慌てないサンタクロース
「『さんたくろーす』というのは何なのでしょうか?」
レナさんは小さく首を傾げながら問いてくる。
冗談を言っている感じはしない。
サンタクロースを知らない、だって? 彼女は何を言ってるんだ?
「世界人気職業ランキング」や「大きくなったらなりたいものランキング」に毎年ノミネートされているであろう、この崇高でおそらく世界で最も有名なこの職業を知らない?
そんなことってありえるの?
しかも、普通なら、この場合僕が本物のサンタクロースかどうかを確かめる方が先なはずだ。なのに、彼女はサンタクロース「そのものが何か」を聞いてきた。つまり、本当に知らないのだろう。
いや、それでもおかしい。サンタクロースを知らない人というのはこれっぽっちも認めたくはないが、おそらく存在する。宗教の関係上、そういった地域があるのは知っている。でも、彼女の容姿や服装は少し時代錯誤で古い印象を受けるけど、ヨーロッパの文化を彷彿とさせるものだ。
そんなヨーロッパ文化を享受している彼女がサンタクロースを知らないなんていうのはやっぱり変だ。
それに、ここがどこかを尋ねたとき、彼女は「エベルハイド領」と答えた。だけど、僕はそんな地名を知らないし聞いたことすらない。
彼女の年齢や話し方から無教養というわけではあるまいし。
「すみません、何かお気に触るようなことを申してしまいましたか?」
僕が突然黙り込んだことに何か勘違いしたのか、それとも沈黙が怖かったのか、レナさんはおそるおそる確かめるように聞いてくる。
いかんいかん。子どもを怖がらせるなんてもってのほかだ。
落ち着いてもらえるように出来るだけ笑顔で答える。
「別に怒ってないよ。サンタクロースを知らないっていうことに驚いただけだから」
「も、申し訳ありません! 恥ずかしながら、その、世間には疎いもので……。もしかして冒険者内での職業役割のことなのでしょうか?」
「冒険者? ジョブロール? なにそれ?」
冒険家とか探検家とかなら聞いたことあるけど……。
鞭を持って遺跡を調査したりする感じなのかな。
「……えっと…………冒険者をご存知ないんですか?」
「うん、初めて聞いた」
彼女は驚きつつ、しどろもどろになりながらも色々と説明してくれた。
要約すると冒険者とは国や貴族、はては一般人などが依頼主となり、公共事業やモンスターと呼ばれる害獣の討伐、貴重な薬草などの採取、行方不明者の捜索など様々なことをこなすことらしい。
それで職業役割というのは、冒険者の中でも戦闘に向いた人たちがそれぞれの役割を持ち、前衛、中衛、後衛、遊撃などに別れて集団戦闘や隊を組んだりする時の参考にするものとのこと。代表的なものが剣士や槍士、魔術師、拳闘士、回復術師などといったものがあるらしい。
戦闘向けの人たちが何と戦うかといえばモンスターと呼ばれる害獣らしい。たぶん、うちの業界で言うところの魔獣のことだろう。
けど、レナさんは聞いた話ばかりなので実はあまり詳しくないらしい。
そしてどうして冒険者を知らなかったことにレナさんがあんなに驚き説明に詰まったかというと、基本的に冒険者という職業は「どの国」にもあるとても一般的な職業で知らないとは思わなかった、というのが理由だった。
印象としては普通の人に「警察」って何ですか?って聞くのと同じ感じだろう。そんな反応だった。
「つまり冒険者っていうのは何でも屋さんで、ジョブロールは自分に出来ることを提示したものってところかな」
「そうですね、そうなります」
ありえないと思っていた仮説がどんどん現実的なものになってきている気がする。
「レナさん、さっきここがどこか聞いたときにエベルハイド領って言ってたけど、ここの国名とか大陸名とか教えてもらっていい?」
「国名って、アーデルタニア国で大陸はキルシュ大陸ですけど……」
