マレー沖航空戦
またまた長いです。
長いのが苦手な方には申し訳ないです。
12月10日。
第一機動艦隊が真珠湾を攻撃してから2日が経った。
マレー半島に上陸作戦を展開する陸軍支援に向かう南遣艦隊には雲龍・天城が、第二艦隊には第一航空隊の龍譲の姿があった。
これは、開戦前の12月2日英領シンガポールに英国新造戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスからなるG部隊が入港した事により第二艦隊の金剛・榛名では対抗する事は難しいと判断され、急遽編入することが決定されたからである。
最初は「サイゴン等からの航空支援があるので必要はないのでは?」との意見が多かったものの、「英国が新型空母インドミタブルを編入する可能性大なり」との諜報部からの報告が入り、「航空基地からの支援では不十分」と判断されたのであった。
もっとも、その編入原因になったインドミタブルはバミューダ島で座礁事故を起こし、到着することはなかったのだった。
そして、二日後の12月12日早朝に南遣艦隊の護衛する輸送艦からの上陸部隊によるコタバル上陸を行なった。
これを知った英東洋艦隊司令トーマス・フィリップス大将はプリンス・オブ・ウェールズ、レパルスを基幹とするZ部隊を編成し、シンガポールより同日15時に出撃させた。
12日・13日の15時まで敵情報が入ってこず第二艦隊はカムラン湾に燃料補給の為、帰頭していったが、南遣艦隊司令小沢冶三郎中将は英艦隊が出撃してくると予想してサイゴンの航空支援が受けられる所まで引き返しはしたが、カムラン湾には引き返さなかった。
そして、13日の15時27分に伊65がZ部隊を捕捉した。
その報告を受け取った直後に小沢冶中将は松永貞市少将に「敵艦隊発見」と打電し、雲龍・天城から攻撃隊(艦戦20機、艦爆30機、艦攻40機)を出撃させた。
小沢冶中将からの報告を受け取った松永少将もサイゴンから元山航空隊(96式陸攻26機内魚雷装備17機)とツドゥムから鹿屋航空隊(一式陸攻26機全機魚雷装備)を出撃させた。
16時47分に南遣艦隊より出撃した攻撃隊がZ部隊に襲い掛かった。
まず、99式艦爆が攻撃を開始し、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスは対空砲火を展開して応戦した。
ポムポム砲による猛烈な対空砲火により攻撃前に3機が被弾により落伍したが残りの27機は迷うことなくこの二艦に爆撃を仕掛けた。
プリンス・オブ・ウェールズは後部4連装主砲を吹き飛ばされ、他に二発の直撃弾と五発の至近弾を喰らった。
レパルスは前部第二主砲と副砲二基を吹き飛ばされ、艦尾に直撃弾一発甲板中央に二発の直撃弾を喰らった。
そして、この被害に動揺している二艦に対して艦攻隊が攻撃を仕掛けた。
対空砲火が乱れた隙を突いた為、攻撃前に被弾した機体は0機だった。
プリンス・オブ・ウェールズの左舷に巨大な水柱が二本立った。
レパルスは右舷に三本の水柱が立っていた。
更にレパルスには左舷に二本右舷に三本魚雷が命中した。レパルスの乗組員は懸命に傾斜していく艦を戻そうと奮闘したがそこにとどめの二発が右舷に命中し、急激にレパルスは傾きその後5分後に転覆して沈んでいった。
攻撃を終えた艦攻隊に護衛艦の対空砲火が集中し、3機が被弾2機が撃墜された。
この後、何とか生き残ったプリンス・オブ・ウェールズとその他の護衛艦はシンガポールに艦首を向けて帰還しようとした。
攻撃隊が去っていった為、少しは安心したZ部隊であったが、そこにツドゥムから出撃した鹿屋航空隊に17時13分に攻撃されて、プリンス・オブ・ウェールズが更に魚雷二発を喰らい、護衛の駆逐艦も2隻撃沈された。
それから10分後にサイゴンから出撃した元山航空隊から攻撃を受けてプリンス・オブ・ウェールズと駆逐艦一隻が撃沈されてしまうのであった。
Z部隊の壊滅を知った南遣艦隊はカムラン湾に引き返していった。
そして、この戦闘の結果を知ったアメリカは「空母が海戦の主力となる」と確信したのであった。
軽空母龍譲(第1次近代化改装後)
排水量18,000t 速力30、1kt
武装 九二式40口径12,7cm連装高角砲4基8門。
25ミリ連装機銃6基12門。
13ミリ四連装機銃10基40門。
航続距離11、000浬。
常備搭載機数40機。補用機4機。
龍譲はこの世界では過大な要求はされずに1万トンを超える航空母艦として建造されたこととなっています。