悩める乙女は答えを探す
狭い空間で小さなテーブルを挟んで座っている二人は、同じ髪色をしているけれど、纏う雰囲気が異なっていた。一人は幾多の困難を乗り越えてきた風格を持ち、一人は今まさに壁にぶつかり彷徨っているように頼りなさげである。
「私は人を好きになった事がありません。魔力皆無の私に好意的な人は少なかったし……何よりも自分に自信が持てなかったから」
シェリルは自分の吐き出した言葉に情けなくなり視線を下げた。自分は誰よりも魔力量を気にしているに違いない。大好きな両親が産み、育ててくれた身体なのに、気にしないふりをして、それを言い訳にしてきたのだ。
「この世界に来て、初めて自分の存在を求められた。初めは理不尽だと怒っていたけれど、自分を認めてもらえることが嬉しくなっていったんです。意見を聞かれたり、食事を一緒にしたり、喧嘩したり……きっと他の人にとってはありふれた事だろうけど、私はすごく特別なことに思えた」
「楽しそうね」
「はい。彼は私を私として見てくれたから。でも……」
特別だったのはシェリルだけだった。グレンはシェリルの事を簡単に手放すことができるのだから。
「好きって、どんな気持ちですか?」
シェリルは確かにグレンの反応にショックを受けた。これからも一緒にいられたらいいと思っていたのも事実だ。だけど、これが好きだからなのかはっきりと答えにできない。なぜなら、好きという感情がわからないからだ。
ミオーネは顎に手を当て、暫く考え込んでいた。やっぱり好きという感情はそう単純なものではないのだろう。
「答えは一つじゃないと思うの。私が二人目の人に恋をしたのは、彼の隣が落ち着くからだった。一人目のように燃えるような感情ではなかったわ。布に包まるように、ゆっくりじんわり温まっていく感じ。いつしか彼から離れるイメージが湧かなくなっていて、そこでやっと好きなのかもと気付いたの。一人目の恋と比べるとドラマチックでもなんでもないわよね」
「……ゆっくり、じんわり」
「そう。少しずつ育まれて、気づかぬうちにって事もあると思うの。答えはいつだって相手と向き合ったときに出るものよ」
「向き合う……」
現在、シェリルは向き合うどころかグレンから逃げて来たばかりである。
もしシェリルがグレンに、意見を聞かれることや食事を一緒にすることが嬉しいと伝えていたら、どうなっていたのか。そう考えて、簡単に流されることを想像してしまうのは、自信がないからなのか、グレンの性格を把握しているからこそなのか。シェリルの口から重いため息が落ちた。
「悩んでばかりでやんなっちゃいます」
「そうね。でも、悩むって悪い事じゃないわ。だって、それも相手と向き合う一つの方法だもの。だけど、キツくなったら投げ出す事も手段の一つだと心に留めておいて」
だらりと手足を投げ出したシェリルの様子にミオーネはクスリと笑った。拗ねたシェリルの頭を仕方のない子ねと優しく撫でてくれた母親を思い出させる温かい眼差しに、シェリルはぐっと喉を鳴らす。
「ここは安全だから好きなだけ悩むといいわ」
そう言って部屋の奥へと消えていくミオーネの背に礼を告げたシェリルは、椅子の背もたれに頭を乗せて天井を仰ぎ見た。
流されるままにお世話になっているが、これでいいのだろうか。
もう新しいパートナーは選ばれてしまったのだろうか。
捜索は始まったのだろうか。
グレンは今、何をしているのだろうか。
いろんな事が頭の中を駆け巡るが、やはり最後にたどり着くのはグレンの事である。そんな自分にシェリルは呆れを通り越し、感心していた。完全に頭はグレンに染まっているというのに、まだうじうじと何かに抵抗して悩んでいることに。
「……グレン」
口にした名前が掠れ、心が震える。心では何度も呼んでいたのに、音にすることができなかった名前。皆が当たり前に呼んでいて、シェリルだって呼んでもおかしくなんかなかったのに。『貴方』から『グレン』に変えるだけでもシェリルにとっては大きな壁だった。
そんなシェリルがグレンに自分の胸の内を明かすなんてことは容易ではなく、魔道具やジェフ達友人以外に対する無関心さを自分にも発揮されたらと思うと今のままでもいいと逃げてしまった。
そして、望んでいた状態ではいられなくなってしまった瞬間、シェリルは今までと同じように逃げ出した。きっといつものように上手く自分を誤魔化して忘れられると思った。
だけど、離れれば離れるほどグレンの影が足に絡みついてきた。決別のつもりで捨てたネックレスでさえも、あれを辿ってグレンが迎えに来てくれるかもしれないと心の何処かで思っていたのかもしれない。
ーーゆっくり、じんわり。
そう、正しくグレンは少しずつシェリルの中に侵入してきた。本人が自覚できないほどゆっくり。嫌いだったはずが、じんわりと絆されていった。
時間をかけて結ばれた糸は、瞬間的に結んだ糸よりも硬くしっかりと絡みつく。なぜ、どうしてなんて考えていても求める答えなど出ないのかもしれない。
ーー投げ出す事も手段の一つ。
悩んでも答えが出ないなら諦めるしかない。認めてしまえば楽なのだ。理由なんてわからない。キッカケなんて知らない。でもきっとーー
「会いたい」
深く考えなくても導き出されたものを素直に吐き出せば、答えは簡単に見つかるのだ。
「悩むなんて私らしくなかった」
自然とシェリルの口角が上がる。
いつだって考えるよりも先に行動するのが本来の自分の姿である。リスティアと自分を比べ、グレンの反応にビクついて縮こまってしまった。これが恋をするということならば、なかなか厄介だが、シェリルにとってはグレンと向き合うには必要な事だったのかもしれない。
「よしっ!」
椅子から立ち上がり、うーんと思い切り身体を伸ばしたシェリルは意気揚々とミオーネの名を呼ぶ。呼ばれたミオーネはすぐに現れた。
「お世話になりました」
「あら? もう悩むのは終わりにしたの?」
「はい。ちょっと当たって砕けてみます。どうせもう一緒にいられないから怖いもの無しですよ!」
「砕けたらまた来ればいいわ。大歓迎よ」
「……それは応援になってないような」
あら? とミオーネは惚けた表情をして笑った。つられてシェリルも声を出して笑う。
「いい顔だわ。笑った顔がそっくり」
ミオーネの呟きは笑っているシェリルに届かなかった。
「でもシェリル。今日は泊まっていきなさいな。もう深夜よ?」
「うえぇっ! そうなんですか? ずっと暗いから時間の経過が全然わからなくて……って、すみません! こんな遅くまで」
「いいのいいの。そうだ。じゃあ遅い夕食を食べながら語り尽くしましょう? こういうの私憧れてたの」
スキップでもしそうな勢いで台所に向かっていったミオーネをシェリルは慌てて追いかける。その後は二人で台所に立って、得意料理を披露し、語り尽くすという楽しい時間を過ごした。
そして、あっという間に夜は明ける。とはいっても魔木に遮断されているため光は感じられないが。
いつの間にかテーブルに突っ伏して眠ってしまっていたシェリルはドンドンッと大きな音を立てる玄関のドアの音で飛び上がるように目を覚ました。肩にかけられていた布がバサリと床に落ちる。
「シェリル、貴女は奥の部屋に身を隠していなさい」
ミオーネの固く静かな声はシェリルの寝ぼけた頭を覚醒させるには十分だった。




