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あした

作者: 西島地平

その人は、61歳のおじさんだった。小柄だが、しっかりとした足取りで歩いていく。スワンナプーム国際空港(バンコク国際空港)に着陸した飛行機から降り立って、まわりを見わたした。異国の地だと感じた。両腕をひろげて大きなあくびをした、見上げた空は青くすみわたり、日差しがまぶしかった。福岡から約6時間の空の旅だった。初めての海外旅行だった。

 空港からバスで市街地に行き、まっすぐ日本大使館に行った。若い日本人を探して声をかけた。

「旅行に来たものですが、しばらく携帯電話を預かってもらいたいのですが、よろしいでしょうか」

 そういう一時預かり所的なことはしていないと断られたが、なんとかお願いしますと、粘って粘ってあきらめなかった。

「君は、もしかして山田君じゃないか」

「いいえ、川田です」

「そうか、いや、ぼくは今年の三月まで高校の校長をしていてね、いや、長崎でね、五島という島なんだが」

「私は、栃木です」

「いやあ、似てるなあ、ハハハ」

 川田さんは、あきらめ顔になった。

「すみません、失くすのが心配でして」

 用意していた巾着の布袋を差し出した。糸で縫って開かないようにしていた。名前もはっきりわかるように書いていた。川田さんは、それをしぶしぶ受け取った。

 それから、北バスターミナルから遠距離バスで、国境の町、メソトに行った。約8時間の距離だった。

 最初に、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)・メソト事務所に行った。表から見て、中には入らなかった。入りにくい雰囲気だった。

 それから、おじさんは世界規模の大手銀行の支店に行った。正面玄関を入ってATMが置いてあって、そばに守衛が立っていた。

 日本語がわかる人を探して、守衛さんの前に付いてきてもらった。

「ときどき来るので、顔を覚えてください」 そう通訳してもらって、顔写真のついている名刺を守衛さんに渡した。その人が帰ったあと、キャッシュカードで引き下ろしてみたら、うまくいった。

 そして出口で、さっきの守衛さんにもう一度名刺を渡して、右目をウィンクして、右手でピースのサインをした。六十過ぎには似合わないと思ったが、他には日本的に相撲の四股を踏もうかとも思ったが、土壇場で出たのはこのポーズだった。

 守衛さんは、さっきもらったと、前の名刺を見せたが、おじさんは、何度も頭を下げて、どうぞどうぞ、と手招きした。守衛さんは今度の名刺の裏にお札がくっついているのに気づいて、ニコッと笑った。

 そこで、おじさんは、もう一度、ウィンクとピースのサインをセットでやった。

 メソトの人口は、公称約3万4000人だが、実はその数倍のミャンマー人が飲食店や工場で働いている。不法入国は絶えないが、ミャンマーの安い労働力をあてこむタイは、見て見ぬふりが実態という。市場ではビルマ語が飛び交い、ミャンマーの腰巻ロンジーが珍しくない。

 ミャンマー人が街にとけ込んでいるメソトは、ミャンマーを脱出した民主化運動家や少数民族の拠点でもあった。

 メソトから西に約7km、タイとミャンマーを隔てるモエイ川が流れている。対岸にはミャンマーの大地が広がる。川幅10メートル程度の場所もあり、浮輪に乗ったミャンマー人たちが、頻繁に川を行き来していた。片道20パーツ(約70円)で、浮輪を引っ張ってくれる。そばの入国管理局は通らない。

