王女の提案
女性に対して不愉快な表現があります。ご注意ください。
波打つ金色の髪はシャンデリアの光を集め自ら輝きを放ち、こぼれ落ちそうなほど大きい瞳はエメラルドのように美しい。桃色のぷっくりとした唇とほんのり染まる頬が色白の肌を引き立て、動かなければまるでお人形かと錯覚しそうなほどの可憐さと美しさを兼ね備えている。瞳の色よりも少し淡い緑のドレスを纏う彼女は、女でも見惚れてしまうほどの美女だ。
しかし、シェリルは見惚れて固まっているわけではない。目の前で甘い微笑みを浮かべている彼女、リスティア王女が何故声をかけてきたのかわからず困惑しているだけである。
「お隣よろしいかしら?」
「え、あ、はい!」
「ありがとう」
シェリルの隣に腰を下ろすリスティアは動作一つとってもとても美しい。何の気なしに行なっているように見えるが、この二日間、永遠と所作の特訓をさせられていたシェリルにはその凄さがよく理解できた。
リスティアは王族で、シェリルが話す事など到底かなわないような地位にいる人だということはわかっているが、彼女の努力が垣間見えて僅かながら親近感がわく。他の者達のように媚びを売るような雰囲気がないことも理由かもしれないが、シェリルはリスティアに好印象を抱いた。
「慣れないこと続きで疲れたでしょう?」
「は、はい……少し」
「ふふふ。そんな緊張なさらなくても大丈夫よ」
目元を緩め屈託無く笑うリスティアにシェリルも少しだけ肩の力が抜けた気がした。そういえばアクリムニアに来て初めて歳の近い人魚族の同性と話したかもしれない、と気がついたシェリルはリスティアの態度が嬉しかった。
このまま人魚の世界で生きることになるとしたら、やはり友人と呼べる相手がいたほうが心強いことは確かだ。ユーリアも友人だが彼女は人間であり、どちらかといえば境遇が同じ故に身内に近い感覚がある。王族を友人と呼ぶのは恐れ多いが、心の中で好意を抱くぶんには問題ないだろう。
シェリルは自然と口角を上げた。作り笑顔ではなく自然に笑える事がどれほど心と身体を軽くするか。歓迎会なんて出たくなかったという考えが、出てよかったに変わっていった。
「ねぇ、シェリルさん。わたくし、貴女にお話ししておきたい事があるの」
「はい。なんでしょうか?」
「わたくしね、幼い頃からグレンの事が好きなのよ」
「……え?」
それは、どんな話をしてくれるのかとワクワクしていたシェリルを現実へ叩き落とすには十分な言葉だった。
つい先ほどリスティアの父である国王からグレンの人間の花嫁としてシェリルが紹介されたばかりだというのに、リスティアは躊躇することなく『貴女の夫になる男が好き』だと告げたのである。
シェリルはリスティアの考えが全く読めなかった。リスティアがシェリルにグレンへの想いを語ったところでシェリルがグレンへと嫁ぐことが変わるわけでもないというのに。もしや恋愛相談されてるのか? とささやかな期待を抱きたいところだったが、常識的に考えれば妻になる女に打ち明けることなどしないだろう。それとも王族だから常識とかは関係ないのか。シェリルは結論が出せずに唖然としたままリスティアを見つめる。
そんなシェリルの内心など知ったことかとでも言うように、リスティアは誰もが見惚れるであろう笑みを浮かべ、シェリルの手を取った。
「わたくし達は歳が近いから幼い頃よく遊んでいたわ。グレンは口数は少ないけれど優しいし、魔術も詳しくて、何よりかっこよかった。今では大人の魅力も合わさって姿を見るだけでため息が溢れてしまいそう。貴女もそう思わない?」
「……は、はぁ」
「わたくし、本当にグレンを愛しているの。お父様にもグレンの元に嫁ぎたいと何度もお願いしたわ。でも、グレンは魔力量が人魚族の中で一番多いから人間の花嫁の貰い手に選ばれてしまった」
儚げに眉を下げ、瞳を揺らすリスティアの姿を見れば、誰もが可哀想にと同情し、手を差し伸べたくなるだろう。幼い頃から愛していた相手と結ばれず悲しんでいる様は一つの恋物語として本にできそうなほどだ。
