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 ようやく慣れた商店街の通りを歩き、ふと夕飯の買い物を思い出す。冷蔵庫には何もなかったはずだ、と商店街を人の流れに逆らい引き返す。

 スーパーの店先には金物屋が“きずもの”の漆器を売っていた。前の週は海苔で、その前の週は焼き鳥屋だった。

 そのスーパーには、洋子と同棲していた部屋から一番近いスーパーには来ていた、研ぎ屋はいなかった。

 同棲を始めて間もない頃、洋子とスーパーへ買出しに行った時、店先に並べられた包丁の真ん中で、折りたたみの小型のイスにタバコをふかせ座るおじいさんがいた。興味本位で研ぎ屋のおじいさんの周りにある、包丁を眺め、用途によって、長さも太さも違うのだな、と関心を示していたら、おじいさんが、機械で包丁を研ぎ始めた。それにも興味本位の関心をみせたわたしに、照れくさそうに、本当は手で直接研いだ方がいいのだが、歳のせいで、手元が狂って巧くできなくなったので、なくなく機械に頼っているのだ、と職人の意地なのか機械の研ぎ具合を褒めようとはしなかった。

 一頻りの興味も失せ、店内に入ろうとするわたし達を引き止め、研ぎ屋は頼みもしないのに包丁の研ぎ方を講義し始め、その際に、研いだ包丁の刃先を親指でそっと擦ってやると研ぎ具合が分かるのだと教えてくれた。

 親指の腹にかかるひっかかりの程度によって、切れ味が判別出来るのだそうで、その日、スーパーで剃刀を買い、使い古した剃刀と新品のやつとを、おじいさんに教えられたように、親指の腹で、そっと撫でてみる。

「ほんとだ、こっちのは滑る感じがする」

 使い古した剃刀の方を試していた洋子は切れ味の悪さをそう表現した。

 研ぎ屋に包丁の研ぎ方のこつを教わってから、わたしは研ぎ石を買い、包丁を研ぐうちに達人にでもなったような気さえしていた。

 わたしの研いだ包丁の切れ味は、洋子が肉や野菜を切って確かめてくれていた。同棲していた間、料理はほとんど洋子がしてくれた。わたしは料理下手だから、料理が好きな洋子はわたしの研ぎ終えたばかりの包丁を使い、

「あなたの包丁は本当によく切れるわ、鶏肉の皮もスパッと切れるもの」と喜んでくれた。

 洋子はわたしが包丁を研ぐ際の表情が大好きだといってくれた。彼女の言葉によると、その時のわたしは、洗練された手捌きに意気が感じられ、女でも惚れ込むほどの真剣な、顰めた眉間は“とてもカッコいい”のだそうだ。

 わたしは調子に乗って使い捨ての剃刀も研ぐようになった。試し切りは自分の腕でして、傷口から鮮やかな出血が起こると、洋子に自慢したくなる。

 テーブルに垂れる血を拭きもせず洋子を呼ぶ。わたしの腕を見て、ゆっくりと、ティッシュ箱を片手に彼女が隣に座り、

「あなたがいれば、ずっと剃刀を買う必要がないわね」

 洋子はわたしの傷口を数枚にも重ねたティッシュで押さえ、テーブルの血も拭ってくれた。


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