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狙われた……

 その日はとても天気が良かった。普段は膜に覆われていることもあって晴れや曇りもなく、雨だってないのだが、人間の世界の天気のせいなのか湾の水の濁りが少なく、底にあるはずのアクリムニアにも僅かに太陽の光が届いているようだ。ゆらゆらと揺れる水の合間から時々差す光が幻想的で、空を泳ぐ魚たちも喜んでいるように見える。



「こんな日は洗濯だぁ!」



 洗濯籠を抱えウキウキと声を弾ませるシェリルの首元で貝殻がシャラシャラと揺れた。

 庭へと出たシェリルは用意してもらった物干し竿に次々と洗濯物を干していく。パンパンと叩き皺を伸ばし、かけるという動作を繰り返すシェリルの動きが止まった。手にしたのはグレンの白いシャツ。どんなに綺麗に皺を伸ばしたって必ずヨレヨレになって戻ってくるシャツを見ると、研究所でのいろんな事が思い出されて口元が緩む。



「早く帰って来ないかな」



 自然と口から溢れた言葉にシェリルの表情は苦笑いへと変わった。これではまるで父を待っていた母のようだ。さすが親子と言うべきか。ミオーネが言うにはソユンも思い立ったら即行動で、言葉よりも先に動き出してしまう人だったというのだから血とは何とも恐ろしい。いや、危険とわかっていて人間の世界にいくのだからシェリルよりも凄いかもしれない。

 そして、人間の世界で産んだ娘は今、人魚の世界にいる。その因果とも言える状況をソユンが知ったらどう思うだろうか。悲しむかもしれないし、ミオーネに出会った事を喜ぶかもしれない。シェリルにソユンの想いはわからないけれど、伝えることができるのなら。



「私、今は寂しくないよ」



 今日ならば膜を抜け、湾を出て、大好きな青い空まで届くかもしれない。シェリルを視線を上げ、ふっと息を吐き出すように笑った。


 その時、強い風がふきぬけ、シェリルの黒い髪をさらう。横ではパタパタと洗濯物が大きな音を立てはためいていた。

 そのうちの一枚が物干し竿から外れたのをシェリルは視界の端で捉える。咄嗟に伸ばしたシェリル手を洗濯物は嘲笑うかのようにかわしていった。



「どうしよう……グレンのシャツが」



 懸命に目で追った洗濯物は家と道を挟んで反対側にある木の枝に引っかかった。それを確認したシェリルは安堵の息を吐く。それほど高くはない。これなら取れるとシェリルは再び飛んでいかないうちに駆け出した。




 ****




 王城の中のとある一室。豪華な調度品に囲まれたその部屋で机とにらめっこをしているのはアクリムニアの王、オベリスである。まだ第一王子で、王太子でもあるヨハンは成人して間もないため、王の仕事は全てオベリスがしなくてはならない。王妃やリスティアも王族として公務をこなしてくれてはいるが、忙しい事に変わりはないのだ。もう少しすればヨハンも手伝いができるようになるだろう。それを期待しつつ、オベリスは書類へのサインを進めていく。



 ーーコンコンッ!



 普段よりも些か乱暴なノック音と共に入室してきたのは、宰相であり、五柱の一つドレイン家の当主でもあるアベルゼム・ドレインだった。アベルゼムの険しい表情で何か悪い事があったと悟ったオベリスは作業の手を止める。



「何があった?」

「はい……リスティア王女殿下が何者かに攫われました」

「な、ん……だと」



 ガタンッと大きな音を立てオベリスの座っていた椅子が倒れた。オベリスが突然立ち上がった衝撃で机の上のインク瓶からインクが飛び散る。



「詳しい説明を」

「は、はい。公務から戻られる際、何者かに魔導四輪が襲撃され連れ去られた模様です。犯人は六人組。応戦した騎士に死者はおりませんが、皆怪我を負っていることからも相当な手練れかと」

「何故リスティアが……犯人からの連絡は?」

「まだございません」

「リスティアの持つ魔道具の追跡は?」

「追いましたが、全て近くに捨てられておりました。かなり入念に計画された犯行のようです」



 大きく息を吐き出し、力が抜けたように座わりこむオベリスをアベルゼムが咄嗟に起こした椅子が受け止める。

 リスティアは次世代を支える大切な王族だ。子が二人というのは人魚族にしては上出来な方で、オベリスの代はオベリスただ一人しか生まれなかった。だからこそ、王族はしっかりと守られ、誰よりも大切に扱われてきた。


 王族の血を絶やしてはいけない。それは王家のみならず、人魚族全員の認識である。幼い頃からアクリムニアの歴史を教えられ、王族の血の貴重さを説かれてきた人魚に王族を襲うなどという考えが生まれるはずはない。そうオベリスは思っていた。

 だが、リスティアは攫われた。これは過信が招いた結果だ。



「なんということだ……」



 頭を抱え項垂れたオベリスだったが、それも一瞬のことで、すぐさま今後の動きを指示するため顔を上げる。そんなオベリスの耳に扉の外から騒々しい音が届いてきた。なんだかつい最近も同じようなことがあったな、とオベリスは表情を曇らせる。



「私が見て参ります」



 そう言ってアベルゼムが扉を開けると、そこには数人の騎士と乱闘しているグレンの姿があった。ここまで来る間に制止はされたはずだが、聞かなかったのだろう。騎士達は剣を抜きグレンへと向けている。

 だが、剣先を向けられたグレンに怯む様子はない。それどころか迎え撃つ気満々で、身体の周りに漂う魔力がバチバチと音を立てそうな勢いだ。普段のグレンとは全く違い、完全に目が座っている。



「何故ここに……」



 研究所から出ることがほとんどないグレン。ましてや、自ら進んで城にやって来ることなんて考えられない男である。アベルゼムの疑問は誰しもが抱いておかしくないものだろう。

 グレンはアベルゼムの姿を捉えると、騎士の制止を無視してアベルゼムへと詰め寄った。



「リスティア王女殿下は何処にいる」

「なにを突然」

「何処だと聞いている」



 心を抑え込んだような淡々とした声がひどく恐ろしく聞こえた。

 人魚族は実力主義。人間のように貴族階級が存在するわけでもない。唯一、特別な地位を得ている五柱には皆が敬意を払うが、アベルゼムと同様にグレンもまた五柱の家の一人。家格的に見れば同等であるが、アベルゼムは宰相で、年長者だ。普通ならばグレンの口調や態度を注意してもいい立場である。


 しかし、アベルゼムはしなかった。いや、正確にはできなかった。人魚の本能が、してはならないと警告を鳴らしたのだ。

 グレンとよく似た殺気を放つ人魚をアベルゼムは目にしたことがある。それは、大切なパートナーを奪われた時の人魚。



「リスティア殿下は何者かに攫われ行方不明だ」

「攫われた、だと?」

「そうだ。お前は何故殿下を探す?」

「……シェリルが消えた」



 バチンッとグレンの周りで魔力が弾ける。アベルゼムも部屋の中で聞いていたオベリスも、耳を疑いたくなるようなその言葉に唖然とする他なかった。

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