第1話 赤い紐事件(1)
エリートを多く輩出する王立学院において僕が専攻していたのは魔法史科という将来の栄達には何の寄与もしない学問だった。学科の中での主席という肩書を武器に、若さゆえに自分の力を過信していた僕は、研究者として学院に残って欲しいという学科長や教授の引き止めを振りきって、社会という大海原に颯爽と飛び出した。
魔法史科で学んだ僕であったが、魔法は使えない。
魔法が使えないという事は珍しい事では無い。
むしろ魔法を使う事の出来る人の方がマイノリティと言えよう。
約10%。
ご存知の通り人類における統計的にみた魔法使いの割合だ。
魔法が発見されてから現在にいたるまで、この割合が大きく変動していない。魔法の能力は生来のものであり、親から子へ遺伝する事が多かったため、国によっては血統の操作により魔法使いの数を増やすことが可能なのでは無いかと動いたようだが、結果的にそれは徒労に終わった。
現在では、魔法使いの人口比は神の采配により固定化されているのだろうという認識が世界共通となっている。
僕が学院卒業当時は知られていない話しだったが、現在では遺伝学的には、もう少し現実的な回答があるようだ。
魔法使いの遺伝子を調べ、魔法使いが持つ共通因子は発見されている。だが、その因子を持っていても魔法使いとしての才能を保有していない者も多くいた。その遺伝子は必要条件ではあっても、絶対条件とはなっていないのだろう。魔法使い因子を持つ人間が、なんらかの要因をもって魔法を使えるようになる……これが、科学的に解明されている内容だそうだ。
結果、当時巷で信じられていた神の采配というのは、それほど間違った説では無いのだろう。
いずれにせよ、当時の僕も、ご多分に漏れず、あくまでも神の采配という認識であったし、魔法使いが総人口の中ではマイノリティだという事から、僕は魔法史科出身でありながら、魔法が使えないという事が、自分の就職に影響するなんて事は考えてもいなかった。むしろ楽観していたと言えるだろう。
魔法史は、近代に入って発見された魔法の力の発現から現在にいたるまでの社会の変化、人々の生活への影響を研究する学問だ。
過去を知るものだけが未来を識る。
この言葉を胸に秘め、これから先の魔法社会という姿を思い馳せる僕の力は、必ず社会に通用すると信じ、僕は履歴書片手に有名な企業を回った。
「うちは間に合っているよ。あなたが立派な研究成果を出す事を祈っているよ」
世間は厳しかった。
新しい魔法を創造する魔法律の研究者であれば、同じ学究の徒であっても引く手あまただったはずだ。
魔法を使える事と、魔法を知っている事は同じでは無い。魔法使いであっても、魔法律を知らない者などザラなのだ。きちんと体系的に学び、使いこなしているのは、あの最難関の試験を突破している国家魔法士くらいだろう。
だからこそ、魔法が使えなくても体系的に魔法律を知り、魔法使いを使役出来る魔法律の研究者は、どこの企業も高額の報酬を約束してくれる。
「魔法律科なんて、ただの計算好きな奴が集まる所だ」
同級生同士で揶揄をしていた奴もいたが、僕はそもそも興味がなかった。僕の興味を引いたのは、魔法を発見した人類が味わった、まさにファンタジーストーリー。それまでの価値観が180度変わるようなカルタシス。
その後の人類が魔法を発展させ、科学と並行する文明の力とかえていくまでの、ドロドロとした人間群像劇。これだけだったのだ。
それでも、社会に出るという事に、一人前以上の野心はあった。
「教授、『過去を知るものだけが、未来を識る』ですよ」
大変お世話になった魔法史科の教授に、僕が言い残した言葉だ。せっかく僕を学院に残るよう引き止めてくれたのに。僕の傲慢で増長しきった自意識は、そんな言葉を古い価値観だと切り捨て、形だけの挨拶をして、学院を去ったのだ。
