影の功労者
「魔力量が多いと、安定した制御をするにはそれなりに訓練する必要がある。そう一朝一夕には習得できない」
「それはわかっているが、なんかコツとかないのか?」
「そんな初歩的なことは忘れた。もう十何年も経っているんだぞ? 今じゃ考えなくてもできる事をどうやって習得したかなんて……」
「じゃあ訓練に付き合え」
長く続く廊下を歩きながら言葉を交わしているグレンとニコラスの後をシェリルは早足でついて行く。グレンが異様なほど積極的に話しかけているのは、関心のある事柄だからだ。あまりの勢いにニコラスが若干上半身を晒しているほどである。
オベリスの宣言の後、会議はそのまま終了した。無事グレンの花嫁でいられることが決まり、シェリルは胸をなで下ろす。それもこれも呪いを解いてくれたミオーネと会議が開かれる時間や内容を細かく調べてくれたジェフのおかげであり、何より迎えに来てくれたグレンのおかげだ。
会議後は用事があるのか皆そそくさと部屋を後にしていった。セバストも何か言いたそうな視線を送ってくるだけで声をかけてくることはない。そして、リスティアもまた最後まで接触をしてくることはなかった。
何か言われるかもしれないと身構えていたシェリルは、その反応に困惑してしまった。てっきり今回の件はリスティアが仕組んだ事だと思っていたので、シェリルは深読みしすぎたのかと反省する。あのリスティアの強い眼差しから、まだグレンのことを諦めたようには見えないが、少しはシェリルの事を受け入れる気になってくれたのかもしれないと淡い期待まで浮かんできた。
「待てっ!」
突然かけられた大きな声に驚き振り返れば、そこにはメルビスが立っていた。貴族のような多くの刺繍で飾られた服がよく似合っていて、まるで王子様のようだ。しかし、浮かべる表情は家族に向けるものにしては硬く、険しい。
早足で近づいて来たメルビスが、グレンと向かい合うように立つ。ピリピリとした空気を纏うメルビスとは違い、グレンの表情は笑ったりしてはいないが穏やかなものだった。
「さっきは防御膜をありがとな、メルビス」
「家名に傷をつけないためにも身内の失態をフォローするのは当然だからな」
「ニコラスから聞いたが、防御膜は魔力があるだけでできる魔術じゃないそうだな。てっきり俺ができたから会議室にいる者も全員できると思っていたが、ニコラスとメルビスと……あいつが大半の人を守ってくれたようで助かった」
「そう思うなら、もっと後先考えて行動しろよ」
メルビスの刺々しい物言いにグレンが苦笑いを浮かべる。シェリルもグレンのメルビスに対する想いを少しだけだが感じ取っていただけに、何とも歯がゆい思いで二人のやりとりを見ていた。
すると、廊下の先から従者を引き連れたヨハンが姿を現わす。そのままシェリル達のいる方へと向かってきたヨハンのために道を開けようと廊下の端に寄った面々は、軽く頭を下げて通り過ぎていくのを待っていた。だが、目の前までやってきたヨハンは通り過ぎることなく足を止める。
「時間稼ぎができてよかったな、メルビス殿」
ヨハンの楽しそうな声色にシェリルやグレンは内心首を傾げる。一方、声をかけられたメルビスはバッと顔を上げたかと思うと、すぐさま慌てたように体勢を戻した。そして、やや固い声でヨハンに言葉を返し始める。
「何をおっしゃっているのか……」
「おや? 直接私に会議に出席させてほしいと願い出てきたのは、会議を長引かせ、グレン殿を間に合わせるためだとてっきり思っていたのだが」
「恐れながら、それは殿下の思い過ごしかと。私はただ人間の花嫁を貰うチャンスを掴もうとしていただけです」
「……そうか。まぁ、そうしておこう。ではな」
言いたい事は全て言ったのか、ヨハンは颯爽と去って行く。残された者達の間に漂う空気など御構い無しに。
「……メルビス、色々とありがとな」
「違う! あれは殿下の勘違いだ」
グレンの言葉を叩き落としたメルビスはニコラスとシェリルから向けられる暖かい眼差しに気づき、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「もういい。父上からの伝言だ。今日は屋敷へ来るように、だそうだ」
「断る、と言ったら?」
「そんなもの知るか。断るなら自分でそう伝えにいけ」
吐き捨てるように言うとメルビスは廊下を思い切り踏みしめながら背を向け去って行く。角を曲がるまでその背中を見つめていたシェリルは、姿が見えなくなるのと同時に吹き出した。
「素直になるって難しいよね」
どれがメルビスの本心なのかはわからない。グレンに対する劣等感や対抗心は持っているのだろうけど、嫌いになりきれていない感が感じられて、少し微笑ましくも思える。なんにせよ、今回うまくいったのはメルビスのおかげでもあったようだ。
「いい弟を持ったね」
「そうだな。自慢の弟だ」
メルビスがグレンの想いを知ったらどんな反応をするのだろうか。研究馬鹿のグレンが他者を気にかけることの特別さを知っているだろうメルビスならば、その凄さがよくわかるはずである。
二人がもっと仲良くなれればいいのにな、とシェリルは素直に思う。そしたらきっと、グレンが喜ぶに違いないからだ。
シェリルはグレンを仰ぎ見た。乱れていても美しい銀色の髪、きりっとした眉、感情の読みにくい空色の瞳、通った鼻、引き結ばれた唇。人形のように整っていて美しいけれど、シェリルはやっぱり笑った顔を見ていたい。
視線に気づいたグレンがシェリルを見つめ返す。
「どうした?」
「ううん、なんでもない。それより実家に行くの?」
「……行く。遅かれ早かれ行かなきゃいけないしな」
「お伴します」
「ん」
ただ頷き返されただけだが、シェリルは自然と表情を緩めた。
もうグレンはシェリルに「なぜ?」とは聞かないし、「関係ない」とも言わない。ついて来る事が当たり前というその素ぶりだけでシェリルの心は満たされる。
グレンの横にシェリルが並んで歩き出す。二人の距離は変わることがなく、その姿を少し離れて見ていたニコラスは友人の変化にふっと小さな笑みをこぼしたのだった。




