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正中の変

 正成は大義をかざして激昂する使者の討幕論を忍耐強く聴いていたが、いざ「ご返答を」と言われて頭を下げた。


「一君万民の御統治という理想、北条一門の専横に対するお怒り、まことにもってごもっとも。この正成、そのことには一も二もなくご賛同いたします。なれど、今はまだ時期尚早。本年内のご決起には、参加致しかねます。準備などございますれば、願わくばお旗揚のご延期をと、奏上致します。なにとぞご再考を」


「楠木」


 山伏姿に身をやつした使者は、床を叩いて正成を睨みつけた。

 そこには世間の実情を知らない貴人の怒りが浮かんでいる。


此程これほどまでに語を尽くして説いても、主上のお味方は出来ぬと申すか」


「お味方せぬとは、申しておりません。ただ、今はまだ、時期ではないと申しておるのでございます。鎌倉とご対立なさるというのであれば、実力五十万騎と号される大軍と戦わねばならぬがひつじょう。わずか数ヶ月の支度ではこの楠木、思案の仕様もありません」


「では、どれ程待てば支度万端調(ととの)うと申しやる」


「されば、少なくとも三年は頂きたく存じます」


 それを聞くと、使者はすぐさま目元を朱に染め眉間を寄せて詰め寄った。


「さても楠木は腰抜けと決まった。よう聞きゃれ。我らが同志と数える多治見たじみろうろう国長くになが足助あすけろう重範しげのりなどは、主上が思し召すなら今日明日にでもと言うておる。それを其許そこもと、三年待てとは何事か。もうよい、其の方は頼みとはせぬ」


 烈火の如く喚き散らすと館を辞して水分を去って行く。

 残された正成は、身じろぎもせずに座り続けていた。

 今日の使者、日野ひの俊基としもとと名乗っていった若い公家は、あまりにも世間を知らな過ぎる。

 山伏姿に身をやつして大和や河内などを遊説しているようだが、一体どこを見歩いているのか。

 一向に下々の暮らしや鎌倉幕府の実力を測っているようには見えなかった。

 正成の得ている情報から推察する限り、北条氏に対する御家人の不満は小さくはないが幕威は未だ健在であると見えている。

 一方の宮方には悲しい程に頼るべき武力は乏しい。

 わずかに多治見国長、足助重範、土岐とき頼員よりかずらの武士が合力するようだが足しても千に満たないであろうし、俊基(きょう)の口ぶりから頼られるであろうと思われる山門の僧兵も、どれ程動員出来るか知れたものではなかった。

 おそらく山門を出てまで宮方に加担はすまい。

 となれば、帝がどこでお旗揚をするかで大いに明暗が分かれよう。

 が、いずれにせよ合して三千までの兵は集まらないだろうと、正成は計算していた。

 それでも帝は起つのだろうか。

 確かに執権北条高時の素行を考えれば、鎌倉幕府はもはや御家人の益とは言えず、民草には害とも言える。

 しかし、幕府を倒した後のまつりごとは誰がるのか。

 宮方では帝がお望みの通りご親政で執り行おうと考えているようだが、果たしてそれが万民の為になるのか。

 いささか不安ではあったが、正成は宮方へつくと心を決めた。


 決断後の正成は、精力的に情報を集め出した。

 信頼のおけるしゃくたちに切れ目なく京を往復させ、普段であれば気にも留めない些細な出来事まで報告させた。

 近隣の散所にも商いにかこつけて大量の人を送り込んでいる。

 京では望めぬろく探題たんだいの評判や畿内の悪党たちの動向を知る為だ。

 また、自らは散所経営を老臣(おん)こんに任せ、軍事調練は弟の七郎正季(まさすえ)に託して河内の山々を渡り歩いていた。

 為に、後に正中しょうちゅうの変と呼ばれる鎌倉討幕の謀議発覚の報が時もおかずに水分までもたらされていながら、正成自身がその報に接したのはそれから十日も経ってからとなってしまった。


 「うぬ、はや漏れたか。で、捕えられたのは日野資朝(すけとも)卿と俊基卿のお二人だけで相違ないのだな」


 一月ぶりに館に戻った正成は、山賊然とした風貌のまま左近の報告を聴いていた。

 報告によれば謀議に加担していた土岐頼員が、夫の様子に不審を抱いた妻の「さては他所よそに女でも」というあらぬ誤解を解く為に、すべてを正直に話してしまった事が発端であるらしい。

 悪い事に妻の実父は六波羅奉行斎藤(さいとう)ろう門尉もんのじょう利行としゆき

 愛しい良人おっとの生命を助けたいという一心から、彼女は実父利行に相談した。

 事実であれば六波羅としてこれ以上ない重大事である。

 寝耳に水の狼狽を鎮めた利行は娘の歎願たんがんを受け入れて、娘の夫頼員を説き伏せるとはかりごとの密告者という事にした。

 この騒動で多治見国長が六波羅勢に討たれ、首謀者として日野資朝、俊基が捕えられて鎌倉へ送られていたのである。


 「その報せが水分に着いたのが十日前となると、今から人を鎌倉へっても詳しい話は集められそうもないな」


 正成は、少々の後悔をしつつあった。

 鎌倉への探りは年が明けてからでもよいと思い、なんの手も打っていなかったのである。


 「心配には及びませんよ、兄様」


 正成到着の報せを受けて参上したのだろう、そこに正季が入ってくる。


 「物見、伝令の調練として筋の良さそうなものを数名、鎌倉(おもて)つかわしている。今日も京から戻ったばかりの猿楽一座に無理を言って、鎌倉へってもらった所だ。彼らには街道をゆるゆる行って、道々の噂なども拾い集めてもらう事にしている。先に放った者が、彼らの情報ももたらしてくれるでしょう」


 正季の機転によって鎌倉の様子、二人の処分に至る経緯までを詳細につかむ事が出来た。

 報告によれば資朝が一身に罪を背負い佐渡に流されたのみで、俊基は嫌疑不十分で放免ほうめん

 もちろん帝へは、沙汰さたほかとされた。

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