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気の強いお蝶は眉をつり上げて、キッとお仙をにらみながら、富子の背中にすがりついて、
「お嬢さま、許してください、ね、ね。口惜しゅうございますか。私だって口惜しいわ。も、もう帰りましょう」
と、揺りうごかしましたが、反応がありません。
お仙はうつむいたまま、黙っています。
裏口のほうから、秋の声がしました。
「お嬢さま、旦那さまがお帰りになりました」
お蝶はまたうながして、
「ね、呼んでいますからお帰りなさいませ。さあよ、さあ」
と富子の手を取ると、力なく顔をあげて、お仙の顔をじっと見ながら、
「許してください……」
といいかけてむせかえり、袖をかみしめて、また泣き伏してしまいます。
お蝶も涙声で、
「なんだい、だれがあやまるもんか。そ、そんな意地悪な人は、もう姉さまでもなんでもないや。もう、もう、もう、だれがまたこんな家に来るもんか。もう来てやらないからいい、もうとまりになんか来てやるもんか。……さあ、お嬢さま」
と富子の背中を押しうながしながら、後ろをキッとふり返り、
「もう来ちゃあやらないから」
と、ふり返った目に涙をいっぱいためています。富子も両袖を重ねて、泣きはらした目をおおいながら、しおしおとして帰っていきました。
ふたりを見送ったお仙は、思わずホッと息をつきましたが、あっと前のめりに倒れこむと手早く半纏を丸めて、みぞおちのところにあてて、物差しを取ってグッと押しつけ、肩を震わせながら痛みに耐えています。しばらくして落ちつきましたが、青ざめた顔をあげて、
「もう、病気だというのに」
と、しみじみ独り言をこぼします。そして、力なげに首がうなだれるのにまかせて、じっと物思いに沈みました。周囲にはたそがれが迫って、まだ秋になったばかりだとはいえ、もの淋しげに暮れかかると、蠅入らず茶棚のうしろの暗がりも濃く、障子はほのかな明かりをとどめるばかり。ちょうど裏の井戸を汲む滑車の音が、カラカラと冴えわたります。お仙はふっと顔をあげて、天井を見あげた目もとに、かすかな笑みをうかべて、
「ああ、もう、どうにでもなれ」
物差しを放り投げるとともに、そんなことばを吐きました。茶棚へと斜めによりかかると、蠅よけの網戸を開けて徳利を取りだし、冷や酒を湯飲みにそそぐと、一気にあおります。急に立ちあがってめまいをおこして、よろよろとよろけかかる障子にばったりとすがって身を支えました。そのまま障子を一枚、左へあけて、縁側に出ます。
庭下駄をひっかけたお仙は、縁側のはしにばったりと腰を下ろすと、沓脱石に爪先をそろえ、片手をついて身をそらし、森の梢に白く澄んだ二日月がかかった空をあおぎながら、鬢のもつれを掻きあげました。ふと、足もとになにかの気配を感じて見ると、薄暗がりの軒下から、そのあたりに転がっていた石が動いて、出てきたようです。いや、それは大きなヒキガエルでした。のそのそと沓脱石のうえに這いでてきたそれは、お仙のことなどまるで気にしないかのように、ずうずうしく居座っています。
お仙はうつくしい踵をうかせて、細い爪さきに庭下駄をぶらさげるようにしながら片あしをひらきました。すると単衣の裾がはらりと解けて、ヒキガエルの背中にそっとのしかかります。
眼は凄艶な光をたたえ、おもやつれした頬もさびしげに、ひきしめていた口もとをゆるませながら、じっとヒキガエルを見てつぶやきました。
「お前は気楽だねえ」
そのとき、玄関の戸をガラリとあけて、
「せん」
とひと声、呼ぶものがありました。