 メソトから車で約一時間のメラ難民キャンプ、4万人以上が暮らし、3つの病院と15の学校を抱える、この国最大のキャンプである。

 そこは、ミャンマーとの国境地帯の難民キャンプだった。タイの難民キャンプに収容されている約14万人の大半は少数民族だ。軍と反政府武装組織の戦闘などで逃げてきた。

 おじさんは、メソトからそこまで一人で歩いた。リュックサックを背負って、巡礼者のように歩いた。歩きながら、ここまで来た、その過程を振り返った。

 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

 今年の三月に定年退職した。ベビーブームにわいた団塊の世代だ。

 送別会の席で、おじさんは懺悔した。

「私は、教員の最後を校長としてこの二年間、生徒に一生懸命接しました。しかし、子どもたちの心がまったくわかりませんでした」

 会場は、沈痛な雰囲気になった。話し終って、現役の先生たちに話すべきではなかったと後悔した。しかし、口に出してしまうほど、この事実は重くのしかかっていた。退職してから、何をしようかとは考えもしなかった。いつも彼らのことで頭がいっぱいだった。

 ――おれは、子どもたちを助けてやれなかった。誰も理由がわからないにせよ、原因がわからないにせよ、苦しんでいる子どもたちの力にさえなれなかった、心を開いてもらえなかった。おれは、教育者として、子どもたちのことを理解できなかった。

 そのことが、頭から離れなかった、もう終わったんだと、割り切ることができなかった。

ある日、自宅で<世界の貧困削減募金>のダイレクトメールが、目についた。案内と振込用紙が入っていた。写真の子どもたちの笑顔に、なんともいえない輝きがあった。<アフリカ地域緊急援助募金>のもあった。

 そして、片方には、海外旅行のパンフレットがある。毎日のように、旅行会社から送られてきた。北米、南米、北欧、西欧、オセアニア、アジア、中近東、アフリカ、自然や街並みやホテルのきれいな写真が並んでいる。

 地球上の60億人の人間が、生まれた場所の違いだけで、違う生活をしている。同じ人間が、どうしてこんなにも貧富の差をつけられるのか、おじさんの思考は、この一点に集約された。

 世界の人たちのことを知ろうとした、今までしたことがないことだった。国の人口は知っている、場所もある程度は知っている。しかし、自問してみれば、何も知らないに等しい。

 紛争の地域、独立の歴史、貧困にある人たち、栄養失調や予防できる病気にある人たち、国を離れて難民となっている人たち、何一つ知らない。おじさんは、「難民」という文字に、深い悲しみをもった。祖国を離れて、そして避難生活をする、その人たちは、どんなにつらい気持ちだろうと思った。

 本やインターネットで、それらの情報を得ようとした、しかし、実感はわかないし、もどかしさがつのるばかりだった。

 おじさんは、一人で準備をした。出発の前に、妻に話した。

「難民キャンプに行ってくる」

「何をするんですか」

「何もしない、見てみたいんだ」

「はい、わかりました、今までもそうでしたから、どうぞ、お好きなように」

「すまん」

「娘の結婚費用だけは、お願いしますね」

 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

 そして、ここまでやってきた。歩く足取りがおぼつかなくなっていくのを感じていた。不安と怖さが襲ってくる。

 メラ難民キャンプに着いた。

 目の前の平原に、遠くまで連なるおびただしいテントの数が広がった。そして、山腹には、張り付くように家が立っている。

 すべてが初めてという感覚と感情で、からだがいっぱいになった。同じ地球の、同じ人間の、同じ集落だということはわかっている。しかし、この未知の場所へ入っていくような思いは、いったい何なんだろう。

 自分は、この六十一年間、真摯に生きてきたという自負もある。しかし、この震えるような、脅えるような思いは、それをすべて打ち負かされるような感じがする。

 しかし、思い直した、覚悟はしてきたはずだ、準備はしてきたはずだと。そして、自分は、人間を、そして人生を教えてもらいに来たんだと、知りたいんだと。

 おじさんは、キャンプの近くで野宿の準備をした。そこから、しばらくキャンプの様子を見ようと思った。

 リュックサックに入れてきた食事をして、寝転がっていると、頭から目指し帽をかぶった男たちが現れた。おじさんは、びっくりして起き上がり、ぐるりとまわり見た。

(五人か) と思った瞬間、殴りかかってきた。

 チッチッチッチッチッと小鳥の声が聞こえた。木漏れ日が目に入った。ウーンとうなって頭を上げようとしたら、ズキッと体じゅうに痛みが走った。頭を地面にゆっくり戻して、仰向けになった。

