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男の瞳に映るのは

 駆け巡る血が沸騰したように身体中を熱している。バクバクと煩い鼓動が指先まで伝わってくるのに、頭の中だけは異様な程落ち着いているように思えた。

 何もかもが煩わしい。目の前に立ちはだかる男達も、壁際に蹲りながら何かを訴えるような眼差しを送ってくるリスティアも、自分の肩を引いたニコラスも、目の前にあるもの全てに腹が立ってくる。





「落ち着け、グレン。まずはそいつらをーー」

「邪魔をするな」



 感情が抜け落ちたような低い声が空気を震わせたと同時にグレンは剣を構える男達へと駆け出した。息を吸う時間さえない程に上下左右から繰り出される斬撃をグレンはかわし、時には剣で受け止め、魔術で跳ね返し、少しずつ前へと進んでいく。剣先が頬をかすめようが、服が裂けようが、己の放つ魔術に巻き込まれようが気にする素ぶりを見せることはない。



「お前らに興味はないと言ったはずだ」



 あるのは部屋の奥で防御膜に包まれたまま倒れているシェリルだけだ。他の者がどんなやつかなんて関係ない。



「ぐはっ!」



 どんなに悲痛な声を上げ、鮮血を流そうと興味もない。ただ行く手を阻むというのなら、容赦はしない。



「どけ」



 剣が交わった瞬間に膨大な魔力を圧縮した玉をグレンは相手の男の腹へと放つ。重力に逆らうように吹っ飛んだ男は、ドサリと大きな音を立てて崩れ落ちた。もう一人の男を相手にしていたニコラスは、床に倒れピクリとも動かない男へと視線を向け、眉をひそめる。


 ニコラスがここまで冷静でいられるのは当事者ではないからかもしれない。今回攫われたのはグレンのパートナーで、ニコラスのパートナーであるユーリスではない。だから、もしユーリスだったら今ほど冷静ではいられなかっただろう。

 だが、ニコラスは騎士でもある。犯人は殺さず生け捕りにし、他にも仲間はいないのか、どんな計画が立てられていたのかなどを調べなければいけないという事が頭にあるのだ。周りを見る余裕だって少なからずグレンよりは持てるはずで、犯人の息の根を止める寸前まで攻撃する事はないだろう。


 しかし、グレンは違う。グレンの頭の中なんて一目瞭然。グレンの視線はずっとシェリルに向かっているのだから。

 これは人魚の本能という言葉だけでは片付けられないかもしれない。グレンの関心を引けるのは、いつだってグレンが興味を持ったものだけだ。



 素通りしようとしたグレンの腕にリスティアが縋り付く。薄暗い部屋でうっすら浮かび上がる鮮やかなドレスの色が嫌に目に映った。



「グ、グレン! さっきのは違うの……あの男達にシェリルさんを攻撃するよう命令されて。わたくし怖くて……逆らえなくて、それでーー」

「……ーーい」

「えっ?」

「五月蝿いと言っている」

「っ!」



 瞳を濡らし、声を震わせ、相手の体に触れる。それは、今までリスティアが相手を思い通りにしたい時に使う常套手段だった。そうすれば、皆が「しょうがないですね」と許してくれたし、お願いを聞いてくれた。

 リスティアの王族としての血は尊い。そして、リスティアは誰もが憧れる美貌の持ち主で、普段は完璧な王女様だ。そんなリスティアのちょっとした失敗、ちょっとしたお願い。それを誰もが聞いてくれる、そうリスティアは思っていたし、実際そうであった。


 けれど、いつだってリスティアの手を振り払う人物がいた。リスティアが出会った中で一番美しくかっこいい大好きなひと。振り払っても、話を聞いてくれなくても、必ず城へ、自分へ会いに来てくれたひと。



「ど、どうして……そんな会って間もない女のどこがいいというのよ。わたくしの方が貴方を見てきた。貴方の、グレンの事を一番愛してるのはわたくしよ? ねえ、グレン。わたくしと一緒になれば、もっと研究に集中できるところを用意するわ。大きな屋敷を建てて、そこで研究もできるようにしましょうよ! それからーー」

「そんなことはどうでもいい」



 スパッとリスティアの手の中からグレンの腕が抜かれる。リスティアは唖然としたまま己の手に視線を落とした後、足を進めていたグレンの背へと言葉をぶつけた。



「わたくしをちゃんと見てっ!」



 リスティアの言葉が届いたのか、グレンの足が動きを止める。そのことに喜んだリスティアはグレンに駆け寄ろうとして、そのまま凍りついたようにその場で固まった。

 振り返ったグレンの瞳は、いつもと同じ美しい空色なのに、今まで見せたこともないような眼差しをリスティアに向けてきたのだ。それを言葉で表すならば、憎悪。いや、殺意と言っていいかもしれない。リスティアはその眼差しを向けられた瞬間、本能的に命の危険を感じ取った。



「……っ」



 もはやリスティアは言葉を発する事すらできない。リスティアは初めてグレンを怖いと思った。そして、自分(リスティア)には興味がない事をまざまざと突きつけられた。

 力なくその場に崩れ落ちたリスティアの背後にニコラスが近づく。



「詳しいお話しは王城にてお伺いいたします」

「……ねぇ、どうして? どうして……」



 うわ言のように繰り返すリスティアをニコラスは哀れむ。

 全てを手に入れてきたリスティアが唯一手に入れられなかったもの。それが王族の血にも他者にも興味を示さない男の心だったのだから、血によって好き勝手できたリスティアにとっては何とも皮肉な話である。



「……ちゃんと見ていなかったのはどちらだったのか」



 シェリルの防御膜を消し、そっとシェリルの上半身を持ち上げているグレンを見ながらニコラスは小さく息を吐き出した。



「少なくともグレンには見る気がなかった、か」







 身体の至る所にある痛々しい傷や火傷跡。意識もなく、呼吸だって細く浅い。それでも、グレンは持ち上げた時に伝わってくるシェリルの体温を感じ、ふぅと肩から力を抜いた。



「……シェリル」



 グレンは治癒魔術が使えない。だから、どれだけシェリルが苦しんでいても、自分の手で救ってやることができない。それがとてももどかしかった。

 そっとシェリルの額の傷に触れる。この傷をつけた者達への怒りがグレンの中でフツフツと湧き上がってくるが、シェリルから離れるという選択肢はグレンになかった。


 シェリルの呼吸の音が僅かに変わる。グレンはその僅かな変化さえも見逃さなかった。



「シェリル、聞こえるか?」

「…………グ……レ……」

「いい。無理に話すな。すぐ楽にしてやるから、もう少しの辛抱だ」



 微かに開いた瞼から覗く紫色の瞳が何かを探すように揺れ、グレンをはっきりと視界に映した瞬間、安堵したように目尻を下げる。その表情を見て、思わずシェリルの身体を抱くグレンの手に力が入った。



「よく、頑張ったな」



 グレンの言葉を聞いたシェリルの目からポロリと雫がこぼれ落ち、引き寄せられるようにシェリルの頬に手を添えたグレンの手を濡らしていく。涙を拭うグレンの指先は壊れ物を扱っているかのように優しかった。



「早く良くなれ」



 そう言ってグレンは上半身を屈めると、自分の唇でそっとシェリルの口を塞いだ。

 その突然の行動に薄っすらと開いていただけのシェリルの瞳は大きく見開かれる。暴れる力もなく、されるがままに唇を奪われ続けたシェリルは、全身を駆け巡る痺れに抗うことができず、再び意識を手放したのであった。

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