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婚約破棄から始まる恋物語~一反木綿の呪いとともに~

作者:

 木綿。それは染まりにくく丈夫な生地。まるで、何者にも染まらない真っ白な君の性格そのもの。

 肌触りがよく清涼感があるというが、私は君に触れたことがないので、そこは分からない。いつか触れてみたいという願望があったが、それは心の中に秘めておく。

 私と君は、どうしても結ばれるわけにはいかない。


 君を守るため、私は君を傷つける。


 煌びやかな王城のホール。国の重要貴族が集まったパーティーに、この国の王子である私は重大な決意を秘めて参加していた。

 挨拶まわりにやってくる貴族たちを適当にあしらいながら目的の令嬢の下へ。

 私の存在に気づかず背を向けた姿。今日も変わらず麗しい。淡い水色と白いレースが映えるドレスを纏い、他の令嬢と談笑に花を咲かせている。


 春の日だまりのような空気を私は声だけで切った。


「コットン嬢! 君との婚約を破棄する!」


 チクリと傷む胸に気づかないフリをする。

 ざわつきとともに、レースを重ねたスカートの裾が床を滑りながら振り返った。


「シルク殿下!? どういうことですのっ!?」


 可愛らしい声が悲痛に染まる。

 コットン嬢の実家は広大な領地と農園を経営しており、綿花を始め、主要な作物からワイン用のブドウ畑まで。しかも、ここで作られたワインは質が良く献上品としても人気が高い。

 財力、影響力は国内有数。王家としては私にコットン嬢を嫁がせて、両家の結びつきを強くしたいという事情もある。


 それでも、私にはこの婚約を了承できない理由があった。


 何度も両親に訴えたが、そのたびに無視。このままでは結婚させられると感じた私は、有力貴族が集まったこの場で解決することにした。

 両親の説得が無理でも、他の貴族から多数の支持を得られれば状況を変えることができる、はず!


 この問題だけは!


 私はコットン嬢を指さして声を張り上げた。


「それは、君が一反木綿だからだ!」

「そんなっ!?」


 コットン嬢が顔部分の布を縦長に細くして衝撃を表す。そのシワの深さに私の身が削られる。

 幅30センチ長さ10メートルの白い布。さすがに10メートルは長すぎるので、今はぐるぐる巻にしてドレスの中に収めているらしい。


(布が王家に嫁ぐというのが間違っているのだ……私が王家の生まれであるばっかりに……)


 声に出さなかった思いを拳にこめて握りしめる。

 そこで周囲の囁き声が耳に触れた。


「こんな大衆の前で婚約破棄とは……」

「コットン嬢がお可愛そうですわ」

「どれだけ憔悴されるか……」

「倒れないか心配だ」


(……………………え? いや、ここは私に賛同するところではないのか!? 布が王家に嫁ぐなんて間違いだって)


 周囲からの冷えた視線。いや、冷えを超えてブリザード。ここは雪山だったのか!? 私は遭難中か!?


 視線だけで凍りかけている私にコットン嬢が震える声で訊ねた。


「……(わたくし)のどこがいたらなかったのでしょうか? 殿下に釣り合うような外見ではございませんが、他はできる限り努力して、誠心誠意お慕いしておりました。せめて理由だけでもお教えいただき……」


 最後は嗚咽を含んでいたため聞き取れなかった。顔の部分の布が俯き、はらはらと涙が零れる。


 その姿に全身を殴られたような衝撃が走る。もう立っているのも奇跡のような状態。

 しかも、周囲からはとどめを刺すばかりに(ひょう)を叩きつけるような冷たく強烈な視線。

 だが、ここで負けるわけにはいかない!


 私は目的を達成するために叫んだ。


「いや! よく考え…………って、考えるまでもないだろ! 一反木綿が王子の婚約者という時点で疑問を持つべきだ! そもそも、外交はどうする!? その姿で外交をするのか!?」


 私の言葉にコットン嬢がまっすぐ顔の部分の布をあげる。


「周辺諸国含めまして日常会話程度でしたら8ヵ国語ほど話せます」

「そっちの問題ではなく!」

「政治、経済から礼儀作法まで外交に必要な知識も身に着けました」

「そういうことではなく!」

「では、どういうことなのでしょう?」


 顔の部分の白い布をこてんと傾けるコットン嬢。その仕草が可愛らし…………って、違う! 違う!

