なめられるな
どんな世界でも見た目というものは重要視される。動物の世界然り、人間の世界然り、そして人魚の世界もまた然り。
外見よりも内面の方が大切だ、と尤もらしいことを言う人もいるが、第一印象は見た目で決まると言っていいし、印象が悪い人に近づきたいとはまず思うまい。そういう意味でも見た目を飾り付けることが悪いとは言わない。言わない、のだが……
「背筋が曲がっているわよ、みっともない。昨日教えたでしょう。しゃんとしなさいな」
「は、はい……」
「まあまあ、エレシース。彼女も緊張しているんだからもう少し優しくしてあげたらどうだい?」
「いいえ、旦那様。これは大事な事なのです。わかっていますよね、シェリルさん?」
「……はい」
シェリルはエレシースの鋭い眼差しに怯えながら懸命に背筋を伸ばす。エレシースの隣を歩くセバストからは応援とも同情とも言えない目を向けられるが、シェリルに応える余裕などはない。
履きなれない高い靴と身体を締め付けるコルセットは筋肉痛で苦しむシェリルの体力と精神力を否応なしに削っていく。丹念に磨かれた黒い髪は複雑に結われていて、見る分にはうっとりする出来栄えだが、された本人からしてみれば、引っ張られていて痛いし痒いしで文句の言葉しか生まれてこない。
空を連想させる鮮やかな青色のドレスを見に纏い、化粧を施され、ネックレスをつけた己の姿を見て、その変わりように驚きはしたが、正直こんなに大変な思いをするならもうしたくないと思うシェリルだった。
「ちょっとグレンを探してくるから、二人はこの部屋で待っていてくれ」
「わかりましたわ」
エレシースの返事を受け、優しげな笑みを浮かべたセバストは二人を残し部屋を出て行く。人間の世界にあるシェリルの家よりも広いだろうこの部屋は、人間の花嫁を貰い受ける家族に用意された控え室。見たこともない高級そうな家具がいくつも置かれているここは王宮の一室であり、これから始まるのは『人間の花嫁を歓迎する会』という名のお披露目式である。
ユージスト家にシェリルが連れてこられて二日目の昨日は、初日よりもみっちりしごかれた。立ち振る舞いや笑顔の作り方、話し方などを復習し、更にはダンスまで教えられた。なんでも、最初の一曲目は人間の花嫁のカップル二組が踊らなくてはいけないらしい。
もちろんただの小さい村出身でしかないシェリルが踊れるはずもなく、練習相手を務めてくれる従者の足を何度も踏んでは謝るの繰り返しであった。まぁいいだろう、とお許しが出たのはすでに夜で、メルビスから聞かされた『グレンの呪い』について尋ねようと考えていたことも忘れ、シェリルは泥のように眠った。
そして、朝早くに叩き起こされたシェリルは至る所を洗われ、磨かれ、補正され……気が遠のきそうになるのをエレシースの喝で呼び戻されるという地獄を乗り越え今に至っている。
そういえば、あの夜からメルビスの姿を見ることがなかったのだが、ユージスト家の人間として出席しないのだろうか。メルビスは「己の嫁になりたいと言え」と言ってきていたが、厳しい指導についていくのに必死で考えている暇もなく、有耶無耶なままここまで来てしまった。
シェリルはどちらを選べばいいのかわからない。グレンの事もメルビスの事も知っていることが少なすぎるのだ。ただ正直なところ、グレンを良い人とは思えないが、メルビスの言動を見る限り、彼も良い人そうには思えない。どちらかと言うと、メルビスからは人間の花嫁を利用したい感がありありと見てとれてグレンよりも面倒な相手に思えた。
「何を考えているのかしら?」
「っ!? も、申し訳ございません。少し考え事を……」
メルビスのことについて考えを巡らせていたシェリルはエレシースの声で我に返った。素早く頭を下げたシェリルが顔を上げると、そこには今までの厳しい表情とは違い、少し困ったように眉を下げたエレシースがいた。
「貴女、本当に大丈夫かしら」
「え?」
「なめられないように、と何度も言ったはずよ」