(生きてる、大丈夫だ) まずそう自分に話した。

(血は流れていない、骨折もなさそうだ)

 おじさんは、身ぐるみ剥されて、パンツ一枚の格好だった。おじさんは、パンツに手をあてた。パンツの内側にポケットを縫い付けて、そこにキャッシュカードを入れていた。それはあった、よしっ、と思った。

 それらのことを済ませて、そしてゆっくり目を開けると、小さい男の子と女の子の顔が見えた。心配そうな表情をしている。おじさんは、笑って起き上がろうとしたら、腰に激痛が走った。また仰向けになった、パンツ一枚の姿が恥ずかしかった。

 二人がいなくなって、しばらくして大勢の大人の人がやってきた。

 腰の痛みは、持病のギックリ腰だった。しかし、その説明はできない。そのままタンカに乗せられていった。

 おじさんを見つけた子どもの家に運び込まれた。そこは、四人家族で人が少ないということも理由だった。家の中に入って、木のベッドに寝かされた。

 みんなが帰って落ち着いてから、おじさんは父親に言った。

「ジャパン」

発音が通じるかどうかわからなかった。おじさんは、パンツの内ポケットの中に一枚の紙切れも入れていた。それに、ビルマ語を書いていた。

「チャノウハァ ジャパンルミョウパァ(私は日本人です)」 おじさんは、自分を指さして言った。

 父親は、笑ってうなずいた。

「チェーズーティンパァデェ(ありがとう)」 おじさんは、頭を下げながら言った。

 お母さんが、お父さんと子ども二人と、自分と、そしておじさんの五つのお椀に均等に食べ物を入れた。

 女の子が、何かひとこと言ってお椀を差し出した。おじさんは、ベッドの上で上半身を少し起こして、両手で受け取った。そして、ニッコリ笑って頭を下げた。言葉はわからないが、想像はつく。

 おじさんは、お椀の中の食べ物をペロッと食べてしまった。食べ終ってみんなを見たら、両親も子どもたちも、みんなおじさんを見て笑っている。

 おじさんも苦笑いをしたが、恥ずかしかった。みんなは、ゆっくりと食事をしていたからだ。

(おれをミャンマーの民主化運動の活動家だと思っているんだろうか、反政府運動の外国人の支援者と思っているんだろうか) おじさんは、そんなふうに思った。

 一週間が、またたく間に過ぎた。

 男の子の名前は、ヤヤで10歳、女の子は、ルルで5歳だった。二人は、指の数で歳を現した。

(おれの歳だったら、このくらいの孫がいるんだろうな) そう思った。そして、両親は自分の子どもと同じ歳ぐらいだろうと思った。

 ベッドに寝たまま食事をもらい、安静にしていて、ギックリ腰もよくなってきた。

(おれは、笑うことと頭を下げることしかできない) そう思うと、悲しくなった。でも、この子たちも両親もとてもやさしい、その笑顔を見るだけで、幸せな気持ちになる。

 何も言わないけれど、おじさんと目と目が合うといつも笑う。

言葉が通じないからじゃない、四人の様子を見ていれば会話はほとんどない、笑い合うだけだ。

「ルル」 おじさんは、思いきって呼んでみた。ルルは、おじさんを見て笑った。おじさんも笑った、照れ笑いだった。それ以外の言葉は知らない。

 ルルは、いつもヤヤにくっつくようにそばにいる。ヤヤも、ルルを守っているようなしぐさに見える。

 朝早く起きて、お母さんは食事の支度をする。食事が終わると、お父さんとお母さんは町へ仕事に出かける。

 ヤヤは、週に三回、午前か午後の半分だけ学校に行く。学校が足りないから、登校の時間を分けていた。ルルは、まだ学校にいく年齢ではなかったから、学校のそばで遊んで待っていた。昼食はヤヤがつくった。そして、夕方お父さんとお母さんは仕事から帰ってきた。

