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ふたりきり

残り1話で完結予定です!

 あっという間に時は過ぎ、すっかり回復したシェリルは、今日、一ヶ月ぶりにユージスト家からグレンの家へと帰ってきた。最初はお世話される事に慣れず、過ごしづらかったユージスト家での生活も、使用人と仲良くなったことで緊張がほぐれ、屋敷を去る時には少し寂しく感じた程だ。


 エレシースやミオーネとのお茶会も楽しかった。人間の花嫁の事やアクリムニアについての情報を手に入れることもできたし、ドレスなど女性らしい話題で盛り上がったり、グレンの子供の頃の話もたくさん聞けた。あのメルビスがグレンの背中を追うようにして二人で遊んでいたと聞いた後は、屋敷でメルビスを見かけるたびに顔がニヤけるのを堪えるのが大変だった。

 時々、セバストも強制的にお茶会に参加させられていたけれど、さすがに恐ろしくてシェリルは遠慮させてもらった。少し可哀想にも思えるが、自らの行いによって招いた事態だ。自業自得なので頑張ってもらう他ない。



 そしてグレンは、相変わらず研究漬けの毎日を送っていた。屋敷にいるのは疲れるからとユージスト家に泊まることはなかったが、毎日仕事終わりに顔を出してくれる。研究所からグレンの家に直接帰った方が近いと思うのだが、顔が見られることは素直に嬉しいのでシェリルから何か言うことはなかった。

 きっとグレンなりに自分のことを心配してくれているのだろう。会える時間は短いが、自分のためにグレンが足を運んでくれていると思うと胸が疼いた。



「シェリル」



 研究所から帰宅し、日課の訓練を終え、汗を流して浴室から出てきたグレンはタオルで無造作に頭を拭きながら、寝る支度を済ませ、ぼーっとソファーに座っていたシェリルに呼びかける。声に反応し顔を上げたシェリルは、その状態のまま固まった。

 灰色がかった夜着から覗く白い肌に頭を拭く際の筋張った腕、湿り気を帯びた銀色の髪、僅かに伏せられた空色の瞳、通った鼻筋、己の名を紡ぐ唇。色気だだ漏れのグレンを視界に入れ、シェリルは目を泳がせる。


 想いを伝えあってから二人きりになるのは初めてなのだ。ユージスト家でも部屋で二人きりになる事は多かったが、たくさんの人がいる屋敷と家に二人だけの今では状況が違いすぎる。意識しすぎと言われればそれまでだが、シェリルの心臓はグレンが帰ってきた時からずっと忙しない。



「シェリル、聞こえてるか?」

「え、あ、うん。聞こえてる。な、何?」

「寝る部屋。変わったからな。階段を上がって左の部屋だ」



 ポカンとした表情でグレンの話を聞いていたシェリルは、ある考えにたどり着き、みるみる顔を真っ赤に染め上げた。グレンの言う部屋は、この家で一番広い部屋だ。シェリルがこの家を探検した際、夫婦が寝室として使う部屋だろうと予想した部屋でもある。



「え、あ、グレン? そ、それって……」

「先に行っていろ。俺もすぐ行く」



 やはり一緒に寝るつもりらしい。ドクリドクリと心臓の音が耳に響く。どんなに胸を押さえつけても落ち着く様子はない。

 覚悟はしていた。魔宝玉を渡してくれたあの日、シェリルは二つ目の魔宝玉を受け取らなかった。いや、正確にはグレンが渡すのをやめたのだ。あれは決して結婚しないという意味ではなく、シェリルの意思を尊重してくれたからだろうことはわかっている。つまり、グレンはシェリルと結婚しようとしているのである。そんな男女が別々のベッドで寝るというのも可笑しな話なのかもしれない。


