男の死に場所
「正季」
帝の逆鱗に触れ、水分に戻っていた正成は、弟の館を訪れた。
「兄様の方から俺の館に来るなど、何かよほどの決心についてのご相談ですか」
正季は、さっと家の者に酒肴を用意させると彼らを遠ざけた。
「帝と足利殿の事でしょう」
正成は無言で酒だけをあおる。
それもまた珍しい事だ。
正季はため息を一つついて、独り言のように呟いて見せる。
「俺は、兄様のように難しい学問は好きではなかった。もっぱら軍学と調練の日々を過ごしてきたから、相談を持ちかけられてもいい思案は浮かびません。ただ……兄様が死を決めたと言うなら是非、お供させていただきとうございます」
「……やはり血を分けた兄弟、という事か」
正季は、ニヤリと笑う。
「瀬戸海を廻って来た船頭が言うには、足利殿が九州にて、息を吹き返したと言う話だ」
正成は抜かりなく情報を収集していた。
おそらく朝廷はまだ知らない。
「ほう。で、どちらのお味方を」
「出来れば和睦願いたい」
「それは無理だ。足利殿は幕府を、武家の政権をお望みのようだし、帝はご親政に固執しておわそう」
「足利殿からは、はるばる九州から使者が来た。この正成ごときに破格の恩賞を約束するという事だったが……」
正成は近頃寂しげな笑みを作る事が多くなった。
「かのご仁は正成の、いや楠木氏の本性を知らん」
「本性……ですか」
「必要なのは土地ではない。必要なのは争いのない時よ。人の行き来に不自由や不安のない世の中よ」
正成は言う。
尊氏は育ちが良すぎると。
気前よく家臣に与えすぎる。
それは、うわべだけの商いと変わりがない。
本物の商いは、今は多少利がなくとも将来を考える。
こいつならと信頼し、信頼させる事が将来の利に繋がるのだ。
利のみによって結ばれた関係は、利がなくなれば壊れてしまう。
砂の上に城を築くような、そんな脆弱な基盤で回復した勢力では新たな利害の衝突で離合集散し、将来にわたって戦が絶えないだろうと。
「わしはな正季、戦を続ける才はあるが、戦を終わらせる術を知らなかったようだ。千早籠城の折も、考えてみると誰かが終わらせてくれる。そう見ていたに過ぎない。わしが終わらせるのではなく、わしが戦を続けてさえいれば、誰かが六波羅を、北条氏を討ち滅ぼしてくれると信じていた。……自分の最期だけは、自分で終わらせたいと考えている」
九州で勢いを盛り返した足利軍が東上してくるとの報せを受けた朝廷は、正成を京へ呼び戻して義貞を出陣させた。
その義貞軍は途中、白旗城を築いて叛旗を翻していた赤松軍に手を焼き、攻倦んでいるうちに中国地方一体の武士がこぞって足利方となってしまう事態を招く。
これには少々のカラクリがある。
実は、前回の大敗を「朝敵」という不名誉を嫌ったものだと分析した尊氏と円心が、密かにもう一つの皇統、持明院統に働き掛けて自分たちの軍を「もう一つの官軍」であるとした事による。
「官軍」と「賊軍」ではなく、「官軍」対「官軍」の対決という本来ありえない形を作り出して見せたのだ。
そうなると尊氏と義貞の評判が、明暗を分ける事になる。
朴訥として一筋に朝廷に仕える義貞より、気前よく恩賞を約束する鷹揚な尊氏に人気の集まるのは、自然の理ともいえた。
正成は、帝に呼ばれる。
「急ぎ西下し、新田に合力せよ」
正成、しばし黙して面を上げた。
「愚見にござりまするが、西国大方の武士が敵方となりました今、真っ向対陣では敗戦必至。新田殿には京までご退陣いただき、帝には一時、叡山へお移り願いたく存じます。足利勢が京へ入りましたなら、この正成が河内より淀川をふさぎ糧道を断ちまする故、賊軍ほどなく衰え、日を追って散じましょう。機を見て新田殿が叡山から、正成が河内から挟撃致せば一戦にて勝敗は決しましょう。我が方策を何卒ご採用下さいますよう、よろしくお願い申し上げまする」
義貞不在の今、朝廷に戦略を知ったものなど一人もいない。
皆、なる程と思ったのは確かである。
しかし、ここに一人異を唱える者が出た。
坊門宰相清忠である。
曰く「天子に加護あり。年同じくして再度の叡山行幸などあってはならぬ。勅に従い早よう行きやれ」
正成はなおも食い下がったが、結局聞き入れてもらえず、唇を噛みしめて辞去せざるを得なかった。
兵庫への道は、足取りも重い。
正成は死を決している。
彼は桜井において、初陣を望んで従軍していた嫡男正行を呼び寄せた。
「正行。そなたは河内へ帰れ。…いや、河内へ戻ってくれ。父は、此度の戦で死のうと思う。帝のために死のうと思うておるのじゃ」
正成の優しげな眼差しには、息子への慈しみの情が滲み出ている。
正行は、挑むように父を見上げ、抗弁の言葉を紡ぎ出そうとしていた。
「言うな正行。この戦が、楠木一党の為の戦であるなら連れても行こう。楠木ただ一党の戦であるなら、どんな手段を使ってでも生き延びて、そなたらと河内へも帰ろうが……此度の戦は帝の為の御戦じゃ。父は此度の戦で死なねばならぬ。帝の為に死なねばならぬのじゃ」
