向き合った二人
人間が生贄を捧げる間隔を三十年ごとから四十年ごとに変更いたしました。
数字を書き換えた以外、投稿内容に変更はございません。
引き続きよろしくお願いします!
これほどまでに真っ直ぐ見つめられたことがあっただろうか。空色の瞳に捕らわれたシェリルは、緊張のあまり息の仕方を忘れてしまった。
代わりとでも言うようにミオーネがグレンに食ってかかる。
「必要らしいって何かしら。まるで他人事みたいな言い方ね」
「さっきからなんで突っかかってくるんだ。貴女には関係のないことだろう」
「いいえ、関係あるわ。だって、私はシェリルから相談を受けたんですもの」
「相談?」
ミオーネに向けていたはずの視線がシェリルへと戻って来る。まるで何を話したか言ってみろと言われているようで、シェリルは思わず顔を伏せた。決心したとはいえ、唐突にグレンへ想いを伝えられるはずがないのである。
グレンは一向に話し出す気配のないシェリルの態度に不機嫌さを増しているようだ。それを見兼ねたのか呆れた表情のミオーネが盛大な溜め息を吐いた。
「……まずは何で必要かもしれないと思ったか伝えなきゃいけないんじゃないの?」
その口調は、まるで子供を叱る母親のようである。グレンは一瞬眉間の皺を深めるも、ミオーネの言葉に何か思ったのかシェリルとの距離を縮めてきた。二人の距離は手を伸ばせば届く程になっている。
「もう俺は前の生活に戻れない」
「……前の生活?」
シェリルは恐る恐る顔を上げた。以前ならばそこまで感じなかったが、自分の気持ちを認めてしまったせいか距離の近さにグレンという存在を異常な程意識してしまう。
「お前が来る前の生活だ。これからも面白いアイデアを聞きたいし、お前の作ったご飯が食べたい。喧嘩は遠慮したいが、お前の話をもっと聞きたい。お前の事を知りたい」
シェリルは信じられない思いでグレンの言葉を聞いていた。なぜなら、グレンの言葉はまるでーー
「私に興味があるみたい」
あの魔道具以外興味ゼロのグレンが?
たった一日離れただけで、そんな夢のような話があるはずないだろう。シェリルは無意識のうちに心を守ろうと浮かんだ期待をうち消す。
しかし、グレンはシェリルの葛藤など御構い無しに首を縦に振った。
「みたいじゃない。興味がある」
飾り気のない真っ直ぐな言葉がシェリルの胸を包み込む。じわりと瞳が熱を帯びるのは安堵か、歓喜か、不安か。シェリルは涙をこぼすまいと、ぐっと目頭に力を込めた。
それがグレンには不満そうな表情に見えたのだろう。グレンの顔が僅かに陰る。
「嫌か?」
シェリルは懸命に首を横に振った。
嫌なはずがない。例えそれが好意から生まれたものでなかったとしても、グレンがシェリルに興味を抱いてくれただけで大きな進歩だ。喜びこそすれ、嫌がることはない。
「それなら色々と教えてくれ」
「じゃあ……名前で呼び合いたい」
「名前?」
「そう。駄目、かな?」
シェリルにとっては大きな壁であり、細やかな夢である。若干恥ずかしそうに頬を染めたシェリルにグレンは穏やかな眼差しを向けた。
「シェリル」
たったの一言だというのに、雷を受けたかのような痺れがシェリルの全身を襲う。疼く胸を必死に抑え、シェリルは息を止めた。そうしなければ、あまりの衝撃に叫んでしまいそうだったからだ。
「おい、大丈夫か?」
「……うん。あ、あのね……私、グレンのことが、す、す……ーー」
「す?」
「す、すぅぅぅう……だぁああ!」
勢いでいけるかと思ったが、やはり恋愛初心者には無理だったようで、シェリルは両手で顔を隠し唸り始める。シェリルの意味不明な動きにグレンは困惑し、唸り声を上げているシェリルの周りでおろおろとしていた。
そんな二人の様子をテーブルに頬杖をつきながら静かに見守っていたミオーネは、何とも言えない表情を浮かべつつも、年長者として助け舟を出すことにしたようだ。
「まぁ、何はともあれ、シェリルはその男を選ぶってことね?」
シェリルはミオーネの問いかけに顔を隠したまま頷いた。
「言いたい事は色々あるけれど、シェリルが選んだのなら反対はしないわ。その男の様子を見るに、はっきりと人魚の特性が現れてるから心配もないでしょう」
ミオーネはシェリルを背に隠すようにして自分と向き合っているグレンを見つめながら、しみじみと答える。
人魚は愛情深い生き物である。一度愛せば、その愛が消えることはなく、それどころか独占欲が強まり無意識に周りを警戒してしまう始末だ。だから、下手に魔宝玉のピアスをつけた相手に手を出すと、命の危険に晒されることもある。魔宝玉のピアスは、独占欲を満たすためだけでなく、他の人魚との無駄な争いをなくすためのものでもあった。
「これで問題は解決かしら?」
グレンが人間の花嫁という存在を受け入れたがっていないからパートナー替えが決まったとシェリルから聞かされていたミオーネは、これでパートナーを変える必要はなくなったと思った。もちろんシェリルもグレンが自分を受け入れてくれたのだから、と同じ事を思っていた。
だが、グレンは表情を険しくし首を横に振る。
「いいや。このままいけば、シェリルのパートナーは変わるだろう」
「ど、どうして? だって、グレンが人間の花嫁を受け入れたがらないからじゃ」
「違う。ジェフが言うには、俺が魔力をほとんど扱えないかららしい。子が生まれても、魔術が使えなければ繁栄には繋がらないからと何人かが声を上げたそうだ」
「でもそんなこと最初からーーっ!」
シェリルはある結論にたどり着き息を呑んだ。グレンは魔力量が人魚族一でありながら、ほとんどの魔力を扱えない。そんな事は人間の花嫁をもらう前から知られている事だ。
それなのに、その事を理由に持ち出して、グレンから人間の花嫁を取り上げようとしている。ジェフも前例がないと言っていたはずなのに。
「……リスティア王女」
それしかないとシェリルは思った。そして、もしその考えが正解だとしたら、リスティアが簡単にこの機会を逃すはずがない。
絶望という大波がシェリルを一気に飲み込む。呆然と立ち尽くすシェリルと口を固く結んだまま微動だにしないグレンをミオーネだけが不思議そうに見つめていた。
「人間の花嫁を貰っているのに、魔力がほとんど扱えないの?」
「そういう呪いだ」
「……呪いですって? ちなみに貴方の父親は?」
「あいつはピンピンしている」
グレンの言葉を受け、ミオーネは顎に手を当て黙り込んだ。その表情はとても不機嫌そうで、何か聞き取れないほどの音量でブツブツと言っている。
「ミオーネさん?」
思わず呼びかけたシェリルの声に反応してなのか、ミオーネは椅子が倒れるのも構わずに勢いよく立ち上がった。驚きでビクリと肩を揺らしたシェリルとグレンにミオーネはニコリと笑いかける。
「シェリルのためだものね」
「な、なにがですか?」
「まぁ、東の魔女と言われる私に任せなさい」
そう言って胸をポンっと叩いたミオーネの顔は正しく魔女そのものであった。




