真珠湾炎上セリ
かなり長くなってしまいました。
まだまだ文を句切るのがうまくないので見にくくなってしまって申し訳ないです。
12月8日。
真珠湾オアフ島北沖950km。第一機動艦隊の赤城・加賀・飛龍・蒼龍から第一次攻撃隊(艦戦48機・艦爆90機・艦攻98機)が出撃した。
攻撃隊が真珠湾に近づいていった時、攻撃隊前方に4機の米軍の航空機の姿が現れた。 この4機は訓練飛行に出ていたP−36だったのだが、戦闘機だったことが攻撃隊のパイロット達に「宣戦布告直後の奇襲作戦が看破されているのではないか?」と、思わせた。攻撃隊最先頭を飛行していた飛龍零戦隊12機全機が搭載していた250キロ爆弾2発を投棄し襲いかかった。訓練飛行に出ていたP−36、4機はものの数分で叩き落された。その間に他の攻撃隊の航空機は最大速力で爆撃に向かっていた。とにかく第一次攻撃だけでも行なおうとしたのだ。だが、真珠湾のアメリカ軍にはまだ宣戦布告は知らされていなかった。攻撃隊出撃30分前に野村吉三郎駐米大使はコーデル・ハル国務長官に宣戦布告文書を手渡しており、更にスイスを経由して全世界に発信していたが、まだアメリカ本土にしかその情報は知らされていなかったのだった。
第一次攻撃隊はそのおかげである意味悠々と攻撃することが出来たのだが、P−36との遭遇で艦攻の攻撃の成果を確認後、艦爆が生き残った敵艦と港湾施設を攻撃する予定を繰り上げて同時攻撃に移行してしまった。そのため第二次攻撃隊よりは攻撃参加機数は多かったもののそれほどの戦果はあげていない。
第一次攻撃隊の戦果は、戦艦ネヴァダ・オクラホマ撃沈、アリゾナ・テネシー中破、重巡ニューオリンズ大破、軽巡セントルイス・ローリー中破、飛行場施設一時的に使用不能、航空機38機を地上撃破した。
損害は、帰還途上に対空砲火に落とされた艦爆3機、艦攻2機のみであった。
この攻撃を行なった後に攻撃隊指揮官の淵田美津雄中佐は赤城に「奇襲ハ成功セリ。ワレ帰還ス」と打電した。
第一機動艦隊司令部ではこの無線を受信した後に第二次攻撃隊を出すかで議論が交わされていたが、南雲忠一中将は敵の対空砲火が攻撃前に行なわれなかった事と敵戦闘機が迎撃に上がってこなかったことから出撃させることを決めた。
翔鶴・瑞鶴から第二次攻撃隊(艦戦28機・艦爆54機・艦攻54機)が出撃した。
第二次攻撃隊は艦攻隊のみが敵戦艦を攻撃し、艦爆は港湾施設を狙った。
そして、その戦果は、戦艦アリゾナ・メリーランド・大破座礁、カリフォルニア・ウエストバージニア中破、乾ドックを半壊させた。
だが、対空砲火により艦戦3機、艦爆5機、艦攻8機を失った。
南雲中将は第二次攻撃隊を収容した後に帰還しようと思っていたが、三川軍一中将と山口多聞少将の意見具申により、第一次攻撃隊の稼動可能機を集めた第三次攻撃隊(艦戦32機・艦爆57機・艦攻42機)を出撃させた。艦攻隊も500キロ爆弾を搭載し、残存する港湾施設及び石油タンクを狙うように指示されていた。
しかし、第三次攻撃隊の攻撃は猛烈な対空砲火によって困難を極めた。
だが、猛訓練を行なっていた為何とか攻撃することは出来た。
その為戦果は、乾ドック全壊、石油タンクを一部破壊にとどまった。
その代わりに損害は艦戦7機、艦爆14機、艦攻11機が撃墜された。
この後、第三次攻撃隊を収容した後に第一機動艦隊は未だ炎上している真珠湾を背に柱島に向けて帰頭して行った。
空母赤城(第二次近代化改装後)
排水量42800t 速力32,1ノット
武装 九二式40口径12,7cm連装高角砲6基12門。
25ミリ連装機銃22基44門。
航続距離12、300浬。
常備搭載機数72機。補用機14機。