 電気も水道もない、もちろんテレビも冷蔵庫もない、人間の文明が後戻りした状態だ。そんな生活を何万人もの人たちが強いられている。そして、先進国の人たちの豊かな生活を支えている。

 水は、川の水をくんでくる。火は、焚き木を拾ってくる。明かりは、かまどの火の明かりと、ろうそくの明かりだった。

 家族四人が、寄り添うようにわずかの時間を楽しんでいる。その会話や笑い声を聞いていて、おじさんはうれしさで胸がいっぱいになった。何を話しているのか、わからないけれど、お互いを思いやっていることはわかる。

 この人たちの生きる力は、何なんだろうか? 大人たちの生きる支えは何なんだろうか? そして、子どもたちは何を心に抱いて生きているんだろうか?

 おじさんは、そんなことを考えた。しかし、答えを知りたいとは、そんなに思わなかった。わからなくてもいい、すばらしい人たちを知っただけでいい、そんな気持ちだった。

 この子たちと日本の子どもたちの目の輝きは、違うんだろうか? 日本の子どもたちの方が、変わったんだろうか?

 日本では、少子化が止まらない、社会の中で、子どもたちの姿がどんどん減っている。日本の大人や親は、子どもを必要としていないのだろうか。子どもの純粋な心にいつも接していたいと思わないのだろうか。物が豊かで、快適な生活が、そんな心にしているのだろうか。

 そんな考えが、ふっとうかんだ。今まで、思いもつかなかった考えだった。

 ルルが一人で退屈そうにしているのを見て、おじさんは右肩を鼻のところにくっつけて、腕をゆっくり左右に振った。そして、「ぞーうさん、ぞーうさん」 と歌の出だしを歌った。

 ルルが見ていて、「ぞーうさん」 とまねをして笑った。

 この国では、ゾウが身近な動物だと思ったこともあったが、おじさんにはもう一つ、ゾウに対する忘れられない想いがあった。

『ぞうさん』  まど みちお作詞、團 伊玖磨作曲の童謡である。

 おじさんの娘が、以前母の日に、この歌を色紙に書いて送ってきた。お母さんは、うれしいと涙ぐんだ。そのことを、おじさんは娘に携帯からメールした。返信メールが届いた。

《この、お鼻が長いのは、この子のからだの変わっているところを、いっているんじゃないかと思う》

 おじさんは、返信した。

《そうかもしれないな、もしかしたら、逆にいいとこかもしれないな》

《そうか、そうともとれるね》 と、また返信がきたが、おじさんは、いや娘のほうが合っているだろうと思った。そして、自分はこの歳になるまで、そのことに気づかなかったと、しんみり思った。

 こんなにも、子どもが母親を慕う心が、日本の昔にはあったんだと思った。

 朝、目が覚めて、きのうと何も変わっていないことがわかる。またきのうと同じつらい一日が始まるんだと思う。しかし、親は、子どものためにがんばろうと思う。子どもは、そんな親をどこまでも慕いこがれる。

 ある日、父親が援助物資をもらって家に帰ってきた。母親も子どもたちも、いっぱいの笑顔になって喜んでいる。

 おじさんは、今まで、差し出す方も、受ける方も、顔が見えない援助だと思っていた、そこが不満だった。しかし、受ける彼らは、深い感謝の気持ちをもって受け取っている。

 ご飯一杯を、一切れのおかずを、ありがたく頂いている。見ていて、それがわかった。

(おれは、何もわかっていなかった、何も知らなかった) 情けない気持ちがした。

 おじさんが外を散歩していると、広場にトラックが来て、村の人たちに援助物資を配っていた。誰一人奪いあうことはしない、大人が子どもへ、上の子が下の子へ、先に渡している。五つもらったら、自分は一つ、後の四つは他の人に渡している。

