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閑話 観察記録No.2

 僕の名前はジェフ。アクリムニア魔術研究所の研究員だ。ここ最近、研究所内はやけに静かで、亡霊化した研究員を至る所で目にするようになった。

 その原因はわかっている。シェリルさんが研究所にいないからだ。グレンが人間の花嫁の貰い手として相応しくないという話が議会に上がり、シェリルさんが研究所から飛び出してから一週間程が経った。僕も少しばかり協力して何とか丸く収まり、呪いまで解けるというお土産付きで解決したわけだが、一番の収穫と言えるのは、あの出来事がグレンの中の何かを変えるキッカケになったことである。


 友人としては心の底からよかったと思っているのだけど、研究員たちにとっては素直に喜べることではなかったようだ。というのも、僕が思っている以上にシェリルさんは皆の胃袋をしっかりがっちり捕まえてしまっていたのである。

 最初はグレンと一緒に研究所へ通ってきていたシェリルさんも、二日ほど前から来なくなった。ただでさえ朝食と夕食にありつけず皆落ち込んでいたというのに、昼食までありつけない。それに加え、グレンだけ愛妻弁当……皆がキレない訳がなかった。



「おい、グレン! その卵焼きよこせっ!」

「嫌だ」

「じゃあその唐揚げ一つで手をうってあげるわ!」

「意味がわからん」

「な、ならーー」

「だぁぁあ! お前ら煩い、鬱陶しい、食事ぐらい静かに食べさせろ!」



 グレンの研究室に群がる研究員達。彼らの熱い視線を独り占めするのはグレンの手元にあるシェリルさん作のお弁当である。

 シェリルさんがいないせいで資料が溢れかえっている研究室は、人が溢れていることで乱雑さが増して見える。だが、この状況を招いたのはグレン自身のせいと言える。なんたって、お弁当の初日、研究室に食事をする場所がないからと食堂にお弁当を持ち込み食べていたのだ。亡霊と化した彼らの前で食べるなど、飢えた野獣の前に飛び出してきた兎のようなものだろう。案の定たかられ、止むを得ず食事場所を変えたのである。まぁ、その結果が目の前の光景なのだけれど。



「ここ三日くらいお前の勉強とやらに協力してやっただろうが!」

「そうよそうよ。結界に関する本を幾多も貸してあげたじゃない」

「俺なんて、こいつが本を読む間にできない研究をやらされてたんだぞ! 俺だって暇じゃないのに!」

「礼として食わせてくれたっていいだろう!」



 彼らの訴えはもっとものように聞こえる。

 ここ一週間、つまりグレンの呪いが解けてから、グレンは魔術習得のために改めて魔術や魔力の勉強をしていた。特に熱心だったのが結界魔術についてだ。


 結界はとても繊細な魔力操作が必要な難度の高い魔術だ。やっと初歩的な事をできるようになってきたグレンが手を出すには早すぎるものである。

 僕も一度、順序を踏んでもう少し簡単なものからやれば? と提案してみたがグレンは頑なに首を縦には振らなかった。何でも『人を雇いたくはないようだから』という理由らしい。


 その理由の意味がわかったのはシェリルさんが研究所に来なくなってからだ。たぶん、グレンなりにシェリルさんの願いを聞き入れたのだろう。

 そう思うと微笑ましくて自然と頬が緩む。



「グレン」

「なんだ、ジェフ。お前も欲しいと言うのか?」

「あ、いや、欲しいっちゃ欲しいけど、そうじゃなくて。一度でいいから礼として皆のお弁当をシェリルさんに頼んでやったら?」



 研究所で毎日たくさんの食事を作ってきたシェリルさんだ。一度くらいならやってくれそうである。

 だが、僕の提案にグレンは表情を険しくした。まさか、それほどまでの独占欲が生まれているのかと僕は内心驚く。けれど、そうではなかったらしい。



「そんなことしたら、昼間しか行けないからと張り切って一人で買い出しに行きそうだ」



 グレンの意見に僕も納得してしまった。シェリルさんを普通の女性と思ってはいけない。彼女は異常な程行動力があるのである。結界を張ってまでシェリルを守っているグレンが心配するのは当たり前だ。


 因みに、これはグレンに限った行動ではない。結界を張るのはシェリルさんが魔力皆無な人間の花嫁であるからだろうが、パートナーを一人で買い出しに行かせないなどは人魚なら誰でもやることだ。

 何代か前の人間の花嫁が『なんか愛が重い』と言ったという記述が残っていると聞いたことがあるが、人魚にとってはそれが普通であり、もはや本能である。



「それじゃあ、グレンが少し早めに帰って買い物に付き合えばいいんじゃないか?」

「んー……」



 以前の研究一筋のグレンにだったら無意味ともいえる提案だが、今のグレンならば思案の余地はあるだろう。

 しかし、やはりグレンの反応は悪い。そこで僕は一つの答えにたどり着いた。



「もしかしてグレン、お前……ただ他の人に食べさせたくないだけだろう」

「……」



 すーっと晒されていく空色の瞳。僕は思わず苦笑いを浮かべた。周りでは研究員達からのブーイングが飛びかっている。


 これは諦めるべきかもしれない。グレンに自覚があるかはわからないが、はっきりと人魚の本能が発揮されてきている。これで自覚してまったら……僕は恐ろしくて考える事を放棄した。



「もういい! お前ら食事の邪魔だ。とっとと部屋から出ていけ!」



 聞き慣れた、けれど少しだけフレーズの違うグレンの叫びに皆は肩を落としたのであった。

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