17 アメとムチ
部屋に家具はなく、巨大な男が仁王立ちしていた。彼が件の『ボルグ』という男だろうか。ただひたすらに圧力を感じる。飛びかかられたら、応戦するだけの余裕もないだろう。勝てない、そう感じさせるのにその圧は充分すぎた。
「貴様が、レイか」
「…ああ」
「修行についだ。まず、俺の言うことは絶対だ。走れと言われたら走れ。食えと言われたら食え。八日を一つの区切りとし八十日、ちょうど二ヶ月後に貴様が逃げ出さずに俺の指示に従っていたら、その時は今とは比べ物にならないくらい強くなっていることを約束しよう」
「強く…なれるんだな」
「ああ。だが一度でも逃げ出したら、俺はお前には関わらない。俺の仲間もお前を見放すだろう。お前のお友達はそれぞれ修行を受けているが、強くなるであろうあいつらに向ける顔もなくなるだろう」
「大丈夫だ。俺が逃げなければいい話だろ?」
冷や汗が伝う感覚。簡単なことではないことを、自分の何かが強く警告している。
「いい心構えだ。なら、早速始めるか」
自然と直立の姿勢になり、足が揃い背筋が伸びてしまう。
「返事は『押忍』だけだ!異を唱えるのは許さん!いいな!」
「押忍!」
「俺が帰っていいと言うまではこの部屋で生活する。もちろん誰とも会えないことを覚悟しておけ。分かったか!」
「押忍!」
「まずは走り込みだ、順路を案内する。ついてこい!」
「押忍!」
コースは短かったが、今後長くする予定だそうだ。
「よし、順路は把握したな。早速走り込みといこう。五周だ、行け!」
「押忍!」
五周なら楽勝だな。あんな顔してるけど…意外とぬるいのかもしれない。
「終わりました…!」
「よし、十分間休憩だ。終わったらまた五周走ってもらう。いいな」
「押忍」
想像以上にきついけど、耐えられる。あと四本だか五本だか分からないが、今日は少なくとも耐え切ってやる…
「ハァ…ハァ、終わりました…」
「六本目が終わったか。次は七本目だな。ペース落ちてるから、少し上げていけ」
まだ続くのかよ、キツすぎる…
「ゴホッ…ハァ…押忍…」
…十二本目が終わった、はずだ。いや、十三本目かもしれない。数えることなどできなかった。
「…ぞ!…て…もう…た…と…よ…もぅ…す…め!」
何を言っているんだ。とりあえず返事を…しなく、て、は…
こいつは、レイと呼ばれた少年はよくやっていた。ジミーとかいうでかいやつよりも御しづらそうでかなり手荒な手段を取ったが、きちんとついてきていることに驚きだった。
「終わりだぞ!立て!もう十五本走った、その歳にしてはよくやった。今日はもう休め!」
「……」
「返事!…落ちてるか。本当によく頑張ったよ、お前は」
そう言って小さく微笑むと、動けなくなったレイを抱えてボルグは部屋に戻った。
背中のあたりが暖かい。首から腰から全てが何かに包まれている感覚。なんだこれは…
「んん…ゴホッ…」
「目が覚めたか」
「ハッ!し、師匠!えっと、押忍!」
「慌てるな」
「えっとその、今は何時でここはどこで…ってベッド!?」
「慌てるなと言ったんだ!黙れ!」
「お、押忍…」
ボルグの怒声に、露骨に怯む。
「…とりあえず飯を食え。そこに用意してある」
言われてみれば、隣に飯が…多くね?え?なにこの芋の量、たくさんの水、干し肉まで。天国ですかここは?
「ぜ…全部いいんですか?」
「いいと言った。早く食え」
「押忍!いただきます!」
美味い…俺は一生この飯を忘れることはないだろう。
「ところでだ、レイ」
「はい?」
「お前は将来…何になりたい?」
「特には…ないですかね…」
「なるほどな」
そう言ってボルグは、窓の縁に体を預けた。
「これから、俺はお前を強くするつもりだ。しばらくの間は猶予があるが、お前に生きる目的を与えるという意図もある。向かう先のない拳には何の力もないからな」
すごい…そんなことまで考えていたとは…
「師匠…かっこいいです…」
「お前がカッコ良くなるんだよ」
「押忍っ!」
「…俺、師匠って呼べなんて言ったかな?」
誰にも聞こえない声で、ボルグはそう独りごちた。