しかし、シェリルがリスティアの言葉の中で一番注目したのは可哀想なリスティアの想いなどではなく、魔力量が人魚族の中で一番多い、という部分だった。
自分はこんなに薄情だったのか、とシェリルは落胆したが、正直自分にとってはグレンの新情報の方が大変重要である。まさかグレンが人魚族の中でそんなに貴重な人物だとは思わず、シェリルは若干ビビっていた。
私、とんでもないやつに嫁ぐんだ、といった具合である。
僅かに蒼ざめているシェリルなどお構いなしにリスティアは悲劇のヒロインよろしく目に涙を浮かべながらシェリルの手を引き寄せると、ぎゅっと握る力を強めた。
「わたくし何としてもグレンの妻になりたいの。愛してるの。だからシェリルさん、協力してください」
「きょ、協力……ですか?」
「ええ。人魚族は基本妻が一人なの。でもそれは、人魚が愛してしまうとその相手しか愛せないほど愛情深く、嫉妬深いからで、妻が複数いてはいけないからではない。言ってる意味がわかります?」
「えー……つまり、正妻の他に第二夫人などがいてもいいってこと、ですよね?」
「その通りよ」
よくできました、と言いたげに頷くリスティアを見てシェリルはこの後の展開が読めてしまった。つまり、シェリルがグレンと結婚しても、リスティアはグレンに嫁ぐことができるから協力してほしい、といったところだろう。
正直、王族を第二夫人にすることになるグレンを思うと不憫で仕方がないが、リスティアはそれほどまでにグレンが好きだということなのだろうから、協力しないでもないかとシェリルは思う。実際、シェリルはグレンを愛してなどいないし、嫉妬などといった面倒な感情も出てこないだろう。若干常識はずれ感を漂わせているリスティアだが、悪い人ではなさそうだし、仲良くできるかもしれない。シェリルはそうやって一人納得した。だが、やはり現実というのはそんなに甘くない。
「わたくしがグレンの正妻になるから、シェリルさんにはグレンとわたくしの子を産んでもらいたいの。わたくし女の中では魔力量が高い方だからグレンの子は身篭れない。グレンの子を産めるのは貴女だけなのよ。産んでくれたら大きな屋敷とたくさんのお金を渡すわ。悠々自適に暮らしてちょうだい。だから、ね? わたくしとグレンの幸せのために協力してくださいな」
恋する女はなんと恐ろしいのだろうとシェリルは思った。他者を害したことなどないような素ぶりを見せながら、リスティアは剣を振り落とす。
リスティアにとってシェリルは愛する男の子を産む道具にしか見えていないのだ。今までシェリルにすり寄ってきた人魚達と何にも違いなんてない。いや、もっとたちが悪いかもしれない。
他の者達はシェリルを見下しはするが、価値があることも理解し、表向きには敬意を表してくる。媚を売ってくる者も然りだ。
しかしリスティアは王族であるが故かシェリルを子を産む道具としてしか見ていないのだ。自分にどれ程価値があるかを理解し、敬われるのが当たり前だとすら思ってるに違いない。言葉では協力してくれと頼んでいるように聞こえるが、実際は当然協力するでしょう、と思っている。
「そ、そんな事ができるのですか?」
シェリルの声が僅かに震えた。
「できますわ。できなくては困る。だって王女であるわたくしが第二夫人なんてありえないでしょう? 過去に人間の花嫁を貰いながらも愛する方を正妻に向かえた方がいたようですし。知っています? 今はあまり聞かないけれど、昔は人間の花嫁を陰で『仮の花嫁』と呼んでいたんですって」
「仮の、花嫁……」
「言い得て妙ですわね。人魚は一度愛するとその相手しか愛せないほど愛情深いのよ。人間の花嫁を貰う人魚にだって妻を選ぶ権利はありますものね」
ニコリと害のなさそうな笑顔を向けてくるリスティアをシェリルは静かに見つめていた。
ドクンドクンと大きく鳴り響く胸の鼓動を感じながら、シェリルはエレシースの言葉を思い出す。
『人間としてなめられるな』
それは今のシェリルにとってとても心強い言葉だった。