呪いの真相
銀色に輝く艶やかな長い髪を一つに結い、濃い青色の瞳はいつも優しげに甲を描いている。甘い微笑みを浮かべる口から紡ぎ出されるのは、優しく包み込むような言葉達。強い魔力を身に宿し、颯爽と歩く姿は勇ましく、差し伸べる手はダンスに誘うかのように優雅で色気が溢れている。
女達は思わず熱い視線を向けてしまう。そんな魅力をその男は持っていた。だからなのか、その男には女の噂がいつも付きまとっていた。相手もいつも違う。それがただの噂か真実かは女達しか知らない。
「要は、ただの遊び人って事だ」
空の旅を終え、研究所にたどり着いたグレンとシェリルは、そのままグレンの研究室へと足を向けた。様々な出来事が一度に起きたせいか、眠気が全くやってこない。
研究室の中はたった半日しか経っていないというのにすでに書類が散らばっていた。その現状に呆れながら書類を拾い集めていたシェリルにグレンが話し始めたのは、途轍もなくモテる男の話だった。
「それが貴方のお父さん?」
「そうだ」
シェリルはグレンの父であるセバストの事を思い浮かべる。顔を合わせたのは数回ほどしかないが、衰えを知らない美しい顔に甘い笑みを浮かべ、物腰が柔らかく、気障ったらしい仕草も様になるような人であった。
年長者として多くの経験を積んだからこそというより、女慣れしているからこその色気だったという事だ。セバストに抱いた違和感の答えにやっと辿り着いたシェリルは納得したように頷いた。
「まぁ、確かにモテそうな人だったね、ってそんな怖い顔で睨まないでよ」
「久しぶりにあいつを思い出したら腹が立ってきた」
そんな、貴方のお父さんだよぉ。なんて気軽に言葉にできない雰囲気を放つグレンにシェリルはどうしたものかと頭を悩ませる。下手にフォローをすると墓穴を掘りそうである。ここは先を促そうとシェリルは誤魔化すように飲み物の準備をしながら「それで?」と話を促す。
「そんな時、あいつに人間の花嫁をもらう話が出てきた」
「エレシース様ね」
「そうだ。魔力量が大きかったからすんなり決まったそうだが、その当時あいつはある人魚の女と付き合っていた」
「わぁ。じゃあ引き裂かれたって事になるの?」
セバストがその女性に本気だったかはわからないが、女性からしたら付き合っていた男性に突然婚約者ができてしまったのと変わらない。人魚族の繁栄のためには魔力皆無の人間が必要なのかもしれないが、はっきり言って人間の花嫁は誰も幸せになれない仕組みな気がしてならない。
グレンの前に淹れたての紅茶を置いたシェリルは、自分の分を持ってソファーに腰掛ける。カップに手を伸ばし、ゆっくりと紅茶を口にしたグレンはふぅと小さく息を吐いた。その表情は優れない。
「まだそこで手を引いていればこんな事にはならなかったんだろうな……」
「どういうこと?」
「人間の花嫁を貰い受ける者を発表するのは儀式の当日。それまでは誰が貰うのか限られた者しか知らない。それをいいことにあいつはギリギリまで相手との関係を切らなかったんだ」
「えぇぇ。それってつまり愛人みたいなもの?」
もしかしたら『仮の花嫁』として人間の花嫁であるエレシースを娶り、その女性とも結婚、或いは関係を続けようと思っていたのか。
そういえば夜会の際、エレシースはリスティアの発言に心底ご立腹の様子だった。あの時リスティアは『仮の花嫁』だのなんだのと人間の花嫁を軽視するような発言をしていたはずである。エレシースの『なめられるな』という言葉の重みが増していき、シェリルは何とも言えない気分になった。
「あいつがなにを思ってそんな事をしたのか知らない。知りたくもない。だが、母を儀式によって迎え入れて数日経った頃、その相手の女が屋敷に乗り込んできたらしい」
「その関係は双方合意の上という訳じゃなかったってことね。それは怒って当然ね」
「女としては珍しいほどに魔力が高かったと聞いている。魔力量が大きい者同士だと子は望めないし、結婚まで考えていたかはわからないがな」
結婚する意思があるかどうかなんて関係ないだろうな、とシェリルは思った。好きな人が何の相談もなく自分ではない女性と結婚する。ましてや自分と関係を続けているのだ。どうして、と思うのが普通だろう。
いや、人魚ではなく人間のシェリルだからそう感じるだけなのかもしれない。リスティアだって好きな人に他に妻がいても構わないと思っていたではないか。その人魚の女性もエレシースを牽制しに来ただけなのかもしれない。好きな人には自分だけを見てもらいたいと思うのはただの甘ったれた理想なのだろうか、とシェリルは複雑な思いに駆られたが、続くグレンの言葉を聞いてほっと胸をなでおろした。
「だが、事実相当怒っていたそうだ。母にではなく、あいつに対してな。馬鹿にするなと詰め寄っていたらしい」
「ちなみに……その話は誰から?」
「母だ」
「う、うわぁぁ」
完全に修羅場である。アクリムニアに来て早々そんな場面を見せられたエレシースの事を思うと可哀想でならない。正直シェリルの中でセバストの評価ががた落ちである。
「それでその女があいつに呪いをかけた。呪いなんてかなり難しい魔術だ。相当魔力を扱うのがうまかったんだな」
「……呪いって【生まれてくる子がうまく魔力を扱えない】みたいな?」
「いや、ただ【扱える魔力量を制限する】みたいなもんだ。あいつに直接かけたはずなのに、結果的にあいつには影響が出ず、俺にかかったってだけ」
大した事なさそうに告げたグレンはカップの紅茶を勢いよく飲み干した。その不作法な姿がシェリルの心を騒つかせる。
「その呪いを解く方法はないの?」
「さぁな。その女もその後すぐ姿を消したらしいし」
「そんな」
グレンの表情は全く変わらない。シェリルにはグレンがどんな想いなのか読み取ることができなかった。それがなぜか凄くもどかしい。
本当はどう思っているの。
お父さんを嫌ってるのは呪いのせいだけ?
呪いを解きたい?
本当は家族のそばに居たい?
悲しんでない? 苦しんでない?
なに一つ聞けなくて。でも、何かしてあげたいと思うこの気持ちは、お世話になってる恩返しとするには重たすぎる気がする。ただーー
カップを持て余すように取っ手を持ったり離したりしているグレンにシェリルが近づく。手元が陰った事でシェリルが近づいてきたことに気づいたグレンが顔を上げれば、空色の瞳と紫の瞳がかち合った。グレンの眉間に僅かに皺がよる。
「どうしーー」
己の手を包む少し体温の高い細くて小さな手の感触にグレンの言葉が途切れた。さらりと目の前で揺れ動いた黒く長い髪をグレンの目が無意識に追う。
「どうしたら、また笑ってくれる?」
か細い頼りなさげな声で紡がれる言葉にグレンは息を止めた。余計なお世話だ、と蹴散らす事ができない。
シェリルは基本はっきりとした女である。グレンに檄を飛ばし、文句を言い、強引に食事を提供してくる。煩いと何度も思うほどのしつこさだが、時折見せる弱々しい姿にどう反応すべきなのかグレンはわからず戸惑うのだ。
今も髪に隠れシェリルの表情は見えないが、笑っていないことはわかる。
「お前が気にする事じゃない」
困った末に紡ぎ出したグレンの言葉を受け、シェリルの手がグレンから離れていく。
「そっか、ごめん。あぁ……じゃ、私寝るね」
顔を上げてそう言ったシェリルの笑顔はひどく下手くそだった。




