ポートモレスビー陥落・二度目の航空決戦
とにかく長くなってます。
5月22日10時。
米機動艦隊の攻撃により予定していたよりも二日遅くポートモレスビー沖に第四艦隊が到着した。
作戦が遅延するのが明白になった1日前に敢行されたラバウル基地からの空爆により、ポートモレスビーの主要な航空基地はすでに沈黙しており、今まさに大和の艦砲射撃の下に上陸部隊が上陸するところであった。
輸送船団から上陸部隊を満員に乗せた内火艇が海岸に向かって行く。
その上空を音を立てて46センチ砲弾が海岸線に降り注ぐ。
暗号解読のおかげで、上陸作戦阻止のために海岸線に配備されていた米・豪連合軍の部隊の敷いていた防衛線はことごとく粉砕され、更に部隊の大半が戦闘不能に陥る被害を受けた。
そこに日本軍上陸部隊が上陸した。
大和の砲撃による防衛線の崩壊・混乱等で米・豪連合軍は有効な反撃を行なうことが出来ずに撃破されていく。
空軍基地より爆撃機が出撃したが、それも第四艦隊の空母群から出撃した零戦により一方的に叩き落されていった。
元中国戦線から転戦してきた第七軍団は中国戦線で培われた戦闘技術を遺憾なく発揮して連合軍部隊を撃退していった。
そして、24日には飛行場を占拠した。
この後は作戦通りにラバウルより航空隊を移して米豪連絡線を遮断するだけである。
輸送部隊を護衛し終えた第四艦隊はラバウルに帰航の航路についた。
だが、それを米軍潜水艦が25日に捕捉した。
そして、サモアで消耗した航空隊の補充を終えて再びの奇襲を目論んでいたフレッチャーの艦隊に打電した。
その電報を受電した途端に、フレッチャーは艦隊を最大戦速で第四艦隊の予想進行航路に展開しようと急いだ。
だが、それが仇となって27日午前8時にツラギ島に配備されていた97式大艇の定時哨戒に引っかかった。
それは、すぐに小沢の下に打電された。
小沢は97式大艇が迎撃機により追い払われたので、詳細な位置の確認の為に、瑞雲を97式が米艦隊を発見した位置を重点的に索敵に出撃させた。
そして、12時にフレッチャーの艦隊を発見した。
「米機動艦隊発見!」の報告を受電して、すぐに小沢は空母雲龍・天城・瑞鳳より攻撃隊(艦戦30機、艦爆50機、艦攻48機)を直ちに出撃させた。
対するフレッチャーも、97式大艇に発見されてからSBDを索敵に出しており、小沢が攻撃隊に出撃命令を出した30分後に第四艦隊を発見し、(艦戦30機、艦爆96機)出撃させた。
午後1時にフレッチャーの艦隊上空に第四艦隊から出撃した攻撃隊が雲霞の如く襲い掛かった。
米艦隊は輪形陣を敷いて、空母を守ろうと対空砲火を打ち上げる。
艦隊上空直掩の24機のF4Fも、性能・技量が劣っているのを承知で攻撃隊の中に機銃掃射をしながら果敢に突入した。
F4Fの攻撃で艦戦4機、艦爆7機、艦攻5機が撃墜されたが、17機のF4Fを撃墜した。
残った攻撃隊全機は5機ずつに分散して、米艦に一斉に攻撃を仕掛けた。
そのおかげで、米艦隊の対空砲火は分散したので艦爆3機、艦攻4機が撃墜されただけだった。
そして、空母ヨークタウンの前部甲板に爆弾二発・艦尾と右舷に合わせて魚雷三発命中、レキシントンの艦橋に爆弾一発・中央甲板に爆弾二発・艦首に魚雷二発命中、その他重巡2隻撃沈・1隻中破、軽巡1隻小破、駆逐艦3隻を撃沈した。
この被害でヨークタウンは6ktしか出せなくなり、レキシントンも浸水で艦首が沈み込んでしまって18ktが限界になった。
一方の第四艦隊は直掩零戦隊(24機)の迎撃でF4F4機、SBD13機撃墜、3機が撃墜した。
大和の主砲三式弾でF4F5機、SBD7機を更に撃墜、一式12連装対空墳進砲の攻撃でF4F2機、SBD6機を撃墜した。
その後、第四艦隊の各艦が主砲・高角砲・機銃を雨あられと打ち上げる。
だが、大和の対空攻撃の後に米攻撃編隊が分散したので、撃墜できたのはF4F5機、SBD7機だった。
残った63機のSBDは個々に目標を定めて急降下爆撃を開始した。
空母雲龍に至近弾三発、天城の前部飛行甲板に爆弾一発、戦艦大和の第一主砲塔側面に爆弾一発・艦尾に爆弾二発命中、その他には重巡1隻小破、軽巡1隻中破、駆逐艦2隻小破・一隻撃沈である。
小沢は天城に前部甲板の応急修理の開始を指示した。
その頃、米艦隊は両空母とも飛行甲板に巨大な穴が開いたために航空機の離発着が不可能になった為に当該海域を離脱することを決定、可能な限りの漂流している兵士を回収して、ヨークタウンに自沈処理を行なうようにフレッチャーは指示した。
出撃した攻撃隊残存機にはオーストラリアに可能な限り向かうように指示した。
オーストラリアに配備してあるカタリナで燃料切れになって脱出したパイロットを迅速に回収する為である。
だが、ヨークタウンに駆逐艦から四発の魚雷が発射されたが、沈むのを確認する時間が無いので連合軍艦隊はサモアに向けてレキシントンの出せる最大速度の18ktで一目散に離脱し始めた。
その1時間後の4時に大和の瑞雲が大破炎上中のヨークタウンと取り残されて海上を漂流している米兵を発見した。
小沢はその報告を聞いて米艦隊の捜索・追撃を諦めて、米兵の救出をすることを決意した。
そして、次の日に当該海域に到着した第四艦隊は、未だ漂流中の米兵達の救出を開始し、ヨークタウンの曳航も同時に行なった。
この戦いの結果、米兵達の士気を大きく削ぐことが出来たのだった。
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