あなたと私は同じ被害者のようだ
今シェリルがいるのは城にある一番広いダンスホールに繋がる扉の前。数名の騎士らしき人達に護られるようにして控え室からここまで誘導されてきた。扉の向こう側からは国王陛下の声が漏れ聞こえ、続くように盛大な音楽が流れてくる。
「開けます」
扉に手をかけた騎士の一人が無情にもスタートの合図を送ってくる。未だ経験したことのない歓迎会という名の戦場に足を踏み入れなければならない時がきた。
無意識のうちにシェリルの右手に力がこもる。右手に伝わってくるのは、ほのかな温かさとヒョロッとしているように見えて意外と筋肉のある腕の感触。
「大丈夫。心配はいらない」
「はい……ニコラスさん」
シェリルの前では真っ白な騎士服に身を包み、男らしい凛々しさと色気を醸し出すニコラスが朱色に染められたドレスを纏い、以前よりも可愛らしさが増したようにも見えるユーリスを励ましている。人間の花嫁云々と深い事情を知らなければ、ずっと前から愛し合っている恋人のようにしか見えない。
それに比べたら……とシェリルは自分の右手から視線を僅かに上へと移す。
いつものヨレヨレの服ではなく、光の加減で青や紺、黒にも見える光沢のある布で作られた礼服を纏い、銀色に輝く髪を後ろへと撫で付け、いつも以上に美男子度を上げている男、グレンは視線を真っ直ぐ前に向けたまま隠す事もなく不機嫌オーラを放っていた。睨みつけている鋭い目が美しい顔立ちをより引き立てるから始末に悪い。
グレンの不機嫌な原因がこの歓迎会だけではないことにシェリルは気づいている。何故なら控え室にグレンを連れて来たのが父親のセバストではなく、ジェフだったからだ。
控え室にはセバストが先に入って来たのだが、その後にやって来たのは何故かジェフで、ジェフの腕の先にグレンが引っ張られるような形でいたのである。どっからどう見ても嫌々連れてこられたのがわかる。シェリルの口元が引きつったのは仕方あるまい。
そういえばグレンは実家の話をしたがらなかった。というより、良いところのお坊ちゃんか、とシェリルが質問した際には即答で否定していた。ユージスト家は誰に聞いても『良いところの家』に違いないのに。
これは家を継がないことやメルビスの言っていた『呪い』と関係するのだろうか。そう疑問に思ってもシェリルが口を開く空気ではなかった。
「いつもごめんなさいね」とエレシースがジェフに声をかけているところを見るといつもの事らしいのだが、ジェフが部屋を出た瞬間から流れる凍りつくような空気。セバストはニコニコと笑顔をうかべているし、エレシースはもうすぐかしら、と呑気に話しているが、グレンと言葉を交わす様子はない。それどころか目も合わせない。シェリルは居たたまれなさすぎて椅子に座ったまま縮こまる。そして、あいも変わらずエレシースに背筋を伸ばせと注意された。
シェリルの耳に大きな歓声と拍手の音が飛び込んでくる。目の前にいたはずのニコラスとユーリスが光の中へと消え、ついに始まってしまったことをシェリルに知らしめた。
「「……はぁぁ」」
思わず出てしまったため息が誰かとかぶる。それは間違いなく隣からで、グレンへ視線を向けると空色の瞳とかち合った。
グレンとシェリルの意見が一致した瞬間だった。
人間の花嫁になるのも、人間の花嫁を迎えるのも嫌な二人。それなのにこの歓迎会の主役はこの二人で、重いため息を吐くことしかできないというなんとも言えない現状に置かれている。
「やんなっちゃう」
「同感だな」
この城の中、いや、この人魚の世界の中で今一番シェリルの気持ちに近いのは間違いなくグレンだ。迎える側と迎えられる側、立場は正反対なのに同じところに立っていて、同じようにため息を吐く。
「ふふふ……」
突然笑い出したシェリルにグレンが怪訝そうな顔を向ける。しかし、シェリルの笑いは止まらない。
「私、一番あなたを嫌ってた」
口も態度も悪いし、扱いは雑だし、説明一つしてくれないし、放置するし、何より自分の旦那になる人だから。
「でも間違ってた」
嫌でも一応溺れそうなところを助けてくれて、怒られながらも服や食べ物、お金に家まで与えてくれて、何より人間の花嫁扱いをしなかった。
家との確執とか呪いとかはよくわからないけれど、グレンは他の人魚族とはちょっと違う気がする。シェリルが嫌ってるのは人間を子供を産む道具としか見ていない人魚で、グレンはどちらかと言えば同じく被害者のようなものなのかもしれない。ただ研究だけしてればよかったのに、魔力量が多いせいで花嫁を迎えなければいけなくなっただけ。
シェリルはグレンに反発していたことが馬鹿らしく思えていた。結局、独り相撲をとっていただけだったのだ。
「あなたも同じ被害者のようなものだよね」
「……同じ?」
「あっ、同じにされたくないか。あなたは私のこと嫌いでしょ?」
なんたってグレンにとってシェリルは迷惑でしかない人間の花嫁だ。
別に嫌いだと言われても傷つくことはない、とシェリルは何の気なしに吐いたのだが、グレンは意味がわからないと言いたげな表情で首を小さく傾げ、シェリルに思いもしない言葉を返してきた。
「俺は別にお前を嫌ってない」
「うぇえ!?」
「人間の花嫁をもらう気がなかっただけだ。お前のことは嫌いでも好きでもない」
「…………ぷっ、ふはははっ!」
シェリルは堪えきれず吹き出すと腹を抱えて笑い始めた。周りに立つ騎士達はシェリル達に早く行けと言うことも、黙れと言うこともできず困った表情を浮かべている。それを素早く悟ったグレンは再びため息を落とすと、シェリルが掴んでいる方の腕を軽く前へと出した。
「よくわからんが行くぞ。こんなもの、ちゃっちゃと終わらせて研究の続きをしなくては」
「此の期に及んで研究!? あなた本当に研究馬鹿ね」
「うるさい。ジェフが研究の途中だというのにここまで引っ張り出してきたんだ」
「今日は歓迎会があるって知らなかったの? ていうか、私が連れさられた事すら気づいてなかったでしょう?」
「んなもん知るかっ!」
「なっ! やっぱりあんた最低男だ」
グレンとシェリルの言い合いは大歓声の中も続いていた。
研究以外に関心を示すことがなく、社交の場では常に無表情のグレンが隣に立つ人間の花嫁と幾多もの言葉を交わしている。もちろん二人の側に立つ騎士やニコラスとユーリスには二人が口喧嘩をしているのだとわかるのだが、離れた所から見ている者達には歓声のせいもあり内容がわからない。よって、誰もがシェリルの事を、あの気難しいグレンの心を開いた娘、と解釈した。
それが己を追い詰めるきっかけになると、この時シェリルは知る由もなかった。