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本能覚醒

「シェリルッ!」

「グレン、待て!」



 薄暗い部屋の奥でピクリともせず横たわるシェリルの姿を見つけ、駆け出そうとしたグレンの肩に手を置き、引き止めたのはニコラスである。手を振り払うように振り返ったグレンは鋭く冷たい眼差しをニコラスに向けた。

 もはや敵も味方もないようだ。こんなグレンをニコラスは知らない。いや、ここ数時間のグレンの言動全てが見たこともないものだった。


 シェリルが行方不明だと訴え、王城に乗り込んできたグレンは、そのまま騎士団と合流することになった。というのも、リスティア王女が攫われ、人間の花嫁まで行方が分からないとなると捜索をする人員が足りなかったのだ。本能をむき出しにしているグレンが何をするかわからないという理由も大きいかもしれないが。

 結果、グレンはニコラスの隊と合同でシェリルの捜索を始めることになった。だが、何の手がかりもなく、捜索活動を始めて早々に行き詰まる。グレンの纏う空気がピリピリしていたのは比喩ではなく、実際に魔力が震えていたからに違いない。


 八方塞がりの状態が一変したのはリスティアとシェリルが行方不明になって一日が経とうとした頃。騎士を数隊に分け、隠れられるような場所や怪しい団体などを虱潰しに探索していた時だった。


 グレンが急に足を止め、勢いよく顔を上げる。「いた」と口から漏れたグレンの声は、切羽詰まったように掠れていた。



「いたって、シェリル嬢の場所がわかったのか?」

「ああ。今まで感じ取れなかったが、急にシェリルに渡していた魔石の魔力が……あっちだ!」



 指差すが早いか、グレンは上着のポケットから袋を出すと、その中から小さな魔道具を取り出し、足に装着した。それは、最近騎士団で試験的に導入したグレン制作の魔道具だ。小型化された事で小回りが利き、スピードも向上、高くまで飛べるという利点があるが、乗りこなすには訓練を要するという難点もある。騎士団の中では未だ乗りこなせるようになった者が数人しかいない。

 ちなみにニコラスは使用しない。何故なら、ニコラス程の魔力量があれば自らの魔術で飛べるからだ。もちろんグレンもそうなのだが、まだそれ程までに魔力の制御ができていないらしい。


 というわけで、魔道具を装着し飛んで行くグレンに着いていくことができたのはニコラスしかいなかったのだ。呼び止めるニコラスの声などグレンの耳には届かない。いや、届いていたところで無視するだろう。性格上、グレンの中に『協力』という言葉は存在しない。

 ニコラスは止めることを諦め、グレンの後を追い、逐一部下に連絡を入れた。


 そうして、グレンとニコラスがたどり着いたのは、城下から離れた街にある何の変哲もない一軒の家。住宅が立ち並ぶ中にあり、何の不自然さも感じさせないその家の前には見張りもいない。グレンが言わなければ見過ごしてしまいそうなほど平凡だ。



「ここか?」

「ああ。ここにいる」

「わかった。今部下達がーーっておい!」

「あいつを守るのは、この俺だ」



 そう言うとグレンは躊躇することなく家へと魔術を放った。とはいえ、グレンができる魔術などたかが知れている。呪文さえ唱えれば様々な魔術が使えるわけではないのだ。だから、グレンが扱える魔術は繊細なものなどではなく、爆発させるものばかりなのである。


 凄まじい爆発音が辺りに響き渡り、足元が揺れる。家だったものは至る所に穴が空いており、もはや住める代物ではなくなった。魔術はまだまだだが、魔力だけは桁違いである。



「グレン、慎重にいけ。もしシェリル嬢だけでなくリスティア殿下もいたら、お二人に怪我をーー」

「心配ない。シェリルには防御膜を張った」

「……」



 ニコラスは呆れを通り越し感心してしまった。完全にグレンの頭の中にはシェリルしかいないのだ。リスティアが防御膜を張れないことを以前の会議の際に知ったはずだが、グレンにとってはどうでも良いようである。


 グレンとニコラスの視界に武器を手にした男たちの姿が映る。人魚は皆、魔力が人間よりはあるので魔術対決だと思われがちだが、呪文を唱えなければならない魔術は接近戦に適さない。故にーー



「グレンが剣を振るう姿なんて久しぶりに見るな。ちゃんと使えるのか?」

「ついこの前まで魔術が使えなかったんだ。こっちの方が慣れている」

「とは言っても、最近のお前は魔道具に頼りきりだっただろう。だからあれ程鍛錬を怠らなとーー」

「五月蝿いぞ、ニコラス」



 袋状の魔道具から背丈の半分程の長さがある剣を抜き出したグレンは、敵から目線を外すこともなく、ニコラスの小言を切り捨てる。



「仕方ない。応援が来るまでは二人だ。お二人を見つけ次第、保護、退避するぞ」

「必ず俺が見つけ出す」



 既に駆け出していたグレンを追ってニコラスも走り出す。敵は八人。報告されていた人数よりも多い。つまり、それ以上いる可能性が高いというわけだ。


 ーードガァアンッ!!


 容赦無く男達に放たれた魔力の玉。迎え撃つように男達も放つが、グレンの魔力量に勝てず数人が吹っ飛ばされていく。

 それを見てニコラスは心の中にあった不安が薄れていくのを感じた。今のグレンを止めるのは容易ではないだろう。ニコラスでさえ今のグレンを相手にしたくはない。


 グレンと男の剣が交わる。力では勝てないとすぐさま悟ったグレンは、滑らせるように剣を流すと脇腹目掛けて蹴り込んだ。男から何かが折れたような音と鈍い声が漏れ出る。



「グレン後ろだ!」



 ニコラスの叫び声を耳に入れてもグレンに焦った様子はない。素早く振り返ったグレンは振り下ろされた剣を己の剣で受け止める。グレンの纏う空気がビリッと電気を放ち、男が一瞬身を固めたのをグレンは見逃す事なく、体重を移動し横を通り過ぎるように男の身体に刃を這わせる。



「お前らに興味はない。邪魔をするな」



 抑揚のないグレンの言葉は魔術のように男達へ刃を向ける。剣を構える事もなく、男達の方へと足を進めるグレンは、まるで鬼のようだ。自分が傷つくことも恐れない。グレンの頭の中を占めるのは『シェリル』だけ。

 グレンの空色の瞳に捕らえられた男達が剣を構え、雄叫びと共に駆け出す。自分を奮い立たせるように放たれたその叫びは、グレンと交わった瞬間に消え去っていく。


 その戦いは長い様であっという間だった。魔術と剣術がぶつかり合ったそこは、平凡な住宅然とした姿は跡形もなく消え、虫の息の男達が転がっているという見るも無惨な景色へと変わってしまっている。

 男達が弱いわけではない。だが、ニコラスは騎士団長の息子で若くして部下をたくさん待つほどの実力の騎士であり、グレンは人魚の本能を爆発させている。剣術の実力が拮抗すれば、自ずと魔力量が物を言う。グレンとニコラスは共に人間の花嫁を貰い受ける程の人物。八人というのは二人に立ち向かうには少なすぎたのかもしれない。



「こっちか」

「おい、待てグレン……チッ!」



 ニコラスの制止を振り切ってグレンは建物の中へと姿を消す。慌てて後を追ったニコラスの耳に届いたのは、女性特有の高い悲鳴とグレンのシェリルの名を呼ぶ声だった。

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