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お仙は蝋燭を手に台所へ行くと、金だらいに水を汲み、石鹸を揉みながら蛇のまとわりついた左の手を洗っていたところ、なにやら人のいる気配がしました。
気がつけば、すすり泣く声もします。ふとそちらに目をやって、それがだれだかわかると、手をのばして静かに戸障子を引きあけました。思ったとおり人影がサッと物陰に隠れたのを見ると、立ちいでて表をのぞき、
「お蝶さん」
と、声を落として呼びました。お蝶は顔をかくしながら、なにもいわずに忍び泣いています。
「どうしたんだい、お蝶さん」
と、やさしくたずねましたが、答えません。
「そんなに腹を立てるもんじゃないよ。もう許しておくれ」
とお仙がやさしくその肩に手をかけるやいなや、お蝶はワッと泣いて駆けだしました。お仙は庭ばきをひっかけるやいなや、すぐに追いかけます。井戸端でお蝶をひきとめると、いきなり抱えあげて、そのまま台所へ走って戻りました。板敷きに腰をおろして、膝のうえに横抱きされたまま顔をそむかせているお蝶の頬に、ちかぢかと口をつけて、
「もう許しておくれ、ね、お蝶さん」
と、帯のあたりを抱きしめました。
お仙のみぞおちのあたりに顔をよせたお蝶は、のぞきこむうなじにすがりつくと、
「私、私ゃ身投げをしようと思って」
と、声を震わせています。
お仙は汗ばんだ少女の背中をなでさすり、
「どうしたっていうんだね。もう、わけのわからないことばかりいって」
「だって、お嬢さまがかわいそうだもの。私、かわいそうでならないもの。姉さまがひどいんだもの」
と、声をうるませます。
「だからといって、お蝶さん、なにもお前が騒ぐことはないじゃないんじゃないの」
「いいえ、私ゃお嬢さまにこういったの。姉さまがいうことをきいてくれなきゃ、私、身を投げるって。約束をしたんだから。それにもう、姉さまのうちへ来ることができなくなったから、私ゃ悲しいんだから、それで、あの……」
「死ぬ気になったの?」
「うん」
といいながらお蝶は、お仙の襟の模様を指の先でつついています。
お仙はじっと抱きしめて、
「もう、もう、お前という子は、ほんとにそんなつまらないことで。だれが家に来ちゃいけないなんていいましたか」
「そりゃ姉さまはそうおいいじゃなかったけど、あんなに悪口をいって、もう来ないといったから、もう来させちゃあくれないと思って。私ゃ、ふん、お嬢さまをお泣かせするような、あんな意地悪な人のところへだれが行くもんかなんて思ったけれど、なぜだか急に逢いたくなって、それでも行けないと思ったらみじめな気持ちになって、あやまろうと思って、そっと裏まで来たんだけれども、姉さまがお入りといってくださらないから、私ゃ泣いていたんだよ」
「べつにかまうことなんかないから、入ればいいんだよ」
「それでも、ね、そうするとあやまらなきゃならないから」
「だったら、存分にあやまってくださいよ」
とニッコリすると、お蝶もニッコリして、
「だって、口惜しいわ」
「まっ、勝手な子ですこと」