だが、魔法の歴史だけに詳しい僕には、学院の研究職以外に適切な就職先があるはずもなく、僕は、すぐに自分の失敗に気がつく事になったのだ。
だが、時すでに遅し。僕には戻る場所も無かった。
「せめて、就職先を決めていから学院を去るべきだった……」
そして、こんな愚痴には1ゴールドの価値も無いだろう。
卒業と同時に実家からの仕送りは止められていた。
これは社会に出たら自立して生きていくという、歴史はあるが金が
無い我が一族の家訓なので仕方が無い。
もちろん、こういう事態は予定されていた事だったので学生時代にアルバイトで溜めた蓄えを使う事で、すぐに生活に困るという事は無かったのが救いだ。
だが、収入がなく支出だけでは経済が破綻するという事は、歴史を学んだ者に取っては常識だ。いや、これはただの足し算引き算の問題か。
「なんでもいいから働くか、本を売るしか無いか……」
その日は、下宿先の一部屋を潰して並んでいる本を眺めながら、僕は悲嘆にくれていたのだ。
「ダメだ! やっぱり、これは売るわけにはいかない。この本は僕の学生生活の……青春の……研究の全てだ!」
僕にとって、魔法史は学生時代の全てを捧げた大切なものだ。
そして、僕がこの社会で生きていくための武器だ。ちっぽけだったかもしれないが、僕に残された最後のプライドだ。
「今、誰も受け入れてくれないからと、この先もそうだと誰が決めた!」
そうだ! 本が痛むからとカーテンを締め切った部屋に閉じこもっているから、どうしてもネガティブな思考に陥るのだ。折角のいい天気だし、外に出よう!
僕は自分の部屋で、新聞や求人誌を片手に、自分を雇ってくれるところが無いかと探しては履歴書を持って尋ねる無為な日々に辟易としていたのだ。
だから、外を出て散歩する必要がある。
しかも、散歩は無料だ!
こんなに素晴らしいレクリエーションは無いだろう。
そんな気まぐれを起こした僕は、普段と歩くコースとは違う方向へ歩いてみようと移動を始めた。卒業して2ヶ月、真夏の日差しが僕を照りつける。
下宿先があるのは、レイドニア市の南側、イートングレイ地区だ。僕は学院に近いという事だけでこの場所を選んだのだが、1階は大家である老婦が住んでいる。この老婦は夫と息子夫婦を亡くし、息子夫婦の忘れ形見となった孫娘と一緒に生活をしていた。
そして、2階から上は下宿先として僕のような学生や、王立学院の関係者に提供している。
僕は、その最上階に当たる6階部分を借りている。ワンフロアを貸し切りと言えば豪勢な感じもするが、5階建ての建物の屋上部分に後から造り付けた、見かけはかなりボロ……古い木造の小屋だ。
元々は鳩の小屋として準備をしていたのだが、本格的に飼育を始める前にご主人が亡くなってしまったため、僕が借り受けて、住めるように改造して現在に至っている。
中は小さな台所に、リビングと寝室、そして何より本を沢山持っている僕にとっては、書庫として使える部屋が2つもあった。この書庫があるというだけで、元々鳩小屋の予定だった小屋に、僕は入学以来、引っ越す事もせず住み続けているのだ。
その下宿先から、僕は散歩と称して、まっすぐ市の中心部の方向へ1時間程歩いてみた。レイドニア市は人口200万人とも言われている大きな都市だ。1時間ほど歩いても、周囲の景色が大きく変わる事はなく、相変わらずの石畳に石造りの家が並んでいる。田舎の方へいけば、僕の部屋のように木で作られた家や、それこそ土で塗り固められた家、噂では縦穴の上に草を被せただけの家も、あるらしいのだが、生憎それは本からの知識でしか無い。
石造りの家が立ち並ぶこの風景が、この頃の僕が知っている唯一の街並みだった。
その街並みの中、ふとみつけた古書店。
学生時代の癖で、僕はその古書店に吸い込まれていった。
「何か、掘り出し物が無いかな?」
