はしがき 空海の時代性と天皇における統治の仕組み
真言宗の開祖である空海は
四国の讃岐に生まれ、奈良に出て出家している
24歳の時、三教指帰を、書いて
儒教・道教・仏教の優劣を論じ
出家の意思を固めている
この作品はある意味、我が国で書かれた
比較思想論の、初めての試みであるが
それは、空海における信仰告白の書であった
といってもよい
31歳の時、遣唐大使、藤原葛野麻呂の
船に乗って、中国に渡る
唐の都、長安では
インドから伝えられた密教を恵果について学び
多くのテキストやマンダラを収集して帰国
その関心は、仏教や密教の世界はもとより
、書画や彫刻、修辞学や言語学に及び
文こそ国家統治の道なり、の確信をえた
所謂、明治時代でいう森鴎外
密教の創始者としては
嵯峨天皇の信頼と支援のもと
高野山に密教道場センターを作り
京都には、東寺(教王護国寺)を設立
この時代、律令政治は、太政官(政治)
と、神祇官(神道)の二本立てで成り立っていたが
所謂、国家統治というものは
民衆を束ねるための教えやルール
死生観のバックボーンとして
教王護国 という、インドから伝えられた密教
いわば、真言宗をバックにした
統治が行われていたのかもしれない
また、密教のマンダラにおける
女性の裸婦の細かい細工絵は
時代とともに、マンダラをみる距離が制限されて
金剛界マンダラ
胎蔵界マンダラ
における
女性と男性の生殖のビックバンの表現が
擦れやボケで分かりにくくなり
それが、宗教性に導く一つの鍵となる
それは、マンダラをみることによって
紐解けるジェンダーの思想論であり
皇室典範における、女帝とは?
に、言及される
万葉集の翻訳において、御心という天皇家に
おける単語の主体が、his なのか her なのか
ここに、I は存在しないが故
この差における 律令政治の帝王の思想
というものは、神道また、神道をささえた
律令政治に寄与する空海の思想
にも、影響されたはずである
皇位継承と国家統治システムの象徴としては
天皇の死による新しい、天皇の即位
所謂、三種の神器の承継の他に、
大嘗祭という、イネ(生産)とタマ(霊威)
にもとづくマツリゴトが、行われてきた
これは、七世紀の天武・持統の頃から
定まったっと、考えられ
天皇霊 という言葉も用いられるようになっていた
これは、天皇制の社会におけるカリスマ性を作り
社会において、天皇制と宗教の統治が
もたらす影響を表していく