花嫁の座は我にあり
パソコンの不調で遅れました。すみません。
闇祭り。それはこの町の風物詩とも言える月祭りの裏側で開催される不可視達のお祭りだ。取り仕切るのはこの世界唯一となってしまった妖怪、月喰。彼女の許可なしに参加はおろか会場に入る事もままならないが、俺だけは例外である。
路地裏に入って引き返すだけ。それだけで侵入出来る。
贔屓されている様に見えるなら正常だ。実際、贔屓されている。何せ俺は花婿だ。贔屓されない方がむしろ不自然である。
『いずれは坊の住処になるのだから出入り出来ないのは格好がつかない』とは彼女の弁だが、ちゃっかり自宅を移転させようとする辺り、あの妖怪は独占欲が強い。性欲は言わずもがな。
「……あッ」
俺が露骨に煩悩を持て余している理由が分かった。昨日のせい、というのは語弊がある。正確には月喰との接吻で指輪が広がってしまったからだ。
彼女は言っていた。この指輪は理性を解放し雄としての力を強くすると。だからたまに夢で莢さんを襲っているのか。とんだ大迷惑である。
だが『幾万と孕ませられようとも歓迎するぞ』と言ってのける彼女に付き合うにはそれくらいの力がないと駄目なのかもしれない。
迷惑とは言ったが、満更でもないと考える辺り俺は本質的にスケベだ。もしくは指輪の力が強すぎるのか。
不可視達の居ない会場を進み奥の鳥居を潜り続ける。最初に訪れた時は不気味そのものだったが慣れてくると趣深いものである。以前とは違い無限ループにはなっていない。五分程で月喰の住う森に辿り着いた。
「月喰ッ」
「……おお、誰かと思えば坊か」
精々二ヶ月。彼女の外見は全くと言っていいほど変わっていない。銀髪だったのが黒髪に変わったくらいだが、それも彼女に言わせれば『人が髪型を変える様なもの』らしい。
俺の来訪に月喰は淫猥な笑みを浮かべて歓迎した。立ち上がると、重力によって生地が垂れ、着崩された着物によって谷間から臍までが露わになる。それより下は紐か何かで軽く留められており、彼女が妖怪でないのなら何かの拍子に解けてしまいそうだ。テレビだったら放送事故である。
露出度の高い理由は月喰という女性を知っていれば言うまでもない。
「ここを訪れたという事は、腹は決まったか。気に病む事はない。トコヤミではなく我を選んだ坊の判断は正しいぞ」
「いや、そういう訳じゃないんだけ―――ど!?」
命様との違いはズバリ胸の柔らかさ―――ではなく、物凄く強引な所だ。何かに足を掴まれたかと思えば、それは泥になっていた月喰。視線が下に移動した頃には既に泥は俺の背中まで侵食し、やがてよく知る女性の姿になった。
「坊。何か我を頼る事案はないか? 貴様の雄の匂いにが日増しに強くなっているの感じる。今の坊に足らぬのは素直さだ。もう意地など張らず受入れてしまえば良い」
「そ、それはずるくないかッ」
背後から着物の内側に入れられたらもう逃れる術はない。背後から頭を包み込む至福の柔らかさと、そこから生じる体温。身体が限りなく密着する事で出る汗からは生理的に快い匂いを感じる。
その魔性ぶりは比べるべくもないが、コタツの魔力に近いと言えば中々の人数が理解してくれるのではないだろうか。
「はあ……坊の匂い。我は好きだ。婿に相応しい雄々しさよ。混ざり合って一つとなり、子を成し、それでも尚、我の本能を擽る。坊より先に我が我慢出来なくなりそうだ」
「月喰ッ。俺……今日はお礼を言いに来ただけなんだよ!」
「礼? 言葉の礼は不要だぞ。どうしても礼をと言うなら体で……」
「ど、どこ触ってんだよ!」
やめろとは言えない。快楽には抗い難いのだ。このまま悪戯され続けると本気で爆発しそうだったが、頃合いを見て彼女が離してくれたので事なきを得た。
離したと言っても誘惑をやめただけで、俺から距離を取った訳じゃない事に留意したい。
「……有り難う。ってこのお礼は関係ないからな。実はさっき茜さんから聞いたんだけど、俺の妹……見つけたんだって?」
「ああ、それか。気にする程でもあるまい。坊の幸は我の幸。祭りの時まで呼ぶ事は出来ぬが、花嫁としては当然の行いだ」
清華の事情は一口では語れないが、俺以上に振り回された人間と言っても過言じゃない。鬼妖眼から始まった事とはいえ、最後はメアリの手で『再定義』を消されて居なくなってしまった。再び眼を貰う頃にはすっかり居なくなってしまったので、もう会えないのだと思っていた。
それでも仕方ないと割り切ってもいた。平和に犠牲は付き物だ。例えばメアリが俺との友人関係を引き換えに不可視の存在含めて全ての存在から認識されなくなってしまった様に。彼女が服を買いたいと俺を誘ったのは一人で購入しようとしても万引きになってしまうからだ。
なので服やら下着やら俺が代わりに買っている。店員は俺を変態と思っているかもしれない。『やんごとなき事情で下着を買わされている』設定で独り言を言い続けて凌いでいるが、そろそろ不審者認定されてもおかしくはない。