「変な質問ばかりかもしれないけど、僕は本当にここがどこか分かってないんだ。だから教えて欲しいんだけど、アジアとかヨーロッパ、アフリカ、ユーラシア、聞いたことのある名称はあるかな?」
「……いえ、どれも聞いたことありません」
さすがにここまで聞いたら僕でも分かる。何かの冗談かと思って、自分でもくどいと思いつつ質問攻めにしてしまった。いきなり意味不明な質問ばかりをして申し訳なさを感じるがここで妥協しても意味ない。
「ありがとう、レナさん。おかげでやっと状況が理解できたよ」
聞いたことのない大陸、国、領地、職業。知らないけど理解できる言語。そして節々に感じる文化の違い。さりげなく魔術師という魔法使いに似た存在が普通にいること。
そして何よりサンタクロースという聖職を知らないという事実が、嫌でも現状を突きつける。
「どうやら異世界に来ちゃったみたいだ」
◆
状況的に見て異世界に強制転移させたと思ったが、確信なんてなかった。得られる情報だって今いるこの屋敷と倒した男たち、そしてレナさんからだけだし。
レナさんが嘘を言ってるとは思わないけどあまりにも現実味がなかったから疑う形になってしまった。
サンタクロースが着用を義務付けられている制服のうちのサンタキャップには、良い子を判断するために嘘をついた場合と悪意を感知した場合に反応するようになっている。でも、これにも反応がないことが決定打になった。
そもそも、異世界への転移なんて昔から現代魔法士学会でも実質不可能な領域と言われていたものだ。それを成し得たとしてもそれをうちの上司であり犯人と思われるラザレスがやったとは考えにくい。
まあ、もっと正確に言うなら、ラザレスがやったというよりもラザレスに「実現させることができた」とは思えない、だけど。それにラザレスは空間系統魔法の使い手ではなかったはずだ。彼の知り合いにも高位の空間系統魔法使いはいなかったはずだし……。
彼女が質問した「サンタクロースとは何か」という質問は普段余裕が有る時ならばいくらでも、それこそ何日でも滔々と語ってあげたいんだけど、それどころではなくなった。
とりあえず、僕が落ちてきた煙突を調べてみないことには始まらない。
魔法は発動してしばらくはその魔力や魔法式などが残留する。それを辿ればもしかすると帰ることができるかもしれない。
魔力は指紋と同じで一人一人違うし、魔法式には使い手の癖や特徴が出るものだ。せめて犯人と思われる人物の魔力痕だけでも発見できれば御の字なのだけど。
もっというとラザレスがやったと思われる決定的証拠があればいいんだけど。今はいい。
そんなことを考えながら、煙突を下から覗き込んだり入り込んだりして検分してみても、全く痕跡が見つからない。
携帯端末を覗いてもやっぱり圏外と表示されるだけだし応援を呼ぶことも出来そうにない。
魔力痕は見つからないが、早くしないと魔法の痕跡が消える。そうなると帰るのはもちろん、ここと元の世界の通路が消えてしまい、同じ魔法を発動させて帰ることがほぼ不可能になる。
ただでさえ、実現不可能と言われていた魔法なのにそれを見本なしでいきなり再現しろと言われても発動できる自信はさすがにない。
正直眠たくて仕方ないが、ここが正念場だろう。
そうして煙突を調べていると後ろからレナさんの声が掛かった。
「ニコラさん、お願いがあるんです」
「お願い? 何?」
言いながらも、手を止めない。時は一刻を争う。魔力痕が消えるかも知れないし眠気で倒れるかも知れないという意味でも。
彼女を救うという目標はひとまず達成したし、家に送り届けるのも魔力痕と魔法式の手掛かりを見つけてからでも遅くないはずだ。
申し訳ないけど、どんなお願いをされても先にこちらを優先させてもらう――
「私の他にも囚われた子どもたちがいるのです。一緒に救ってはいただけないでしょうか」
「行こう! すぐ行こう!」
魔力痕? 眠気? そんなことは子ども達の二の次だ。異世界だろうがどこだろうが子どもたちが宝であることは変わりない。