「はい……」
シェリルはこの二日間でエレシースに「みっともないことはやめなさい」「なめられないように」「しゃんとしなさい」と口酸っぱく言われてきた。そりゃあもう夢にまで出てくるほどにだ。
それは五柱という高い地位を受け持つユージスト家に恥をかかせるな、という意味だとシェリルは捉えている。二日しかないというのにマナーや立ち振る舞い、ダンスに至るまで手を抜く事なく叩き込まれたのはそのためだろう。
「ユージスト家の皆様に恥をかかせぬよう頑張ります」
シェリルのちっぽけな決意表明を受けたからといってエレシースが安心できるはずもないのだが、これ以外シェリルは言葉を見つけることができなかった。
しかし、案の定と言うべきか、シェリルの言葉を受けたエレシースは大きな溜息を吐きだした。反射的にシェリルの肩が小さく揺れる。
「貴女、何を勘違いしているの?」
エレシースの落ち着いた声は呆れた眼差しと合わさり、冷たさが増したように感じた。一体何が勘違いなのか、とシェリルは考え、ある結論にたどり着く。
つまり、貴女をユージスト家の一員とは認めていない、という事だ。花嫁になるのを嫌がっていたくせに、いつの間にか『嫁ぐ=家族の一員』となっていたことに気づいたシェリルは、己の愚かさ加減に呆れてしまった。
「あ、あの、申し訳あーー」
「もちろん我が家に恥をかかせないのは大前提よ。だけど、わたくしが言ってるのは、人間としてなめられるなってことよ」
「へ? 人間として?」
自分が考えていた事とは全く違う内容にシェリルが言葉を無くしている間も、エレシースは手に持つ扇子を強く握りしめシェリルに熱く語る。
「魔力量の大きさで相手を評価する人魚族にとって人間は虫けらのような価値でしかないのよ。人間の花嫁をもらうことは名誉あること、みたいに言っているけれど、子供を産んでくれさえすればいいと見下してるわ。彼らにとっては所詮お飾りでしかないのよ。馬鹿にしてると思わない?」
「は、はあ……」
「人魚の中には馬鹿にしてくる人がたくさんいるわ。もちろん、有難い存在だと好意的に見てくださる人もいるけれど、近づいてくるのは嫌な奴ばかり。だからなめられないようにって言っているのよ。人間だからって言いなりにはならないってことを知らしめてきなさい」
エレシースの剣幕に若干怯えていたシェリルもエレシースの言っている事に共感し、最後には大きく頷いていた。
まさにエレシースの言う通りなのだ。人間を騙して攫ってくるのも、勝手に花嫁にしているのも、人魚族の勝手で、人間を馬鹿にしているとしか言いようがない。
シェリルのことなど子供を産んでくれる者、くらいにしか思っていないだろう。国王や王妃の言葉からも簡単に想像できる。メルビスだって箔をつけたい、くらいにしか思っていないはずだ。
シェリルはシェリルだ。人間の花嫁などではなく、感情があり、人生がある、ただの人間なのだ。それなのに道具のように扱われる、それがたまらなく嫌だった。
そう考えると、グレンはシェリルを人間の花嫁として扱わないだけマシかもしれない。人間、いや生き物としても扱われていない気もするが。
それにしても、エレシースの言葉は意外であった。厳しい表情や言葉から、ただシェリルの事を嫌っているだけかと思っていたのだ。しかし、実際は一番シェリルの事を考えてくれていた。人魚の世界で生きているとは思えないほど、シェリルの気持ちを理解してくれている。
そう思った瞬間、ふっと気がついた。
「もしかして……エレシース様って人間、ですか?」
「ええ、そうよ。私は貴女の一つ前の人間の花嫁」
「ふぇえ!?」
てことは四十年前だから……六十歳近く!?
何という若々しさ!
「貴女、余計な事考えてるわね」
「ひぃ!」
こうしてシェリルは厳しくも優しい味方(?)を見つけ出したのであった。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。