メタモルフォシスボーイ
「恥を忍んでお前に相談するんだけど、聞いてくれるか」
『話によるけど、何の話?』
「恋愛相談」
『それは信司と同じレベルの男で成功体験があるヤツに聞かないとダメじゃないかなぁ。僕は恋愛で苦労したことがないからきっと君の悩みはわからないし、正しい解決策が出せるかもわからないよ』
「ぶっ殺すぞ」
『恥を忍ぶなら耐え難きも耐えなよ』
間違ったことは言っていないのがタチが悪い。
電話口の相手に凄んでも仕方がない。というかいくら相手が友人とはいえ頼み事をしている立場なのだから多少の暴言には目を瞑るべきなのだろう。多少の暴言には。多少は。
「そうは言っても他に知り合いがいないんだよ。相手がクラスメイトだから、同じ高校のヤツじゃ相談しにくいだろ」
地方の公立中学校に通い、そのままいくらかの公立高校に散らばっていく同級生が多い中で――俺もその一人だ――その華やかなルックスと立ち居振る舞いの羽をのびのびと伸ばすかのように都会の私立高校に進学した倉木蓮は納得したように「あー」と声を漏らした。
『確かに派閥争いとかいじめとかに発展したら嫌だもんね?』
ちげえよ。お前の発言力どうなってんだ。王かよ。恥ずかしいとか、何かの間違いで相手に変に伝わったら嫌とか、茶化されてその場だけの勢いでどうにかされたくないとかそんな理由だわ。
『で、何が相談したいの?』
「好きな人がクラスにいてさ」
『うん』
「仲良くなりたいんだけどどうすればいいかな」
『話しかけなよ』
「それができれば苦労しねーんだよ!」
『それができないと話は進まないよ』
その通りだった。
でも違う。俺の気持ちもわかって欲しい。こいつに説明してわかってもらえるかはわからないが。
「同じクラスメイトでも関わりがない人って一定数いるもんでさ」
『うーん?』
まだ前提条件なんだけど?
審議して欲しいのはその後だ。
「そういう人たちに用もなく話しかけるのってナンパみたいじゃん」
『用もなく話しかけたらそうかもしれないけど、用事はあるでしょ』
「どんな」
『仲良くなりたい、って用事』
「えっ、気持ち悪い……」
『自分の尺度で物事を語っちゃダメだよ』
「うるせえ!」
自分にしかできないのわかってて言ってるだろ!
容姿だけではなく人当たりがよかったりコミュニケーション能力が高いからこそこいつは人気があった。なんだかんだこいつの隣にいた3年間、顔だけに惹かれるヤツがそこまで多くなかったことを俺は知っている。だからこそ蓮に相談しているのだ。
『ごめんごめん。久し振りに話すから楽しくなっちゃって。もう7月だから3ヶ月ぶりでしょ。高校分かれたら夏休みに遊びにも誘ってくれなくなっちゃったのかと思っちゃったよ』
「お互い入学したては忙しかっただろ。今日はその連絡も兼ねてたからさ」
『そっか。それならよかった』
嘘だった。特に何も言われなければそのまま電話を切っていただろう。俺は3年間こいつの隣にいたが、こいつが俺の隣に3年間いたのかはついぞわからないままだったからだ。私立高校でブイブイいわせているところを邪魔することもないかと思ってもいた。
『僕も本当は連絡したかったんだけどなかなかできなくてさ。信司から連絡してきてくれて嬉しいよ』
「……女々しいこと言うなよ。お前みたいなやつがさ」
お前が遠慮する必要がどこにあるんだよ。
まあいいか。別の話だ。
「話を戻すんだけどよ」
『橘信司の童貞くさい話ね』
「お前も童貞だろうが!」
『でもやっぱり話かけないと仲良くはなれないからさ、なんか用事を作るとかさ』
え、否定しろよ。
『もしくはその子が好きなものについて話しかけるとか』
嘘だろ。そういう感じになってるのか。本当に?