はっきり言って煙突をいくら注意深く観察してみても魔力痕は全く見つからなかった。こうなるとラザレスが行使した魔法以外の可能性すら出てきた。
だけど、そんなこと今はどうでもいいし、どうでもよくなった。
子どもの窮地を救えないようではサンタの名折れだ。
突然やる気になった僕にレナさんは驚きながらも案内を買って出てくれた。
ちなみに、気絶させた盗賊たちは『道具袋』から縄を取り出した縄で拘束し、念の為に部屋に結界魔法をかけ、誰も出られないようにしてある。部屋の外からの侵入も僕以外にはできないよう設定した。
僕たちは廊下を並んで歩き、子どもたちが居るという大部屋へと向かっている。
廊下に差し込む光は少なく、外は夜の帳が降りていた。
光を灯す《ライト》の魔法を使いながら進んでいる。これにもレナさんが驚いていたけど、その理由が光を扱う魔術が貴重でしかも無詠唱だからだとか。魔法と魔術がどう違うのか分からないから、いまいち反応できなかったけど。
歩きながらも色々と聞くことができた。
一体何でこんなところに子ども達数人と捕らえられているのかという話だ。
今更ながらの質問に自分のことしか見えてなさすぎて嫌気が差した。やっぱり冷静じゃなかったんだろう。反省はあとにしよう。それこそ今は子ども達のことが先だ。
そもそも話は昨日に遡る。
レナさんは貴族で、今僕たちがいるエベルハイド領を治める領主の娘だという。しかも貴族制度はこの世界では普通に根付いているという驚愕の事実が発覚した。だから、最初僕を見たときもチェスロック家が雇った冒険者かと思ったそうだ。
彼女は貴族の生活に窮屈さを感じた際に、周りには内緒で街に繰り出すそうで、そこで平民の子ども達と遊ぶのだという。見た目に反して意外とお転婆みたいだ。
今回も例外ではなく、子ども達と遊んでいたのだが、今回は森を探索することになって皆で探索していたところ、大型のモンスターに遭遇らしい。気づかれずに逃げたところ、そこにも別の大型モンスターと小型のモンスターの群れが現れ、仕方なく遠回りして街へと帰ろうとしたところに追い打ちを掛けるように傭兵団(笑)に見つかり誘拐されたという。
捕らえられた際、レナさん含む子どもたち5人は元々、今向かっている大部屋に集められていたらしい。子ども達をどう売るかを話しだした傭兵団に彼女は自分の身分を明かし、子どもを解放することを条件に身代金の交渉をしようと試みたという。
レナさんと傭兵団は別室に移ったところを僕がダイナミックにやってきたらしい。
レナさんも無謀なことをするものだ。話の通じない相手にするべき対処じゃない気がする。
けれど彼女は貴族の娘として他の子どもたちをはじめとした領民を救うのはもちろん、早く領地に戻ってモンスターの群れの存在をお父さんに知らせたいという。でなければ街が大変なことになる、と。
「それもニコラさんが来なければこんなことを思うことすら出来ませんでしたが」と苦笑いしながら言っていた。
そんな話を感心しながら聞いていると、一つの扉の前にやって来る。他の部屋の扉と遜色ないが、中から複数人の気配がする。
「もうやめて! ライルが死んじゃう!」
少女の悲鳴にも似た叫びを聞いた瞬間、扉を蹴破って突入する。
そこには、血のついた剣を振りかぶった一人の男と、ところどころ服が破れながら泣き叫ぶ少女。
そして、胴から血を流しながら倒れている少年がいた。
ボロボロになっている少女が倒れている少年を庇いながら、男に懇願している。少女をかばった少年が斬りつけられたのかもしれない。
実際に目撃したわけではないから、事実は違うかも知れないけど状況を見て男が少年を斬りつけた事に変わりはなさそうだ。なら、もう話すことはない。
「《フロスト・バレット》」
少年に駆け寄りながらも右手を男にかざし魔法名を唱える。