(おれは、蔑視していたんだ、そうだろうと簡単に思っていた、お金があるなしの違いだけで、知ろうともしないで) 自分がつまらない人間に思えた。

ルルやヤヤを見ていたら、なんとも言えない幸せを感じる、喜びがわき出てくる。この村の、他の子どもたちもそうだ。

 発展途上国や難民キャンプには、子どもが多い、なぜだろうと思っていた。いま、それがわかるような気がする。

(大人や親は、子どもたちを必要としているんだ)

 子どもは、何ももっていない、何も確信がない、それでも、あしたに夢をもつことができる。

(そして、子どもたちの純粋な心を、いつも感じていたいんだ)

 純粋な心は、あしたに、いっぱいの夢をもつ。きょうがどんなにつらくても、あしたには夢をもつことができる。

 大人や親は、子どもを必要としている、そして大切に育てている。子どもといっしょに、あしたに夢をもとうとしている。

 この村の人たちは、何にも打ちひしがれることはない、何にも怒ることはない、すべてを従順に受け入れている。

 持っているものが少なければ、何が一番大切なものか考えると思う。そして、正しい答えをみつけれると思う。

 おじさんは、家の中でも、外を歩いても、退屈と感じることはなかった。いろんな考えや思いがうかんでくる。そして、この村の人たちのやさしいまなざしやほほ笑みをもらっている。

 少数民族の反軍政組織幹部が、メソトで暗殺された。政府軍のスパイが、キャンプに侵入してきた。村全体に、緊張が走った。

 夕食の準備が終わった頃だった。ダダッと、三人の大人が家の中に入ってきた。三人とも小銃をもっている。おじさんを入り口まで引っ張り出した。ヤヤとルルがすっと立ち上がった。

 三人が、代わる代わるおじさんを見定める。

 ヤヤもルルも、すごい眼差しだ、命をかけている、それがわかる。それがおじさんを震わせた、スパイに対する恐怖感はなかった、憤りでいっぱいだった。そして、自分のために、家族をこんな危険に合わせてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 スパイと父親が話をしている。父親にも、怒りがみなぎっていた。母親も、そのうしろで身構えている。

 そして、三人は出て行った。家族がおじさんを見た。おじさんは、立ったまま両手を膝の上において、深く頭を下げた。家族は何度もうなずいて喜びを現した。

 おじさんは、ヤヤの教科書を見て、ヤヤに算数を教えた。おじさんは、数学の教諭だった。数字や記号を書いて謎解きみたいにしていくと、ヤヤは驚きと喜びの表情をした。ヤヤは、ビルマ数字と0123のアラビア数字を習っていた。おじさんは、足し算、引き算、掛け算、割り算を教えた。ヤヤは、生き生きとした目をして、夢中になって数字の変化の過程を見ていた。

 ある日、おじさんが一人家にいるときだった。

 ネズミが一匹、目の前を横切って歩いていった。おじさんは、そのネズミの速さで、走るというより歩いていくように思った。そしてネズミはちょっと止まって、おじさんに一べつをして、さっといってしまった。おじさんは、ドキッとしたが、ふっと思った。

(ネズミ、・・小僧) これだ、と思った。

 ――お金を、家の中に投げ入れる。

 しかし、どの家に置いてくるかだ。おじさんは、また考え始めた、思案をめぐらした。

(みんなで分けるだろう) ふっとそう思った。

 みんな同じ貧しい生活をしている、どの家にお金が入ったとしても、みんなで少しずつ分けるだろう。これまでもどこかの家が何かの理由で苦しいときは、どこかの助けてやれる家が助けてやったはずだ。

(そうだ、分けるはずだ)

 しかし、違うかもしれない。おじさんはまた迷った、数日そのことを考えた。

 ――おれは、この村の人たちを試そうとしているんだろうか、いや、おれにはそんな気持ちはつゆほどもない。それは、何度考えてもないと言える。

 ある日、近所の奥さんがやってきて、ここの奥さんから何かもらっていた。帰るときに、おじさんに「ミンガラーパー」とあいさつをした。おじさんも、「ミンガラーパー」とあいさつをした。こんにちは、のビルマ語だ。

