真珠湾攻撃艦隊単冠湾より出撃
時を戻して昭和16年11月22日。
択捉島の単冠湾には第一航空戦隊の空母赤城・加賀、第二航空戦隊の飛龍・蒼龍、第三航空戦隊の翔鶴・瑞鶴を基幹とする第一機動艦隊が集結していた。
当初、第四航空戦隊の雲龍・天城、第五航空戦隊の葛城・笠置も編入するように山本五十六連合艦隊長官は軍令部に要請したが軍令部総長の永野修身大将と次長の伊藤整一中将が、「宣戦布告直後の奇襲作戦とはいえ無事に帰還できる保証はない。もしここで正規空母を全て失っては連合艦隊の主力をすべて失うことになってしまう。」そう言って断ったのであった。
山本長官も大型空母の赤城・加賀・翔鶴・瑞鶴の編入は許可されたので渋々納得した。
出撃予定日は同月26日だったので各空母の航空隊と艦隊の全艦は毎日厳しい訓練を行なっていた。艦隊の全艦は非常時に備えて対空戦闘の演習を行い、攻撃隊直掩に付く零戦隊も爆撃演習を行なっていた。零戦のパイロット達は爆撃の演習を行なうように源田実中佐に指示された時、「身重の機体で敵戦闘機と交戦するのですか?」と、驚いた表情で言ったが、源田中佐の「敵戦闘機と交戦する場合は交戦する前に爆弾を投棄しても良い。」との指示から空戦の演習と共に行なっていた。そして、艦爆・艦攻隊は標的艦摂津を用いての動く目標にも命中させる訓練も行い、訓練のおかげで静止目標にはほぼ十割、標的艦にも八割の命中率を叩きだせるようになった。
こうして攻撃部隊の準備は整い、艦隊の全乗組員が何一つ心残りなく第一機動艦隊は単冠湾を出港して行った。