いつだってマイペース
凄まじい爆発音と同時にテーブルの上にあった資料の紙が捲き上り、窓ガラスは割れ、椅子などが音をたてて倒れていく。シェリルはその非現実的な光景を見て頭を抱えたくなった。
爆風が収まり、辺りに暫しの静寂が訪れる。ざっと見渡してみても怪我人などはいなさそうである。王族の周りを囲む騎士達のおかげなのか。それとも、さすがは王族と五柱といったところだろうか。
彼らは防御の膜に覆われ守られていた。ちなみに、シェリルもその膜の恩恵に預かっている一人である。シェリルは一先ず安堵の息を吐いた。
すると、未だ動き出そうとしない人々の中で一人だけグレンとシェリルの元に大股で近づいてくる者がいた。今まで見たこともないような険しく鋭い眼差しに晒されシェリルは身を固くする。
だが、その鬼の形相の人物であるニコラスはシェリルの横に立つグレンに一気に距離を詰め、思い切り拳を頭に振り落とした。手加減のない一振りは恐ろしい衝撃音を発し、グレンの体勢がぐらりと傾く。
「お前は何をやってる! 一歩間違えれば王家の方々に怪我を負わせていたかもしれないんだぞ!」
至極真っ当なお叱りにシェリルはフォローする言葉も浮かばない。それどころか、自分も怒られている気がしてシェリルはまともにニコラスを見ることさえできなかった。何故なら、シェリルはこのような結果になると予想がついていたからである。
「グレン、お前いつ魔術を使えるように……いや、魔力を練られるようになった?」
グレンが行ったのは、魔術を使うために習得すべきことで、身体に空気中の魔力を取り込み、体内で魔力を練り上げ、手のひらに濃密な魔力の球体を作るという初歩中の初歩だ。物心がついた頃に、魔力に慣れた子供が最初に教えられる魔術といえる。
爆発した原因は簡単だ。上手く魔力を制御できなかったのである。頭に食らった衝撃からやっと立ち直ったグレンは、少々ふらつきながらもニコラスに向かい合うように立った。その姿は若干自慢気に見える。
「魔力を練られるようになったのは、つい数時間前だ。見せた方が早いだろうと思ったんだが、魔力量が多いせいで、まだ魔力制御を完璧にはこなせない。まぁ、お前やメルビスがいれば失敗しても大丈夫だろう」
「なっ……お前なぁ。だが、お前は呪いで魔力を練るどころか扱えなかったはずだろう?」
それは部屋にいる者全員が抱いた疑問だった。呪いはかけるのも難しければ、解くのも難しい。グレンの父親であるセバストは魔術専門で知識も豊富だが、そのセバストをもってしても解けなかったのである。皆が不思議に思うのは当然のことだった。
「呪いは解けた」
まるで今日の天気は晴れだな、と取り留めのない会話をするような軽さでグレンは答える。確かにわかりやすい答えだが、説明にはなっていないだろうとシェリルは心の中でツッコミをいれた。
案の定、皆唖然とした表情で言葉を失っている。グレンはそんな彼らを気にする様子もなく、シェリルの身体を上から下まで確認し始めた。
「怪我はなさそうだな」
「……お陰様で」
「何故、防御膜は作れるのに魔力の球体はできないんだ。やはり二つ同時はまだ無理ということか? おい、ニコラス。ちょっとシェリルを守っといてくれ。俺は魔力を練ることに集中する」
淡々と、ごく当たり前のように話すグレンに呆気にとられていたニコラスは慌てて待ったをかけた。
「ちょ、ちょっと待て。グレンは防御膜を張りながら球体を作ってたのか? 魔力が練られるようになって数時間なんだろう? なんで高度な魔術の一つである防御膜が張れて、初歩ができないんだ!」
「シェリルに怪我をさせる訳にはいかないから防御膜を覚えろと煩く言ってくる魔女がいてな。上手くできないから、見てみろ、服がボロボロだ」
シェリルは改めてグレンの全身を眺め、苦笑いを浮かべた。本当に酷い姿であったからだ。