 なかなか動き出さないシェリルにグレンが不審そうな目を向ける。シェリルとの距離を縮めたグレンは、目線を合わせるように屈み込んだ。



「さっきからどうした?」

「あ、いや、なんでも」

「……一緒に寝るのは、嫌か?」

「違っ!?」



 咄嗟に首を横に振ったシェリルの頭の上にグレンの手が優しく乗る。そのままシェリルの髪を撫でるように滑ったグレンの指が、黒く艶やかな毛先を弄ぶ。グレンから向けられる熱のこもった眼差しにシェリルは思わず息を飲んだ。



「俺が怖いか?」

「……そんなこと、ない」

「それなら」

「きゃっ!」



 突然襲ってきた浮遊感にシェリルは小さな悲鳴を上げる。足と背に感じるぬくもりと鼻をくすぐるグレンの香りでグレンに抱き上げられたのだと気づいたシェリルは、ぱっと仰ぎ見てあまりにもグレンの顔が近くにあることに目眩がした。



「つかまっていろ」



 細く見えて意外と筋肉があるグレンは、シェリルを軽々と持ち上げ階段を上っていく。揺れに驚きグレンの首にしがみついたシェリルの頭の中は、行き先を悟りパニック寸前だ。心の準備が全然整っていない。

 そんなシェリルとは対照的に、グレンは普段と全く変わらない様子である。それがシェリルの不安をより一層駆り立てた。



「グ、グレン?」

「なんだ」

「あ、いやなんでもーー」

「言葉を飲み込むなと言ったはずだ」



 淡々とした口調にシェリルは内心怯みながらも、グレンの言う通りに心の声をさらけ出す。



「グレンは……緊張とかしてなさそうだなって、思って」

「……そう見えるか?」

「え?」



 グレンが笑わないのは平常運転だし、態度だっておどおどした様子はない。晩御飯だっていつも通りの綺麗な所作で完食していたし、日課の訓練だって普通にこなしていた。特段変わった様子を感じられないシェリルは首を傾げる。

 その時、寝室にたどり着いたグレンはシェリルを抱え直すと、ドアを勢いよく開けた。ガチャリと大きく響くドアノブの音に紛れ、シェリルの耳に掠れた小さい声が届く。



「緊張でどうにかなりそうなんだがな」



 確かに聞こえたその声にシェリルは喉を詰まらせる。ズキリと胸に走る痛みが心地よく感じる程に、グレンが愛おしく思えた。

 緊張を分け合ったかのようにシェリルの頭は冷静さを取り戻していく。そんなシェリルに届いてくる鼓動は、頭のすぐ横にあるグレンの胸から伝わってくるものだ。先程までは全く気づかなかったが、こんなにもグレンが自分を意識してくれているのだとわかると何故か不安は消えていった。


 そっと大きなベッドに下ろされたシェリルはグレンを仰ぎ見る。その空色の瞳は確かにシェリルを求めていた。それが今はとても嬉しく思える。



「私、魔力が皆無でよかった」



 シェリルの口から溢れ出た言葉にグレンは僅かに眉をひそめる。それでもシェリルは伝えたかった。



「だってグレンに会えたもの」



 そう言って笑ったシェリルの笑顔は眩しいほど幸せに満ち溢れていた。グレンは微かに目を細めると、シェリルを抱き締め、優しい口づけを唇に落とす。



「お前が人間の花嫁でよかったと思ってる」

「ふふふーー」



 シェリルの小さな笑い声はすぐさまグレンに奪われ、甘い痺れとなってシェリルを襲った。満たされていく心と身体にシェリルは幸せの雫を溢す。けれど、グレンはそれさえもそっと受け止めてくれた。



 出会った当初は考えられなかった。まさか最悪な相手だと思っていた男が、愛しくてたまらない相手になるだなんて。孤独から救い、自分を一番認めてくれるひと。そしてなにより、自分を愛してくれる大切なひと。

 だからもう二度と離したくない。諦めていたぬくもりを手にした今、シェリルはこの幸せが消えてしまうことが何よりも怖い。



「ずっとそばにいて、グレン」

「ああ。手放すつもりは全くない」



 いつだってグレンの言葉はシェリルの心を救い、満たしてくれる。ぎゅっと強く抱き寄せられたシェリルは、グレンの胸の中に身を預けた。

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