皆が皆ハッピーエンドはあり得ない。そう割り切って今を生きていたのに。
「それでも嬉しい。有り難う月喰。お前が居てくれて良かった」
「そこは愛してると言ってくれた方が嬉しいぞ、旦那様?」
「はあ!? ……あ、愛してるぞ月喰」
着物の内側に手を滑り込ませて、その肉体を抱きしめる。理性の枷はまだ外れきっていないので、今の俺にはこれくらいしかしてやれない。
「…坊の気持ち、しかと受け取った。ククク。これでトコヤミとの戦いでは我が一歩先だな。此度は帰還しても良いぞ」
「そういう事言われると変なオプション勝手にやった俺が馬鹿みたいじゃないですか。この感じだとまた二人の喧嘩に巻き込まれますよね?」
「神と妖の両名から求められるとは罪な雄だな、貴様は」
「嬉しく……! と、とにかく帰ります! お言葉に甘えて!」
足早に帰ろうとする俺を、再び泥が足止めした。
「待て坊。一つ言い忘れた事があった」
「何だよもう!」
振り返ったのが運の尽き。
「愛しているぞ、檜木創太」
命様に続いて、またも俺は唇を奪われた。
薬指全体を覆っていた刻印が遂に中指を侵し出した。全ては去り際の接吻のせいである。
「やられた……」
被害者面をしているが、途中から俺も乗り気だったのは内緒だ。これは俺がスケベなのではなく、指輪の力が強すぎるせいである。
近くに除夜の鐘がないか検索してみたが、ある訳がなかった。
……そろそろ家に戻るか。
闇祭りの会場はいつも宵闇に包まれている。あそこにいると時間感覚が狂って困る。『昼夜を問わずドロドロにまぐわいたい』とされる主からすれば理想的だろうが、まだ俗世に生きる俺にとっては迷惑極まりない。
婿として文句の一つでも言ってやろうか等と馬鹿な事を考えていると、一件の電話がかかってきた。画面を見遣るとそこには『空花』の文字が。
『あ、もしもしおにーさん?』
「おう、空花。元気そうだな」
水鏡空花。俺の大切な友人の一人であり、メアリ事件の最大功労者。彼女が居なければ俺にあの選択肢は取れなかった。
夏休みが終わってからは実家に戻ってしまったが、今もこうして交流が続いている。メアリが居なくなってしまったので表向きの恋人という立場は消えてしまったが、あってもなくても彼女を異性として意識している事に変わりはない。
中学生だが。
「元気元気〜。所でおにーさん。家空いてるー?」
「は? 家? 遊びに来るのか?」
「そうじゃなくて、冬休みの話なんだけどー、おにーさんのお家に転がりたいな〜って思って! 駄目かな?」
断らなくてはいけない理由を考えてみるが、特に思いつかない。むしろ幸音さんが医院に戻ってしまったので少し寂しかった所だ。
「いいけど」
「ほんとーッ? じゃあ遠慮なく予定立てちゃうね! まるでホントの恋人みたい!」
「……ん? ホントのって……え? まだ続いてたのか?」
「まだって何がー? あ、そっか。おにーさんに言ってなかったね。実は―――」
家に帰った所、弟にたまたま携帯を見られたらしく、それが紆余曲折あって親に伝達。見ず知らずの男とつるんでいるのかと怒られそうになったので、つい恋人と言ってしまったらしい。
「おい。何勝手な事してくれてるんだ。お前が恋人だったらそりゃ嬉しいけど、違うだろうが」
「だって凄い剣幕だったからついつい……ごめんねー」
「……まあいいや。それくらいだったら合わせられるし。反省してるならこれ以上余計な事言うなよ」
「はーい。でもおにーさんとホントの恋人になれたら私は凄く嬉しいんだけどなあ」
「お前まで揶揄うなッ!」
「あはは! 命ちゃんも似たような事言ってきたんだねッ? しょーがない。今日は命ちゃんに免じて引いてあげよう!」
誰目線なんだ。
「じゃね、おにーさんッ」
「おう。また会えるのを楽しみにしてるよ」
通話の切れた音を聞き、俺もまた切る。今日は大変な一日だったが、疲れたかと言われればそうでもない。どう考えても原因は神と妖の接吻に含まれる疲労回復効果のせいだが、お蔭で莢さんには何があったか聞かれずに済みそうだ。
メイドこそやめたが彼女の世話焼きの性質は健在で、少しでも疲れていると目敏く指摘してくる。心配はかけたくない。メアリの代わりに彼女を守る主人として。
「……あ、そうだ。メアリの服は莢さんに買わせればいいんだ」
今更な解決策に、俺はガックリと肩を落とした。恥の掻き損が一番恥ずかしい。そうだ、何も俺が買う必要はない。莢さんに全て任せれば……!
『有り難う、創太君。私きっと可愛くなるから、期待してて』
以前メアリの服を買ってあげた時の事が想起される。メアリは髪をご機嫌そうに揺らしていた。それを着て一緒に帰った時は、鼻唄を唄いながらぴょんぴょんと跳ねていた(スキップが下手くそなのだ)。
莢さんに任せると、あれが見られなくなるかもしれないのか……
「……下着だけ莢さんに任せればいいか」
両ポケットに手を突っ込んで、檜木創太は帰路についた。