グレンの呪いを解いたのは、東の魔女を名乗るミオーネである。ミオーネは何を隠そう、呪いをかけた張本人。つまり、セバストに酷い仕打ちをされ、屋敷に乗り込んで来た人魚だったのだ。
そんな衝撃のカミングアウトを聞かされた時のグレンとシェリルの表情は何とも形容し難いものであった。
だが、ミオーネが恋した一人目の人物の話。ユージスト家に異様な程嫌悪感を露わにしていた理由。そして、父親そっくりのグレンを見つめる嫌そうな眼差し。全ての辻褄がぴったりと合わさり、シェリルは納得した。
ただ、どうしてミオーネがグレンの呪いを解いてくれたのかは未だに謎だ。グレン曰く、人魚は基本他者にあまり関心を示さない。グレンの無関心さは異常だとシェリルは思っているが、それでも父親にかけた呪いが子供にかかっていたからといって同情したりすることはない。つまり、どうでもいいのだ。
だからこそ、何故呪いを解いてくれたのか。グレンもわからないという。あんなに嫌悪感を抱いていたけれど、少しはグレンに好感を持ったのかとも思ったが、魔力を練る訓練をさせるミオーネは容赦がなく。それどころか、失敗しては怪我をしているグレンの姿を面白がって見ていた気がする。
因みに、ミオーネはシェリルに対してとても優しい。城に行く際には綺麗に身だしなみを整え、新しいワンピースまで贈ってくれた。
グレンとシェリルの見た目の差はこれが要因である。
「それよりもニコラス、早くシェリルに防御膜を張れ」
「待て。お前は今どこにいるのか忘れたのか」
ニコラスの言葉でやっと周りを見渡したグレンは小さく「ああ、そういえば」と声を漏らした。それだけで完全に忘れていたことがわかる。
グレンの中で、今一番の関心ごとは魔力の制御だ。魔術への憧れもあって嬉しいのだろう、とシェリルは内心微笑ましくも思っている。そしてなにより、魔術の事でいっぱいになりつつもシェリルの身の安全を考えてくれていることが嬉しかった。
「グレン・ユージスト」
威厳のある渋いオベリスの声が叫んでいるわけでもないのに会議室に響き渡った。思い出したかのように頭を下げるグレンを見て、シェリルも慌てて頭を下げる。
コツコツと近づいてくる足音。ニコラスが道を譲るように身を引いたのがわかった。
「面をあげよ」
恐る恐る顔を上げたシェリルは、その途中でビクリと肩を揺らす。近くで見るオベリスの貫禄ある姿に恐縮してしまったからだ。
「そなたの呪いが解かれたのは理解した。今回の事は初歩的な魔術の失敗という事で大目に見よう。だが、威力が威力だ。訓練の際は気をつけるようにしなさい」
オベリスの寛大な対応にグレンは礼を述べる。その礼に頷き返したオベリスは、その視線をシェリルに向けた。全てを見透かすような真っ直ぐな瞳にシェリルは息を詰める。
「シェリル嬢。そなたはグレン・ユージストが相手で良いのか?」
「……はい」
「グレン・ユージスト。そなたはシェリル嬢を大切にし守り抜けるか?」
「必ず」
シェリルは思わずグレンに視線を向けた。オベリスへと向いていた青い瞳がゆっくりとシェリルを捕え、ふっと片方の口角が上がる。
その瞬間、シェリルは胸の痛みに襲われた。痺れるような心地よい痛みは、次第に全身を駆け巡る。
「よくわかった……会議の結果を発表する! シェリル嬢の貰い手はグレン・ユージストのままとする!」
高らかなオベリスの宣言を受け、皆が一斉にこうべを垂れた。シェリルはホッと息をつき、顔を上げる。その時、オベリスの肩ごしにリスティアと目が合った。
まるでこのまま焼き殺されてしまうのではと錯覚させる程の強い眼差しに、シェリルは金縛りにあったように動けなくなる。それはリスティアが視線を外しても続き、シェリルの頭には恐ろしい程美しい緑の瞳が焼き付いて離れなかった。