 場を仕切り直すため軽く咳払いした私は演説をするように呼びかけた。


「王家の者がなぜ布と結婚をせねばならぬのだ!? 人ではなく、布と!」


 ここで皆の目が覚めるはずだった。なのに、返ってきた言葉はヒソヒソ声で…………


「お聞きになりまして?」

「王子ともあろうお方が布差別を」

「まさか、布差別をされるとは」

「今どき布差別を……」


 ブリザードから汚物を見るような目に。

 どんどん立場が悪くなってないか!? 布差別ってなんだ!? いつできた言葉だ!?

 いや、立場が悪くなることは婚約破棄をする時点である程度は想定していた。だが、これは想定とは方向が違いすぎる。

 頭を抱えたくなったところで臣下の一人であるポリエステル卿が進み出てきた。


「シルク殿下。連日の公務でお疲れなのでしょう。こちらを飲んで落ち着いてください」

「……そう、だな」


 あっさりと婚約破棄する予定だったのに、この状況。一度、作戦を練り直す必要がある。

 私は差し出されたワイン入りのグラスを手にとった。ふわりと芳醇な香りが漂う。その匂いにつられていた私は気づいていなかった。


 ポリエステル卿の目が鋭く光っていたことに。


 グラスに口をつけようとした瞬間、コットン嬢の声が耳を刺した。


「シルク殿下! お待ちください!」


 反射的にグラスを持ち上げていた手を止める。


「どうした?」


 私の質問にコットン嬢が顔部分の布をポリエステル卿に向ける。


「このワインの産地はどちらでしょうか?」

「え?」


 明らかに動揺するポリエステル卿。コットン嬢がポリエステル卿と距離を詰める。


「このワインのボトルを見せてください」

「な、なぜ……」


 ポリエステル卿がジリジリと下がる。そこにコットン嬢が迫った。


「なぜ、ボトルを見せることができないのでしょうか? 何かやましいことでもありまして?」

「そのようなことはない! これがボトルだ!」


 開き直ったようにポリエステル卿が近くのテーブルにあったワインボトルを突き出す。

 その瞬間、スカートのレースの裾から白い布が飛び出した。素早くワインボトルとポリエルテルの手をぐるぐる巻きにして縛る。


「何を!?」


 驚愕するポリエステル卿を無視してコットン嬢が私の方を向いた。


「シルク殿下。そのグラスを近衛兵にお渡しいただいてよろしいでしょうか? ワインには触れないように」

「どうした?」

「そちらのワイン。香りが違います」

「どういうことだ?」


 私の質問にコットン嬢が可愛らしい声のまま淡々と説明をする。


「本日のパーティーのワインは我が家の領地で製造されたワインです。ですが、シルク殿下がお持ちのグラスのワインは香りが違います。たぶん、我が家のワインではない、もしくは何かが混入されている可能性があります」


 布なのに、そこまで匂いが分かるのか!? 犬並の嗅覚なのか!? いや、それよりコットン嬢の布が! ポリエステル卿の腕に巻き付いて! なんて羨まし…………って違う! 違う!


 私の葛藤など気づかないコットン嬢が話を続ける。


「もし、ポリエステル侯爵がお持ちのワインボトル。一見すると我が領地で作られたワインですが、中身が違ったなら、この会場に納品、管理していた我が家の管理不足。ですが、シルク殿下がお持ちのグラスにだけ何かが入っているなら……」


 ワインをグラスに入れた者による犯行。そうなると容疑者は……


 全員の視線がポリエステル卿に集まる。

 ポリエステル卿が顔を青くして必死に叫んだ。


「違います! 私はたまたま近くにあったワインを注いだだけで!」


 私は近衛兵にワイングラスを渡して命令した。


「申し開きは後ほど聞く! ポリエステル卿の身柄を確保せよ!」


 兵が一斉にポリエステル卿を囲む。コットン嬢がポリエステル卿とワインボトルを縛りつけている布を緩めた。


 その瞬間!