 日本でも、昔はこういう風景があった、自分ははっきりとは記憶がないが、あったはずだ。物が足りないときは、お金がないときは、近所でお互い借りていたはずだ。

 おじさんは決断した、やってみようと思った。

 次の日、おじさんは朝早く起きてメソトまで歩いた。そして、最初に行った銀行の前に立った。

 薄汚れた身なりで怪しまれるのはわかっていた。玄関の自動ドアが開いて一歩中に入ると、立ち止まって守衛さんを見た。そして、右目のウィンクと右手のピースのサインを同時にやった。いぶかしんだ守衛さんの顔が、ニコッと笑った。

 それを見て、おじさんはATMの前に進んだ。お金を引き出して備え付けの袋に入れて、胸の肌着の下に押し込んだ。そして、帰り際にもう一度守衛さんに向かって、「ピース」 とポーズをとった。守衛さんも、小さくピースのサインを返した。

 玄関を出て、しばらく歩いて立ち止まった。フーと大きくため息をついた。そして、また歩き出した。

 雑貨屋で、ビニール袋と輪ゴムを一束買った。そして、家路を急いだ。

 両親が仕事に出かけた後、ヤヤとルルの見ている前で、おじさんは行動をし始めた。

 紙幣をたたんで輪ゴムでしばり、小石一個といっしょにビニール袋に入れた。そして、袋の上をひとしばり結んだ。そして、二人においでと手招きして、家の外に出た。そして、入り口から二、三歩離れて、下手投げでビニール袋を家の中に投げた。ビニール袋は、入り口から家の中にドスンと入った。

「イエーイ」 おじさんは、思わずヤヤとルルにピースのサインをした。

 ヤヤとルルは、声を出して笑った。

 それから、おじさんは他人に話すジェスチャーをして、両手でバツの形をした。お父さんとお母さんのまねをして、同じくバツの形を示した。そして、三人で肩をくんで、三人だけというジェスチャーをした。そのおじさんの真剣な表情に、ヤヤとルルも何度も真剣な顔でうなずいた。

 ヤヤの学校の休みの日、三人で出かけた。近くの、なるべく小さい家を選んだ。

 おじさんは、ヤヤに用意してきたビニール袋を渡した。そして、その家を指差した。ヤヤは、真剣な顔でうなずいた。ヤヤもルルも、このお金の額はわからないだろうと思った。でも、自分たちがしようとしている意味は、わかっていると思った。

 次の日の夕食に、肉料理が出た。みんないつもより笑顔がいっぱいになった。食事をしながら、お互い顔を見合わせてうれしそうな顔をした。

 おじさんは、よかったと思った。

 翌日、近所を歩いていて、何か明るい雰囲気を感じた。

(配られている) おじさんは確信した。

 いつもより一品増えた食事が、三日間続いた。そして、またそれまでの食事に戻った。

(おれは、彼らにお金を与えるのではない、彼らにお金を返すんだ、このお金は彼らのものなんだ)

 おじさんは、唇をかみしめてそう思った。

(おれは、この歳まで生きらせてもらっただけで十分だ)

 次は、この前と反対側の家に投げ入れた。今度は、ごちそうは出なかった。おじさんは、それを逆に喜んだ。

(この前と違う人たちが受け取ったんだ)

 だんだんと、家から遠くのほうへ行った。あるときから、おじさんはいっしょに行かず、地面に地図を描いて、ヤヤと打ち合わせをした。

 ヤヤは、ルルを少し離れたところに居させて、見張りをさせた。ルルが大きくうなずくと、ヤヤがさっと走ってめざす家の前に行って、袋を投げ入れた。そしてルルのところに行って、二人で帰ってくる。人が来る気配を感じたら、二人はさっと身を隠した。その動作はすばしっこい。