右手の先から、魔力が収束しソフトボール程度の大きさの白い塊となって、そのまま男へと向かう。
狙いは男に向けるも当たればいい。男などもはや眼中にない。
当たりさえすれば結果を伴うのだから。
亜音速で打ち出された魔法を男は躱すことが出来ず、その身に受ける。
それだけで、男の体は目に見えて停まり、表面を青白く染め上げ一瞬で氷のオブジェクトになった。
――フロスト・バレット。
アイス・バレットという氷の礫を音速で飛ばす魔法を僕流に改良したものだ。冷気そのものを収束し維持した状態で打ち出すこの魔法は当たるだけで相手を氷漬けにする。
いきなりの侵入者に事態が急変させられて呆然としている室内の子どもたちを放置して、僕は血を流している子どもの元へと歩を進める。
赤毛の少年は息も絶え絶えの状態で、全身に切り傷があった。手足にも細かい切り傷があるがこちらは些細なもので、一番は腹部からだ。出血がひどい。全身の血を失っているためか顔色が悪く、見るからに様態は良くない。
僕の方を見ていた少女も僕の視線に気付いて再び少年に意識を向け、少年の安否を呼びかける。少女の髪の色も少年と同じ赤色でどことなく顔立ちも似ている。おそらく兄弟なのだろう。
「レナちゃん! ライルが! ライルが! わたしを庇って、それで、それで……」
赤毛の少女が取り乱しいるが、今は彼女を気遣っている場合じゃない。
レナさんが少女を落ち着かせるように介抱しているのでそちらは任せる。
「《グレーター・ヒール》」
左手を少年に向け魔法名を唱えると同時に光が少年を覆い、瞬時に傷口を塞いでいく。見る間に表情は穏やかになり、顔色も良くなっている。
グレーター・ヒールは中級のヒールよりも上位の魔法で即効で癒しを与える。
大人の傷なんて見ても「はいはい、治しときますねー」くらいにしか思わないけど子どもの傷だと、治ると分かっていても心が逸ってしまう。
グレーター・ヒールは欠損くらい平気で治せるから大丈夫だとは分かっているんだけど。
姉と思われる少女も少年が治っていく姿を信じられないという風に目を見開いていたが、少年が上体を起こすほど元気になるとその表情は喜びへと変わった。
「他に痛いところはない?」
大丈夫だと思うが一応確認してみると、少年は驚きながらも頷いた。
「ライルッ! 良かった! 本当に良かった!」
少女は少年に泣きじゃくりながら抱きつき、その確かな存在を感じているようだった。少年はそんな少女の背中をさすっていてどっちが年上なのかちょっと分からなかった。
そんな光景をハンカチを片手に僕も見つめていた。
かなりまずい状況だったことに変わりはないけど何とかなって良かった。人知れずため息がこぼれる。
魔法使いは基本的に人前で魔法を使うことはしない。魔法はその一族に伝わる秘匿されるべき技術だから。でも僕の魔法はオリジナルだし真似できるようなものではないから問題ない。そもそも子どものピンチに魔法を使わないでいつ使うのかって話だしね。
それに今は異世界にいるみたいだから怒られることもないし、魔術師とかいう似た存在が居るなら別に問題ないはず。たぶん。
部屋には、赤髪の姉弟と思われる少年少女の他に少年が二人、壁際に縄で手首を縛られた状態でいた。
レナさんと一緒に少年たちの縄をほどき、他の子どもたちにも《ヒール》をかけておいた。
さてと、これで子どもたちは悪い大人から保護できたみたいだけど、これからどうするかな。
今日も今日とて寝不足は免なさそうだ。
それでも子ども達の無事な姿を見れたことに安心している自分はやっぱりどうしようもないな、とも思う。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
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※1/4 気絶した傭兵を拘束した描写を追加しました。