしなかった。
多分、島の落下の気配への、スケープゴートにされたのかも。
冷たく切り捨てた婚約者は、今、空の世界の冷たい牢獄にいるのだと思う。
助ける義理なんて、あるはずがない。
行動で、運命を変えてしまったのは事実。
王族に伝えられる地上の話は、すでに本来の真実とはかけ離れた、おとぎ話のようなものになっているのかもしれない。
権威の維持のため。王族にとって、空に浮かぶ島々こそが世界のすべてであり、その中心にいる自分たちの権威を正当化したいというエゴ。
地上に真実があることを認めるのは、自分たちの存在意義を揺るがしかねないため、無意識のうちに否定してしまったのかもしれない。
「物語は、まだ終わってない」
彼女は新聞を拾い上げると、風の魔法で燃やした。
記憶が語る、次の目的地へ行く。
空の世界の動向を気にしている暇はない。
どうせ、皆島ごと落ちてしまうのだから。
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