 おれのしていることは、大海の一滴にすぎない。そう思うと情けなくなるが、それでもやりたい気持ちはなくならない。そして、それ以上は深く考えないようにした。

(おれの頭じゃ、しょうがない) そう思った。

 そして、村の様子が何事もなかったように過ぎていった。それが怖いぐらいに思えた。貧しさの深さを知らされたようだった。

 ――ずっと先のことを考えたら、欲が出る。あしたのことを心配したら蓄えようと思う。きょうを生きて、あしたのことは心配しない、そんな気持ちなんだろうか。

 おじさんとヤヤとルルの、行動は続いた。見つかったら、難民事務所にいけばいいと思った。そこに寄付すればいいと思った。ヤヤとルルは、ずっと遠くの家に入れていった。一度も行ったことはない場所でも、臆することはなかった。


 そして半年が過ぎた。ヤヤとルルは、ビニール袋を家やテントの入り口に投げ入れるところを、一度も人に見られることはなかった。二人に何のうわさもたたなかった。おじさんは感心した、そして、このキャンプの人たちをすばらしい人たちだと思った。

 お金を置いた家の人が、それを持って町へ引っ越しして行くかもしれないと思ったこともあった。そんなことは、露の一滴もなかった。そんなことを考えた自分の心を醜いと思った。おじさんは、その夜は一睡もしないで、人間のすばらしさをじっと感じていた。

 ――おれは、一度も飢えを経験したことはない、一度もあしたに生きる不安をもったこともない。この人たちの上に、おれはいる。人間は、お金のあるなしでピラミッドを形成している。この人たちの上に、裕福な人たちがいる。

 この底辺の人たちの苦しい労働と生活の犠牲によって、おれたちの生活が成り立っている、おれたちの贅沢ができている。

 国連の調査で、いろんな数字が出るけれど、正確な数字はわからないだろうけれど、ピラミッドの形だけは、まちがいはない。人間の社会は、人口が増えた分、大きくなってきたけれど、ずっとこの形だった。

 彼らの目の輝きは、どこからくるのか、――あした、だ。あしたの夢だ、あしたの幸せを、心にいっぱい抱いているんだ。

きょうがどんなに苦しくても、あしたはわからない、あしたは誰もわからない、あしたを信じて生きている。

 この人たちを見ていたら、そう思う。そんなふうに考えていると思う。意識としては、思っていないかしれないけれど、そんな生き方をしていると思う。

 きょうは、もうしょうがない、どうしようもない、でもあしたは何か変わるかもしれない、あしたはいいことがあるかもしれない。

 ――おれは、生徒の将来のことばかり考えて、生徒のあしたのことは考えなかった。いっしょにあしたのことを話さなかった。あしたに不安をもったら、もう子どもの心ではなくなるんだろう。おれは、ずっと先のことばかり押しつけて、子どもたちのあしたを奪っていた。

 散歩する近所の、ある家の軒下に、ツバメが巣をつくっているのを見つけた。しばらくすると、ヒナが五匹並んでいた。親ツバメが餌をくわえてもどってくると、ヒナはいっせいに大きな口を開けて、餌をもらおうとする。

 おじさんは、必死に生きているなと胸がいっぱいになった。

 ――五匹とも同じぐらい餌をもらえるんだろうか、ヒナも親ツバメも、そんな心配はしないんだろうか。そんなことを考えてしまった。

 ATMに、入力した引き出す金額がないという、エラーの画面が出た。おじさんは、これまでずっと残金を見ないようにして、お金を引き下ろしていた。

(終わった) と思った。預金がなくなったのだ、いつかはこの日がくると覚悟はしていた。

 日本語がわかる人に、下せるだけの金額を聞いて、それを下ろした。玄関を出る前に、いつも笑って「ピース」を返してくれる守衛さんに、おじぎをした。心の中で、お礼とお別れをした。