『というかその子はどういう子でどういうところが好きになったの?』
少なくとも中学の頃は童貞だったよな。え、3ヶ月で? いや、まだ童貞じゃないと決まったわけではないんだけど。
『……聞いてる?』
「聞いてるよ」
またもや嘘だった。全然聞いていなかった。
「話しかけ方だっけ?」
『その前に、その子がどういう子で、どんなところが好きなのさ』
「どんな子かって言うと、そうだな……」
記憶の中の東城小夜のことを思い出す。とてとてと走る小動物のような後ろ姿や、その可愛らしい外見、眼鏡の似合う大人しげな雰囲気はもちろん好きだ。でもそれだけではない。
「まず面倒見がよくて、委員長タイプなんだよな。タイプっていうかもうそのもの学級委員長なんだけど。でも実は意外とドジっ子だったりもしてさ」
『面倒見がいいと』
「料理もすごく上手っぽくてさ。弁当を毎日自分で作ってきてるって話なんだよ。ちらっと見たことあるけどすげえうまそうでさ。高校1年生で偉いよな」
『料理上手と』
「それでいて賢くてさ。テストの点数とかも確か学年で30位には入ってるんじゃなかったっけな。上位10%だぜ。頭もいい」
『頭が良いと』
蓮は俺の話を聞くと『うーん』と唸った。
「なんだよ」
『信司が昔から言ってる理想の彼女像ぴったりの女性だね。信司には勿体ない』
「都度喧嘩売るのやめろや」
俺もそう思ってるから話しかけることも出来ないんだろうが。言っていて情けないが。
『女性の趣味も変わってないんだ。高校入ったら何か気持ちの変化もあるかと思ったけど』
「そんな変わったこと言ってるわけじゃないしころころ変わるもんでもないだろ。俺みたいな趣味のヤツは結構いるもんだけどな」
『そうなの?』
「入学すぐくらいにアンケートみたいなの取られたんだけどさ、その中に好きな異性のタイプってのがあったんだよ」
『信司の学校では新入生の性癖は把握されるのか。恐ろしいところだね』
「別にそんないかがわしいもんじゃねえよ。確か新聞部かなんかの広報誌で『高校デビューを目指す君に』みたいな感じの特集があって、その中の項目ってだけ」
と思ったが冷静に考えると名目はどうあれ性癖を把握されていることに違いはなかった。
馬鹿正直に書いてよかったのだろうか……。しかもよく考えたら記名式だった気がする。……やべえな。何書いたか覚えてねーぞ。そんなめちゃくちゃまずいことは書いてないはずだけど。
とはいえもう今更だ。クラスごとに集約されたそれはとっくに新聞部に受け渡されており今からどうこうできるものでもない。
『まあ信司の好きなものはどうでもいいからさ』
どうでもいいのはその通りだけどお前が聞いたんだろうが。
『結局その子は何が好きなの?』
「好きなもの……」
考えてみたが思い浮かばなかった。それはそうか。話してもいないのに好きなものなんてわからない。
「話しかけられないから好きなものもわからない、でも好きなものもわからないから話しかけられない……これがハリネズミのジレンマか」
『違うよ』
違うか。
『信司が詰んでるのはよくわかったからさ』
「詰んでたらもうダメじゃねえか」
詰みって既に負け筋が見えてる状況だろ。
『相手に間違えてもらうしかない』
「どういうことだ?」
『相手から信司に話しかけてくれるようにすればいい』
「……なるほど」
俺に話しかけることを間違いって言われてるのは多少気になるが、それはさておき。
それよりも致命的な欠陥に気付いてしまった。
「そもそも話しかけられるような手段があれば苦労しないだろ」
『何かスパイキーな手段に頼るしかないね』
「例えば?」
『押し倒すとか』
「何段階ステップ飛ばしてんだ」
廃墟の外階段でももう少ししっかりしとるわ。
『んー、じゃあ見た目を変えるとか』
「整形とか言うなよ」
『最終的にはそうだろうけど、いきなりは言わないよ』
言うなって言ってんだよ。順番の問題じゃねえよ。
『今そっちはもう夏休み入ってるでしょ。2学期デビューとか言って金髪に染めて登校するとか』
刺激的すぎる。逆に喋りかけづらくなるんじゃないのかそれ。
『金髪じゃなくてもいいんだよ。茶髪でもさ。夏の陽射しに焼かれちゃって色落ちしちゃったとか言えば大丈夫でしょ』
「その言い分はともかくとして……まあ髪染めるのくらいはいいかもしれないな」
校則には引っかかるかもしれないけど、どうだったかな。まあでも一度くらいいいだろう。最悪蓮の言った言い訳を使ってみよう。刈り上げられなければ安いもんだ。