「おまえが悪いんだ!」


 素早くワインボトルの蓋を開けたポリエステル卿が中身をコットン嬢にむけてぶちまけた。


「危ない!」


 私は考えるより先に体が動いていた。コットン嬢を引き寄せ、代わりに全身でワインを浴びる。


「シルク殿下!?」


 私は腕の中にいるコットン嬢を見下ろした。顔の部分にワインが一滴飛んでいる。


「すぐに拭き取ろう!」


 急いでハンカチを取り出そうとする私にコットン嬢が安心させるように話す。


「これぐらい大丈夫ですわ。木綿は色が染まりにくいんですの」

「だがワインは酸性だ! 木綿は酸性に弱いだろう!?」

「シルク殿下……なぜ、そのことをご存知で?」


 カッと顔に熱が集まるのを感じた私は、すぐに顔を背けた。


「た、たまたまだ! 決して、君のことを知ろうとしたわけではない!」

「シルク殿下……ウッ!」

「どうした!?」


 私の腕の中でコットン嬢の力が抜ける。コットン嬢が倒れないように支えていると、ポリエステル卿の下劣な声が響いた。


「殿下がご自身で言われたじゃありませんか。木綿は酸性に弱い、と。我々にはただのワインでも、木綿にとっては毒。しかも、吸水したら全身に回って手遅れになる。そもそも私の娘が布ごときに劣るわけないのた! 布のくせに殿下の婚約者になるなど!」


 ざまあみろ、と高笑いを残して連行されるポリエステル卿。


「そういえばポリエステル卿の娘は婚約者候補に上がっていたな。そうか。ワインに異物を混入させ、今回のパーティーのワイン管理の責任者であるコットン嬢の実家を陥れようとしたのか」


 視線を下げれば、コットン嬢の顔の部分の布に赤いワインが一滴。血のように盛り上がった大きな半円。しかし、じわりと布に吸収されながら広がっている。

 このままではワインが染み込んで取れなくなる!


「ワインが毒になるというなら、吸い取るまで!」


 私の決断にコットン嬢が力の無い声で拒否する。


「それはキスをするということで!? ダ、ダメです! 私にキスをしたら、呪いが……」

「呪い? ……まさか!?」


 呪いで姿を変えられたが、愛する人のキスで元の姿に戻る系か! だから、一反木綿に!


 瞬時に理解した私はコットン嬢の顔の部分の布に手を添えた。


「みなまで言うな。大丈夫だ、私がその呪いを解く!」

「解く!? そうではな……キャッ」



 ポンッ!!!!



 軽い音とともに白煙が周囲を包む。


(これでコットン嬢の呪いが消え、人の姿に……)


 高鳴る鼓動。まるで全身が心臓になったように拍動を感じ、体がふわふわと揺れる。


(人の姿になれば、外見の問題さえなくなれば……)


 私はコットン嬢のことは嫌いではなかった。むしろ一途に努力する姿に好意を持っていた。だが、外見だけは、どれだけ努力をしても変えられない。

 私の妻となり公務をおこなうようになれば、嫌でも外見について触れられ、好奇の視線に晒される。そのような状況に私が耐えられる自信がなかった。情けないが、守りきれる自信がなかった。


 だから、婚約を破棄して私は独り身を貫くつもりだった。


(しかし、外見の問題が解決すれば。堂々と外交がおこなえるようになれば……)


 ゆっくりと流れる白煙がもどかしい。早くコットン嬢の顔がみたい。


 白煙を吹き飛ばしたい気持ちを抑え、ひたすら耐える。



 そして、現れたのは――――――



 純白の一反木綿だった。


「は? 呪いは? 解除されたのでは?」


 コットン嬢の悲しげな声が落ちる。


「申し訳ございません。伝えるのが遅くなりまして。キスは呪いを解除するのではなく、伝染させるのです」

「伝、染……?」

「はい。つまり、シルク殿下も……」


 そういえば、体がいつもより軽い。立っているはずなのに足場が不安定で、まるで浮いているような……


 顔を横に向けると、大きな窓ガラスに真っ白な布が映って……


「私が一反木綿に!?」

「いえ。シルク殿下の場合は一反絹のようです」

「そこは問題ではないぃぃぃ!」


 私の叫びがホールを占めた。が、ここで私は重要なことに気がついた。


 私も同じ姿であれば、コットン嬢に集まる容姿の外聞や好奇の視線は私に集まる。この姿であればコットン嬢を守り、一緒に痛みを乗り越えることが出来る――――――


 私はコットン嬢の前に跪き、絹となった手を差し出した。


「コットン嬢。先程の婚約破棄を撤回させてほしい。自分勝手な虫が良い話だという自覚はある。君を傷つけてしまった。だから、一生をかけて償わせてほしい」


 真っ白な木綿であるコットン嬢が淡く桃色に染まる。

 私には永遠のように長く感じたが、実際は数呼吸ほどの時間をおいて、コットン嬢が返事をした。その返事は――――――




 こうして、一反国の始祖となった一反王子夫婦。この物語は永遠の愛の物語として語り継がれるようになった。




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