ビルマ攻略作戦開始
2月26日。
マレー半島やシンガポール。そして、蘭領東インドを占拠して南方資源の確保に成功した日本軍であった。
フィリピン方面も、まだまだ米軍との熾烈な戦闘が展開されているが上陸した部隊の奮戦のおかげで少しずつではあるが米軍を撃破しているのだった。
太平洋方面もラバウルやウェーク島等を占拠して初期の目標を達成したのだった。
そして、南方の資源確保を確固たるものとするべく、海軍はセイロン島に停泊している英東洋艦隊の撃破と陸軍支援、陸軍は援蒋ルート遮断の為、ビルマの攻略にあたることとなった。
だが、ビルマ攻略には第十五軍だけでは不十分と判断され、第十五軍の進撃開始に呼応してラングーンに、第二艦隊に護衛されて内地より派遣された第三軍を上陸させることとなった。
それにあたって制空権の確保を第三航空戦隊が担当し、上陸地点周辺の制圧に長門・陸奥と航空戦艦になった扶桑、山城が艦砲射撃を行なうこととなった。
扶桑型戦艦が航空戦艦になったのには様々な背景が関係していた。
まず、すでに旧式化した戦艦である事がまず挙げられる。
開戦三年前、艦船建造能力の低さを補う為に空母に改装する案が出されたが、中途半端になる可能性が高かった為に却下された。
それならばと、上陸作戦の支援に使う案が出されたのだった。
だが、そこに山本長官が異議を唱えた。
現在の海軍は空母を主力としている為、少しでも空母の数が増えることは重要であった。
山本長官は「対地砲撃の為だけに使うのなら金剛型で充分」と言い、空母に改装するように要請したが、軍令部は陸軍との協力作戦に扶桑型戦艦の対地砲撃は必要不可欠と言って譲らなかった。
結局、扶桑型を空母にも随伴可能にして、後部の主砲二基を撤去し、飛行甲板を設置することとなった。その時に第三砲塔の位置も伊勢型と同じ第三・第四砲塔を背負い式に変更された。
だが、この妥協案にも問題はあった。
飛行甲板から航空機はカタパルトによって発艦することは出来るのだが、着艦は甲板が短いので出来ないのだった。
山本長官はこのことに不満はあったが、扶桑型航空戦艦搭載用に開発させた水上偵察爆撃機瑞雲が開戦二ヶ月前に完成したので満足した。
これによって扶桑型戦艦は、艦隊随伴可能な偵察能力の高く、航空爆撃も出来て、対地砲撃のできる優秀艦に変化したのだった。
そして、2月28日に第三軍を乗せた輸送艦隊を護衛して第二艦隊はシンガポールよりラングーンに向けて出撃した。
日本軍三式戦車
全長6,4m 車体長5,5m
全幅2,9m 全高2,5m
重量24t 速度38km(整地) 18km(不整地)
主砲50ミリ砲 副武装7,7ミリ機銃2丁
装甲 砲塔前面50ミリ 側面30ミリ 車体前面65ミリ 側面30ミリ 後部45ミリ
四式戦車
全長7m 車体長5,9m
全幅2,9m 全高2,7m
重量26t 速度38km(整地) 16km(不整地)
主砲長砲身75ミリ砲 副武装7,7ミリ機銃2丁
装甲 砲塔前面70ミリ 側面40ミリ 車体前面70ミリ 側面40ミリ 後部50ミリ
陸軍の部隊番号は適当に決めているのであまり言及しないでください。