魔法を発見していから、それ程長い年月は経っていないとはいえ、魔法史の研究対象となる資料は多い。むしろ近代に入って発見されたという事が影響したのか、竹の子のように魔法関連本は出版されていたのだ。
そして、その中には絶版、廃版されたものも多く、研究者にとっては、なかなか手に入りにくい貴重な資料もある。
だからこそ、古書店を見つけては、中にはいって探索をするというのは、僕のライフワークとして欠かせない行動なのだ。
だが、その何てことの無いルーチンワークが、僕の人生を一変させる事になった。
古書店をみつけて進めた、僕の一歩。
たった80センチメートル。
このたった80センチメートが、これまで平凡だと思っていた僕の日常を大きく揺さぶったのだ。振り返る事の出来る今だからこそ、僕はあの瞬間について大きな意義を感じてしまう。
さよなら平凡な日常。
こんにちは、非日常を日常とする日々。
だが、こうも考える事もある。
たとえ、あそこで古書店の方へ足を進めなくても、アシュリー・セラフィーナ・クロッカーとの出会いは約束されていたのではないか。
このルートを通らなくても、僕の人生とアシュリーの人生は会合する運命にあったのでは無いか。
だが、歴史はたった1本の道筋でしか無い。
選択に選択を重ねた運命は、たった1つの結末へ結びつく。
あの赤い紐が、たった1つの場所に結び付けられていたように。
***
古書店の狭い入口をくぐり、古い本特有の乾いたような匂いを肺一杯に吸い込んだ。
(うん、ここには良本がある気がする)
そんな予感めいたものを感じながら、僕は立ち並ぶ本棚に、綺麗に収められた古書の中から魔法史に関わるような本は無いものかと視線を動かした。
古書店は入口から店の奥に向かって4つの島上に本棚が並んでいた。左右の壁面にも本棚があり、面でいうと10面の本棚が並んでいる事になる。入口側の壁は大きなガラス張りで、床から無造作に本が積み上げられていた。
よく観ると奥の壁は扉の付いた本棚になっている。そこには価値の高い古書などが収められているに違い無い。
その本棚の前にはカウンターがあるようだ。
僕の場所からだと、カウンターの内側に誰かいるのか解らないが、きっと店番なり店主なりがそこに座っているのだろう。
古書店では窃盗事件も多いらしい。僕はそんな輩と勘違いされないように、、
「こんにちわー」
と、誰がいるかも解らない奥に向かって声を掛け店の中へと入っていった。
ガタっ!
何か物音がしたような気もしたが、店の奥から返事も特に無い。古書店らしく、顰め面した愛想の悪い親父が座っているのかもしれない。
まぁ、そんなものだと、返事がなかった事を僕は特に気を止める事はなく、店の奥へと足を進め……
「はぁっ?」
古書がひしめき合う店の奥にある、「赤いモノ」に僕は気が付いた。
あまりの衝撃に、僕はどのくらいの時間、そこでそうしていたか覚えていない。数秒だろうか数分だろうか……僕は店の奥のカウンターにある、「モノ」から目を逸らす事も出来ず、その場で立ち尽くしてしまっていた。
人間、誰しも急に訪れた衝撃的な展開に出くわせば、個性の欠片もない、こんな反応になるのだろう。
こんな特異な状況下にあって、咄嗟に周囲の観察なんて出来ないし、何か大事な事を見つけたりも出来ない。
僕もできれば「これは事件だ!」とか「全員動くな!」といった本屋の新刊として並んでいる娯楽小説のような台詞を叫んでみたかった。だが、凡人たる僕では、目の前に無残に砕け散っている物体を見て、出てくる言葉な何も無い。
そして、僕の盆百さは置いておいても、そこには、「動くな!」と、動きを掣肘する必要がある「人」は、僕以外の誰もいなかった。
僕は、僕が凝視してしまっているモノについて、改めて考える。
(これは……)
赤いモノ、アカイモノ。赤く砕け散ったモノ。
カウンターの奥にあるそれは、椅子に腰をかけている、上半身の無い死体だった。
主人公の登場は次話。