朝、まだ暗いうちに、おじさんは起きた。そっと、トイレにいくように外に出た。そして入り口に、用意していたビニール袋を置いた。

 メソトに向かって歩きながら、どうしようもなく涙があふれた。わんわん泣きながら歩いた。こんな別れ方しかできない自分が情けなかった。

(おれは変わったんだろうか、・・・変われるんだろうか、・・・いや、変わりたい) そう思った。

 人間の社会の、底辺の貧しい人たちが一番多いのなら、その人たちの生活が本当の人間の生き方なんだ。いま、すなおにそう思う。

 同じ人間だと思うのなら、同じ生活ができるはずだ、同じ生き方ができるはずだ。おれは、この人たちと同じ生き方をしていく、きょうは何もなくても、あしたに夢を抱いて生きていく、あしたのために生きていく。きょうを生きること以外、何ももたない、何も欲しない、地位も、名誉も。上は見ないで、そこで生きていくんだ。

 きょう何ももたなくても、あしたのことは心配しない。あしたのことは、誰もわからない、あしたはいいことがあるかもしれない。

 日本にも、あしたの風ということばがあった、戦後の貧しいとき、人々はそう思ったはずだ、あしたはあしたの風がふくと。誰もがそう思って生きてきた時代があったんだ。

 メソトに着いて、バンコク行きのバスターミナルに行った。切符を買って外に出ると、ルルとヤヤ、そして両親が立っていた。父親が一枚の紙切れを手渡した。

《代筆します、たくさんのお金をいただき、ありがとうございます》 そう日本語で書いていた。

 いつものように、おじさんは笑って両親に頭を下げた。

「ルル」 おじさんが呼んだ。

 ルルが、おじさんの前に歩み寄った。

 両手で、脇をもって高く上げた。下から見上げるおじさんに、ルルは子どもの目をした。日本の子どもの目をした。

(ああ・・)

 おじさんは、ルルを下ろした。思わずした行動だった、ルルに初めてした抱きかかえだった、そして何かがわかった気がした。

「ヤヤ」 おじさんは、ヤヤを見て言った。

 ヤヤは、いつもの笑顔をした。

 そして、両親に頭を下げた。両親も笑って頭を下げた。

 バスの中のおじさんに、四人はいつまでも手を振っていた。おじさんも、窓からからだを出して手を振った、四人が見えなくなるまで手を振った。

 空は青くすみわたり、風はやさしくふきわたり、日差しが地上のすべてのものに等しくふりそそいでいた。




              ( 余 録 )





 おじさんは、日本大使館の門の前で、(わざと)倒れた。守衛がすぐにそばに来て、続いて中から職員がかけつけた。

「旅行中に追いはぎにあいました、何もかも盗られて、ここまで飲まず食わずで、歩いてきました」

 川田さんも、心配そうに見ていた。

 携帯電話を受け取って、電源に繋いだ。巾着袋の中には、紙幣とパスポートも入れていた。

 最初に、娘に電話をかけた。

「もしもし、お父さん、お父さんね」

「そうだ、ハハハ、」

「ハハハじゃないわよ、心配かけて」

「ごめん、ごめん」

 娘への最後のメールに、銀行のインターネット取引きの暗証番号を書いていた。それで出入金の明細がわかる。

「下ろしているのが、お父さんってわかったか?」

「わかるわよ、毎月、おじいちゃんの月命日の日に下ろしているんだもの」

「わかってくれてたか」

「そして、残金がなくなったから、帰ってくると思ってた」

 電話から聞こえてくる、娘の明るい声が救いだった。

「それで、・・つまり」

「わかってる、結婚資金はないということで、わかってます、うふふふ、わたしはお父さんの子よ」

「すまんな」

 電話を切って、目を閉じた。

(自分の両手で持てるだけのものを持って、自分の両足で歩けるはやさで歩いていこう、そんな生き方をしていこう)

 おじさんは、そう自分に言った。

 朝、目が覚めて思う、何も変わっていない、つらい一日が始まる。でも、あしたのためにきょうを生きるんだ、あしたはわからない、あしたはよくなるかもしれない。




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