「サンキューな。それ試してみるわ」
『いやいや。じゃあ夏休み遊ぶ日に一緒に染めに行こっか』
「……まあ、蓮がいいならそれでいいけど」
美容室に髪を染めに行くのって連れだって行くものだったかな。
別にいいけど、髪を染めてイメチェンしようって場で自分以外のヤツが主導権を握りかねないっていうのが若干嫌な感じがするが。
ほら、マフィアのボスは仕立屋と美容師には気を遣うって言うし。
そんなことを気にしているから、好きな人一人話しかけることもできないのかもしれないけど。
嫌な予感というのはきっと走馬灯のようなもので、自らの知識や経験から起こり得る危機を教えてくれているのだと思う。
夏休みの半ばごろ、蓮と一緒に美容室に行き、なされるがままにあれよあれよと染髪され、その頭で夏中過ごした結果、少し色が明るくなっていた。ギリギリ金髪かな、という感じ。
で、普通にダメだった。
自分ではギリギリ金髪かな、と思っていたが普通に金髪だった。
夏休み明け初日の朝、始業式前に教室に入るとざわめきが巻き起こり、すぐに質問攻めに遭った。「グレたのか」と8回くらい聞かれた。グレてないグレてない。友人たちの垣根の向こう、東城さんに否定の声は届いただろうか。
俺の席から前に3つ左に1つ。その席に東城さんは座っている。教室に入ってきたときにわずかに視界の端に捉えた驚いた表情が、今は人の壁に遮られて見ることができない。
クラスメイト相手でこの有様では教師相手はどうなるのかと思っていたら、朝礼の直前に教室に入ってきた担任に捕まり普通に強制送還された。
曰く、今日は始業式と連絡事項伝達だけだから即帰れ。連絡はクラスメイトから聞け。
曰く、明日までに黒に染め直して来ないと停学にする。
曰く、次やったら執行猶予なしで停学にする。
なるほどな。
結局その日は朝のざわめきに追い返されるようにして帰宅させられ、美容院送りにされることとなった。
結局、話しかけてもらうどころか、悪評が広まって終わってしまった形になったわけだ。
翌日。
教師に散々叱られ、それに見合うだけのリターンがあったわけでもなく、なんだったら東城さんの心証的にも悪影響しかなかったんじゃないかと思うと、通学路を歩く足取りも重かった。夏休み明けよりもその次の日の方が陰鬱たる気持ちで通学することになろうとは思ってもみなかった。
そんな朝の昇降口で東城さんとばったり鉢合わせした。
いや、正確にはずっと後ろを歩いてはいた。が、東城さんだと確信が持てなかった。少なくとも後ろ姿だけでそうだと言い切れる様子ではなかった。
いつも掛けていた眼鏡を外し、代わりと言うわけでもないだろうがマスクをつけ、いつもより少しスカートが長い。だいたい臑の半分くらいまで裾が降りていた。
下駄箱の区画で同じクラスだとわからなかったら東城さんだとは最後までわからなかっただろう。
はたと目が合ってしまって気まずくて俯いてしまった。きっと今話せなかったら一生話すことはないと思った。多分、それは確かな予感。でも声が出なかった。話かけていいのかわからなかった。上履きに靴を伸ばした東城さんの背中を通り過ぎて自分の下駄箱へ向かう。
「た、たちばなくん!」
「ぅあっ! あ、ああ」
東城さんの体を通り過ぎた直後くらいに、大きな声で呼び止められてびっくりして少し飛び上がってしまった。それでもその声は登校中の生徒たちのざわめきに紛れるくらいの声量だったようで、投げかけられた俺の名前は余韻も残さずにどこかへ消えた。
「あっ、急にごめんなさい、えっと、お、おはよう……」
「ああいや、こちらこそごめん……おはよう」
俯く東城さんに何か罪悪感みたいなものが湧き出して、何か話すことを探す。
「えーっと…………」
いや、話すネタは目の前にあれやこれやとセットされているのだけれど、一体全体何から聞けばいいやら。まさか風邪ではあるまい。風邪を引いて寒いのでスカートを長くしましただなんて言わたらどうしよう。だから、まずは聞かないといけない。そう、まさかとは思うんだけど。
「……今日はどうしたの? 風邪?」
そう聞くと東城さんはふるふると首を横に振り、小さく「イメチェン」と言った。ちょこんと頷いた。隠されて見えない顔半分の代わりに耳の赤さで感情を教えてくれる。
「……どう、かな?」
どうと言われると非常に困る。端的に言うと昭和の不良のコスプレに見えるので一刻も早くやめた方がいいと思うけど、なんて伝えればいいかわからない。イメチェンという相手に対してそれは失敗だと言うのは悪手な気がする。でも、お世辞にもいいとは思えないものに対してきちんと悪いと言うのが誠実ではないだろうか。
