中編
空腹をうったえ、目の前で倒れたうり造。田端は悩みに悩みぬき、うり造を連れて自宅へ帰った。警察のお世話になる覚悟はしてある。手早くご飯を用意をしつつ風呂を沸かし、薄汚れたうり造をその中に放り込む。半分意識があるような無いようなうり造だったが、ひょろっこい身体は田端にされるがままだ。頭をわしわしと洗われ、顔も身体もしっかりと汚れを落とし、湯船につけた。
「なんだぁ、極楽だったのか」
うり造は惚けた気分で湯につかっていたが、田端は飯ができると容赦なく風呂からあげ、ストックで買っておいた新品の下着やらTシャツやらを着せる。うり造が抵抗しないし文句も言わないのをいいことに、田端は己れの欲望のままに世話をやいた。それはもう楽しくて嬉しくてたまらない。
ドライヤーでその長い髪を乾かし、ゆるく結んでやるとうり造がヘラっと笑った。
「いたれり尽くせりって、このこと言うんだなぁ」
極楽ってすごいなぁ、とのんきなうり造を横に、田端は感動していた。嫌がられるどころか、喜ばれている。怖がってもいない。自分に嫁さんと子どもができたら精いっぱい世話をやきたいと夢見ていた田端だったが、その一端を味わせてくれたうり造に感謝し、静かに合掌した。
腹を空かせたうり造のために田端が用意したのは、ごま塩が効いたシンプルなおにぎりと、冷蔵庫にあった野菜をたくさんいれた具沢山の味噌汁だった。本当ならもうちょっと用意してやりたかったが、まずは腹を満たすのが先だと判断した上でのメニューだ。
「いただきますっ」
握り飯は柔らかくむすんであり、口に入れれば湯気がでるほどの温かな飯粒がほろりとくずれる。噛めば米の甘みが身体にしみわたった。塩気、ゴマの香ばしさも絶妙だった。
うまいうまいと食べ、笑ってくれるうり造。ほっぺについた白い米粒がかわいらしい。こうまで喜んでくれると自分もうれしく、気分はまさに母親だった。
チラッと時計を気にすると、洗濯がもうそろそろ終わりそうな時間である。うり造の着ていたものは下着まで時代錯誤な代物だった。無知さといい、田端はひそかに人間ではなく物の怪の類いかとうり造を疑っている。だからと言って何をするわけでもなく、ただ世話をやきたいだけなのだが。
「……なあ将軍さまぁ。おれ、うりしか持ってねえんだ。それで足りるとは思えねえんだけど、もらってくれねえかい?」
おずおずと言い出すうり造は食べ終わった食器をテーブルの上に置くと、照れくさそうに田端を見上げた。
「将軍さまみてえな男前に、こんなよくしてもらって……極楽のなかでも、ここ、一等にいいとこなんじゃねえのかな」
そこまで言うとうり造はへへ、と笑う。鼻のあたりに散ったうすいソバカスがどことなく幼い。その頼りない様子がまた田端の世話焼き本能を刺激した。しかしこれ以上は迷惑だろう、と己れをしっかりとわきまえる。
「……俺が好きでしたことだから。でもうり造さんの気がすむのなら、ありがたくうりはもらおうか」
そんなら! ということで、うり造のうりは無事に田端がもらい受けることになった。うり造が担いできた商売道具一式は玄関先に置いてある。カゴの中に残っていたうりを頂こうとしたのだが、ここで田端にとって思わぬことが起きた。
「……うり造さん、こりゃなんだ」
「あー、おれもよく知らねえんだ」
ぽりぽりと頬をかくうり造は、田端の手に持っている銀の杯を困ったような表情で見つめた。カゴのなかから出てきたその杯は、うり造が所持するにはあまりにも雰囲気が違った。本人は江戸時代の中から抜け出たような出で立ちなのに、その杯は西洋のゴブレットと呼ばれるものに酷似していたのだ。
「ここに来るまえにもらったんだ。その人道に倒れてて、のどかわいたって言ってたから、おれのうりと交換したんだけど」
ステンレスではない。この使用感のある燻したような薄い黒ずみは銀特有の汚れだ。そんな凝った作りではないが、もしこれが全部銀だとしたら値段はいかほどだ? 田端の頭がぐるぐるまわる。
「なざれの、よしゅあ、って言ってたかな、名前。お国ことばがちいと強くてわかんなかったんだけど、優しそうな人でさ」
ナザレのヨシュア。
そう言われて田端がパッと思いつくのはイエス・キリストだった。あまり馴染みがない響きかもしれないが、ようは「あいの村のうり造」と同じニュアンスだ。それが本当ならこれはもしかして失われた聖杯か、とまで考えて田端は頭を振った。いやいやそんなことあるわけがない。それなら目の前にいるこの男はいったい何者だというのだ。
そんな田端を見て、うり造はしゅんと肩を小さくした。疑うような表情をした田端に少しばかり傷ついたのだ。
「おれ、恥ずかしいけどよく道に迷うんだ。近くにいた人が助けてくれたり、反対に手を貸したりするうちに、気づいたら知った場所にいて」
自分の言ったことを信じてもらいたくて、必死に弁明する。この前は、牢に入れられた『まりー』とかいう真っ白なお姫さんと会ってキレイな手拭いをもらった。その前は変わった村の酋長からおっかねえ水晶のドクロをもらった。他にもいろんな人に会って、そのたびに何かしらをうりと交換していたという。そしてワケの分からないものをもらってこずに、銭をもらってこいと母親に叱られるのが常であった。おかげで押し入れにあるうり造の隠し箱には用途のよくわからないものがたくさん詰めてあった。
「でもおれ、将軍さまみてえに親切な人ははじめてだ。よかったらその杯、もらってくんねえかな。もっとお返しがしてえよ」
うるうるとした瞳で見つめられ、それならもっと世話をやかせてくれと出かかった田端は、自分の頬を思いっきり叩く。深呼吸をして自分を落ち着かせ、ことばを考えた。うり造は目の前の男の奇行にびっくりしてぱちぱちと瞬きをしていた。
「……これじゃ俺が多くもらい過ぎだ。うり造さんがよけりゃ、また遊びに来てくれないか」
一緒に飯くらいはよいだろう。来てくれた人をもてなすのは常識の範囲内だ。腕によりをかけて料理をしてもなんら問題ない。来る日が事前にわかっていれば早朝に魚市場へ行って魚を物色したいくらいだ。
しかしうり造はこれに首を横に振った。
「……おれ、おなじとこには行けねえんだ。わりかし道に迷うけど、みんないち度きりしか会えてない。会いたいと思っても、会えなかったし」
さみしそうにそう言うと、うり造はへらりと笑った。
「だから、将軍さまとお別れしたら、もう会えねえと思う」
笑っているけど、笑えていない。
田端がなにも言えないでいると、室内にも関わらずあたりに白い霧が立ち込めた。濃密なそれはあっという間に視界をふさぎ、泣きそうな顔のうり造を消し去っていく。
「ああ、もうお別れかぁ。……いやだなぁ」
せつない声が遠くから聞こえ、霧がなくなればうり造の姿はもうなかった。
ピー、ピー、と洗濯機が終了のサインを出していた。