言葉にすれば確かにそうなるのだ。
しかし、正成の想いはもっと深いところで別の意味を持っていた。
この国の君臣のあり方についての彼なりの形を、自らの死をもって作り上げようと考えていた節がある。
悲壮にして清廉の決意だ。
正成は腰に佩びていた太刀を正行に差し出す。
「そなたにこれを渡そう。往にし時、笠置にて菊水の御旗と共に賜ったものじゃ。今生の形見にそなたに渡そう。もう一度言う。正行……河内へ帰れ。河内へ戻って母を扶け、弟たちを養うてくれ。そして……帝をお護り致せ。判ったな」
正行は父の穏やかに微笑むのを見て、泣きながら陣中を飛び出して行く。
一部始終を見ていたもので、泣き崩れなかったものはなかった。
ただ、正成だけが心に沁みる微笑みをたたえている。
やがて、正行を送り出した正季が戻ってくる。
「正季。兵たちには里に戻りたければ戻ってもよいと、確かに伝えたのだな」
正季は、無言で頷いた。
「して、いかほど残った」
「五百」
「五百か……よう残ったのう」
「ただ、楠木党以外から兄様を慕って集って来る者が思いのほかありまして」
真心を持って、自らの命さえ賭けて仕える。
それは正成が想い描く忠義の姿である。
その忠義の対象として、河内の一土豪、悪党とも呼ばれていた楠木正成を選んでくれた者がこれほどまでいるとは。
「この正成、果報者よな」
正成は床几から立ち上がると、軍配を振りかざして号令する。
「全軍に申し伝える。目指すは、湊川」
正成は、己の死を演出して見せる事に全身全霊を傾けた。
地形を事前に調べ上げている正成は、会下山という丘陵に本陣を据えた。
相手が誰であれ、簡単には敗けてやるつもりはない。
会戦すると、主力の新田勢があっさりと敗走してしまった為、せっかく直義軍を敗退させたというその背後を尊氏軍に断たれてしまった。
「判っていた事ですが、情けないの一語に尽きますな」
主力がいなくなり、ぐるりと敵に囲まれて一党七百余騎だけが完全に孤立してしまったのだ。
正季としては愚痴の一つでも言いたくなると言うものだ。
正成にもその気持ちはよく判る。
「なに、この楠木一党の忠戦を後世に残す為に天が施した演出だと思えば、奮戦のしがいがあろう」
「なる程」
朝から続いている戦闘は、午を過ぎても一向に終わる様子はない。
楠木軍が万余の兵に囲まれた経験は、これが初めてではない。
ただ、千早も赤坂も城に拠っての攻防だった。
だが、ここ会下山は木の生い茂る丘陵であるというだけで、特別な仕掛けを施している訳ではない。
それでも正成は、隊を小さな単位で動かす事で神出鬼没の活躍を見せる。
楠木軍が獅子奮迅の活躍を見せているという報に接し、尊氏の胸が騒ぎ出した。
正成が死のうとしている事が判ったからである。
「正成を生きて捕えよ、殺すでない」
それは、尊氏の悲痛な叫びとなって全軍にこだました。
彼は、この期に及んでも正成を味方にしたかったのだ。
正成さえ尊氏に味方してくれれば、すべてがうまく行くような、そんな確信がある。
自分ならば正成を、正成の真価を発揮させられる。
この尊氏であれば、正成の望むような国を創ってやれる。
そんな、根拠のない想いが彼の心を支配していた。
尊氏は祈った「正成殿、捕えられてくれ」と。
尊氏の想いを、正成は受け取っていた。
しかし、降る気など毛ほどもない。
尊氏の採った利益誘導型の味方集めの先に待つものを、正成は見切っている。
それにもう、今の正成に生への執着はない。
正成の心のうちには、この国の忠義の形を創るという情念がある。
楠木軍は力の限り、刀の振るえる限りの奮戦を続けた。
幸いとでもいおうか、前面の敵直義軍には、生け捕るつもりがないようなのも当たりの様子で知れた。
直義としては、正成に生きていられると困るような野望を秘めていたのだろう。
正成としてはむしろ好都合だった。
彼ら楠木軍の奮闘が鬼気を孕み、後の世から見ても真実の迫力が褪せる事なく語り継がれるだろう。
長い、長い一日が終わろうとしていた。
日が朱色の光を帯びて西に傾き始める頃、楠木軍は一兵も散じる事なく討ち取られ、わずかに七十二人となったところで、近くの村のある屋敷に入った。
「さて」
正成は泥と血で汚れ、壊れた鎧兜を脱いで、生き残った一人ひとりの顔を眺めまわした。
「勝敗はとうについておった。皆、この正成を慕うてよくぞここまで戦い抜いてくれた。この上は、生き恥晒して現世を暮らす法もあるまい。正季。今生、何か言い残す事はあるか」
「ふん。俺は七度生まれ変わって、朝敵を滅ぼすつもりよ」
正成は、懐かしいあの柔和な微笑みを満面にたたえて、穏やかに応えた。
「罪業深い念よな。なに、わしも同じ想いだ。さて、皆、共に黄泉路を行こうぞ」
楠木兄弟が刺し違えると、一族郎党こぞって相果てた。
正成の首が届けられた尊氏は、その穏やかな死に顔を胸に抱き、深く、深く慟哭したという。