「あー」見つめてくる東城さんの瞳に追い詰められるようにして口を開く。「昭和のヤンキーに見えるから俺は普段の方がいいと思う」
結局最初のイメージを取り払うことができなくて、馬鹿正直に伝えてしまった。
「……グレたと思われたら俺みたいに先生に捕まっちゃうよ。ほら、先生たちは昭和の人だし」
「そう、だよね。なおすなおす」
東城さんはいそいそとマスクを取ってポケットにしまった。スカートに手を伸ばそうとして止まる。きっとトイレにでも行って折るのだろう。
そうして晒された素顔はやはり赤かった。
なんだか気まずかった。どういう理由でイメチェンしたのかわからないから、やめた方がいいと言ってしまって悪いことをした気分になる。
「……東城さん、裸眼似合ってるけど、今日は眼鏡はかけないの?」
「あ、今日はコンタクトだから……」
今まで知らなかった一面が早くも出てきた。東城さんはコンタクトの日もあるのか。同じクラスになって以来、平日は毎日眼鏡だったと思うけど。
「休日とかはコンタクトだったんだ?」
「あ、いや……昨日から……目に指入れるの怖かったから……」
「あっ、そうなんだ」
言いながら自分の上履きを取り出して履き替える。
「入れるの時間かからなかった?」
「う、うん。そうだね。だから今日はお弁当が作れなくて……」
靴に踵を入れて爪先を叩いている間、東城さんは隣に立って待ってくれていた。そのままの流れで一緒に教室へ向かう。
この時間が永遠に続いてくれればいいと思っても、一年生の教室は一階にあるから必然的にすぐに着いてしまう。
「ほぼ毎日作ってるだけでも偉いよ。普段から作ってるの?」
「うん、えっと、うん。そうだね。高校に入ってからは、練習してて、えっと――」
隣の東城さんが立ち止まる気配がした。釣られて立ち止まって振り返ると、東城さんの大きな瞳に貫かれるようにして目が合った。
「橘くんが、料理できる人、好きって聞いたから」
……もちろん、驚きはあった。まさか、という戸惑いもあった。
でも、今までの、そして今日の東城さんの姿が脳裏に駆け巡ってその言葉と結びついたとき、俺の中の大部分を占めていたこの感情はきっと驚きでも戸惑いでも、喜びでもないと思う。
そんなのではない。
きっとこれが、憧れなのだと思う。
今までずっとわからなかった、わかるとも思っていなかった、好きな人のことを憧れの人ということの理由が、今わかった気がした。
わからされた気がした。
今俺は、ずっと追いかけていた女の子に、呼び止められて振り向いたと思ったけど、振り向いたその先に東城さんがいたような感覚はしていなかった。
追い掛けるとか追い掛けないとかそういう次元ではない――そう、言うならば俺が蓮に対して感じているようなそういう、次元の違いみたいなもの。
「そっか」
だから返事はしなかった。できなかったんじゃなくて、しなかったつもり。
「……今日弁当ないんだよね。もしよかったら一緒に購買で何か買って、一緒にどこかで食べない?」
断るつもりもない。傷付けるつもりもない。だからそういう気持ちが伝わるように、せめて俺に出来る最大限の優しい声で言った。
「そこで教えてよ。まずは東城さんの好きな食べ物とか、そういうところから」
「い、インドカレー……」
それは購買にはないんじゃねーかな。
教室の中がスパイスのにおいですごいことになると思う。
思わず笑ってしまった。
笑っている俺を見て東城さんがあわあわしだす。そういう姿を見てやっぱり好きだなぁって思う。何か少し変わっていて抜けていて、だけどそれだけじゃない。
だってきっと、この子はこれまでの人生で学級委員長に立候補したことなんて一度もなかったんだろう。
多分だけど。それも聞かないとわからない。
聞かなきゃわからないし、聞いたからには何かしなくちゃ。
それが東城さんのことを聞いて知って思ったことだった。
「東城さん、趣味とかって何なの?」
「え、えっと、パンクロック」
爆笑してしまった。
キャラが違い過ぎる。
聞けば聞くほど新しいことが出てくる東城さんのことが気になって気になって、もっと知りたくなってしまう。
この子と付き合えたらきっと幸せなのだろう。
だからまずは。
ギターを買うことから、始めようと思う。
ここまで読んでくれた皆様。
某所にて、テーマ・キーワードの決定、感想くれた仲間たちに感謝を。
テーマ:コメディ
お題:スパイス、目標




