15
「ちくしょうめ、どうしてくれようか。うんとお仕置きをしてやろう。ほんとにいまいましいったらない。死ぬほどひどいめにあわせやがって。おのれ、こいつめ、と思っても、お嬢さまの袖の下にかくれているんだもの。手出しはできず。口惜しくって、口惜しくって。その上に夕べはまた旦那さまがうなされ続けて、寝られやしなかった。どれ」
秋は、お蝶を待ち伏せして仕返しをしようとしているのです。その扮装はものものしくも、向こう鉢巻に裾からげ、手には薪を一本ひっさげています。お屋敷の門前ではじゃまが入ることもあろうと、庭を横切り木戸を出て、お仙の家の裏口に立ちました。
朝露の結ぶしらじらと明けゆくなかに、うつくしいものがちらちらと見えているのは、中形模様の浴衣の白や黄色もあざやかに、すらりと立った井戸ばたのお嬢さまでした。
「秋かい」
と、富子が声をかけてきます。
秋はぎょっとして、
「おや!」
というなり、さっきまでの緊張はどこへやら。
秋が寝衣に紐を巻いただけの、とり乱した姿をしているのを見た富子は、自分がなにをしていたのか気取られまいと、わざと先を越して、
「お前、いったいどうしたんだね、その恰好は」
と、見とがめるようにいいました。
秋は、手にした薪をひねり回しながら、
「はい、寝ぼけましたのでございますかしら」
「どうなんだか」
「あ! その、なんでございましたよ。蛇が出ましたら追いはらおうと存じまして……」
「そうかい」
と、深く問いはしません。
秋はじろじろと富子を見まわして、
「お嬢さまもまた、お早いではございませんか。そしていつの間に、こちらに」
富子は、解きかけた緋色のしごき帯の片端が、すこし垂れているのに気づきました。さきほどまで井戸をのぞきながら、その帯で裾を結わえようか、膝を括ろうかと考えていたことを思いだすと、ハッと胸が詰まります。垂れた片端を手早く帯のなかに押しこみながら、さりげなくほほえみました。
「あんまり朝顔がよかったので、つい」
「なるほど、きれいですこと」
と、ふたりが垣根に目をやると、そのむこうから、印半纏すがたの足どり軽く、雪駄をチャラチャラ鳴らしながらお蝶が走ってきました。色白の顔は白すぎるほどで、なにやらやつれて見えるのは、寝不足なのかもしれません。牛乳のカゴをさげた片手に、紫と紅と絞り模様のみだれ咲いた朝顔のつるをふたつばかり輪にして持っています。富子を見るとすぐにニッコリして、
「おはよう」
と、愛想よくあいさつしました。
秋はいいたいこともいえずに黙ったまま。
富子は歩み寄って、
「おや、きれいだね」
「ええ、姉さんにあげようと思って」
といいながらも、気がせいてならないといったふうで、お仙の家の勝手口に走りよると、
「ちょっと、姉さん、姉さん」
呼んでも答えがありません。
富子は背戸の外から、
「まだお目覚めじゃないんじゃないの」
「いいえ、いつも早起きをされてるのに。ふう」
と、お蝶は解せぬ顔をして、りりしい眉をひそめています。
「だって、まだはやいもの」
「でも、ゆうべはなんだか気がかりなことがあったんですもの。おかしいよ……姉さん、……姉さんったら、ちょいとお蝶が来たよ……姉さん……あら」
戸を引いてみたものの、鎖されてあきません。お蝶はあせった様子で、
「あの、お嬢さま、ちょっと持っててくださいな」
と、朝顔を富子に持たせて、戸障子に両手をかけました。
富子もなぜか胸さわぎがして、
「あくかい」
「なに、簡単にあけられる戸なのに、どうしたんだろう、まあ」
と、力をこめて引き動かします。
なにかがバタリと落ちる音がしました。
すこし開いた戸口から、お蝶にはおぼえのある香の薫りが、面を打つほどにあふれだしたのです。