13
「もし、もし」
と、床の間を枕にしてすやすやと睡っている客を、お仙は呼び起こしました。手近な杯や皿鉢を片寄せて、ランプをわきへずらし、枕や薄手の掻巻を引きよせるとそばによって、
「もし、もし」
と、声をかけました。
「む」
といいながら客は静かに目をあけました。その顔を見ながら、お仙は左の腕を肩から回して、
「あの、お頭が痛みます」
と、右手に持った枕をうなじにあてて、客の頭をそっと持ち上げました。
まだ目醒めきっていない客は、どうしたことか、眉をひそめて、お仙の手をバッと払いのけました。
ハッと枕を取り落とすと、お仙の顔色が変わります。
客は寝返りをして、こちらの方を向き、
「そっちの手をかせ」
と、乱暴なものいい。
お仙は両手を膝にそろえて、わずかに肩を震わせながら、怒りを含んだ口調で答えました。
「いやでございます」
客はすこしも意に介さず、
「じゃあ、その枕にしよう」
「お勝手になさいまし」
お仙は顔をそむけました。
客は起き直って、
「ははは、いいわい。わしももう起きるんじゃ」
と、まるで気にもしていません。
うつむいていたお仙は、顔を引きしめました。
「あの、お暇をいただきとうございます」
と、歯を食いしばります。
いつもとちがうその様子を、客は気づかず、
「ふむ、どこかへ行くのか」
「はい」
と、うるんだ声で答えました。
「なに、ちっとも構わん。わしも帰らなければならん」
そういったなり、無造作に身支度をはじめました。夜は十時を過ぎています。お仙は畳に片手をつき、うつむいたまま無言です。客はつかつかと部屋を出ていきました。おおまたの足音を聞いたお仙は、思わず身を浮かせ、膝を立てて立ちあがりました。
蒼い顔をしてするすると客のもとに走りより、袖にすがろうとして身を退くと、
「御前」
「なんだ」
お仙はゴクリと唾を飲み、
「御前は松平という中尉さんをご存じでいらっしゃいますか」
「うむ、知ってる。それがどうした」
「私を、あの、妻にしたいと申します」
客はからからと笑って、
「ハハハ、贅沢なことをいうの。おもしろい。身のほど知らずなやつじゃ。そうか」
「どういたしたものでしょう、御前」
「それは断れ」
「はい」
と答えたお仙は、またうつむいてしまいます。
客は次の間に進みました。
お仙はふるえながら、
「ですけれども」
「おう」
「ですけれども、あの、聞いてくれなかったら」
客はまた笑って、
「ハハハ、雑作はない。わしの……相良中将の妾じゃといえ」
「はい」
「まだなにかあるのか」
「それでも聞きませんときは」
「せん、なにを考えておる」
お仙はきつくわが胸を抱いて、倒れ伏して、ワッと泣きました。
「お暇をくださいまし、御前」