銀色にはご注意ください
毛並みの揃った絨毯に一目で高価だとわかる細部まで装飾がこだわられた家具、ふわふわで座り心地抜群のソファ。一つ一つがとても洗練されていて、シェリルは落ち着くことができずにいた。
不思議な馬車に乗せられシェリルが連れてこられたのは、大きな門を抜け、敷地内とは思えないほど長い道の先にある石造りの立派な屋敷だった。その大きさはシェリルのよく知る家が何個も入りそうなほどで、一度中に入れば迷子になるだろうことは容易に想像できる。
奥へ奥へと案内されながら、ふっと窓の外に視線を移せば、鮮やかな花々で彩られたこれまた大きく立派な庭が目に飛び込んできた。グレンの生家とされるユージスト家は大層裕福に違いなく、シェリルは自分の置かれている状況に目眩がした。
通された部屋のソファで縮こまっていたシェリルの耳に部屋のドアをノックする音が飛び込んでくる。緊張のあまり声を出せなかったシェリルなど御構いなしにドアがゆっくりと開き、男女二人組が部屋へと入ってきた。
「よく来てくれたね」
体に響いてくるような甘く優しい声で話しかけてきたのは長い銀髪を後ろで結った色気たっぷりの男性だった。彼の腕に手を添えて立っている緩いウェーブのかかった茶髪に同じ色の瞳を持つ少し冷たい印象を与える美しい顔立ちの女性は、シェリルをじっと見つめるだけで一言も発してこない。
高級品だろうことが一目でわかる布で仕立てられた服を着こなす二人は、使用人などではなく間違いなくこの家の関係者だろう。シェリルは一先ず頭を下げ、敬意を示しておく。
「そんなにかしこまらなくていいよ、シェリルさん。何たって私は君のお義父さんになるのだから」
「っ!」
驚きのあまりガバッと顔を上げたシェリルに、男はそれはそれは甘い笑顔を向ける。シェリルは信じられない想いで目の前の人物を見つめていた。
「私はグレンの父でセバスト・ユージストだ。彼女は私の妻のエレシース。私達は君を歓迎するよ」
グレンの瞳よりも濃く、深い湖の底の様な青を宿す瞳をふわりと細めたセバストは、よく見ればグレンにそっくりだ。グレンの笑顔を見たことがないのではっきりとは言えないが、凛々しいと表現するよりは美しいという言葉の方がしっくりとくる整った顔立ちは親子と言われると納得してしまう。
あんなに大きな子供がいるとは思えない程若々しいが、グレンの親ということは彼らも人魚。寿命が人間よりも長いというし、老けるのが遅いのかもしれない。
それにしても……とシェリルはセバストの隣に立つエレシースを盗み見る。歓迎していると言うわりに、エレシースは一切表情を崩さない。それどころか遠慮なくシェリルを観察しているようだ。鋭い視線が上から下まで刺さり、シェリルを居た堪れない気分にさせる。全く歓迎されている気がしない。
案の定、エレシースから感情の読めない冷たい声がかけられた。
「初めて会うのだから自分の名前と挨拶くらいできないのかしら。そんな事もわからなければ、やっていけないわよ」
「し、失礼いたしました。シェリルと申します。ど、どうぞ、よろしくお願いいたします」
身体をかっちり九十度に折ったシェリルの頭上に重々しいため息が落とされる。
たしかに今の挨拶はいただけなかっただろう。平民の間ならば、新人の挨拶程度に受け止められたかもしれないが、相手は人間世界で言うところの貴族と変わらないのだから、品格もマナーもなっていないシェリルの挨拶に呆れて当然である。
「元気があっていいじゃないか」
愉快だと言わんばかりに、はははっと笑うセバストをエレシースは一瞥し、頬に手を添えて何かを考え始めた。シェリルは思わず、ごくりと喉を鳴らす。
「旦那様。彼女のことはわたくしに任せて頂けません?」
「そうかい? エレシースがそう言うのなら好きにして構わないよ。頼んでいいかい?」
「ええ、もちろんです」
「じゃあ頼んだよ。私は仕事に戻るけど頑張ってね、シェリルさん」
パチリとウインクをして部屋を後にするセバストに一瞬唖然とするも、シェリルは慌てて頭を下げた。
あれはなんなんだ、とシェリルは心の中で叫ぶ。男性のウインクする姿など初めて見たが、普通ならば引くだろうその仕草が様になっていた。バクバクと心臓が嫌な音をたてるのは何故なのか。冷汗までかいてきた。
「勘違いしないようにね」
エレシースの言葉を受け、シェリルは困惑した表情のまま顔を上げる。『勘違い』とはどういうことか、と考えて、エレシースが妻として釘を刺してきているのだと気付いたシェリルは大きく首を振った。
「勘違いなど絶対にしません!」
あんなに動悸が早くなったのは、セバストの魅力にやられたからじゃない。もちろんウインクという気障ったらしい仕草も様になりかっこよかったが、それよりも仮にも娘になる女にあんな事をするセバストが得体の知れないものにしか思えないのだ。
はっきりとはわからない。しかし、本能がそう言っている。セバストには関わらない方がいいと。
「……それならいいけれど。では早速だけど、貴女にはマナーの講義を受けてもらうわ」
「マナー、ですか?」
「ええ。二日しか時間がないから付け焼き刃になるけれど、やらないよりはマシでしょう」
「……二日?」
エレシースの言っている言葉が何一つ理解できずシェリルは首を傾げる。二日後に何があるというのか。しかし、その疑問はすぐに解消された。
「二日後に人間の花嫁の歓迎会が城で開かれるわ。そこで貴女は正式にグレンの花嫁として紹介される。多くの方達がやってくるから、ユージスト家の恥にならない程度にはマナーを身につけてもらわないと」
衝撃的な内容にシェリルは呆然としていた。この前の王族との謁見でさえ緊張のあまりほとんど覚えていないのに、今度は大勢の前に出ろと言うのだ。もちろん主役であるシェリルに拒否権などないだろう。
シェリルが言葉を失っている事に気付いているのかいないのか、エレシースは反応のないシェリルなどお構いなしに早速講師の先生を部屋に呼び入れた。
その後は地獄だった。立ち姿や歩き方から始まり、話し方や笑顔の作り方など到底マナーとは思えないことばかりだったが、先生曰くマナー云々の前に直すべきところがありすぎるのだそうだ。
元々小さな村出身のシェリルは普通の平民よりも貧しい生活をしてきたのだから仕方がないのだけど、そんな言い訳を聞き入れてくれる様子はない。結局、食事の時間すらマナーを叩き込まれ、終わったのはどっぷりと陽が落ちた夜だった。
「ぐわぁああ……死ぬ。本当に死んじゃう」
今日はこの屋敷に泊まれとあてがわれた部屋のベッドに飛び込んだシェリルは、慣れない体勢を続けたせいで凝り固まった身体をバキバキと鳴らす。
「生贄が花嫁で、マナー講習? 展開が怒涛過ぎてついてけない」
口では愚痴を吐いていても、結局反発もせず流されるまま過ごしているシェリルは我慢強いのか楽観的なのか。いや、選択肢がないだけだ。
生贄になる事も魔力量が皆無という理由で逃れられなかったし、人間の花嫁になったのだって地上に帰る術がないからである。知らない世界で生き抜くにはグレンしか頼る相手がいないわけで、そうなればグレンの親の言いつけを守るしかない。
決して楽をしているわけではない……と思いたい。
「はぁ……これからどうなっちゃうんだろう。てか、あいつは私がいなくなっても会いに来たりしないのか! 勝手に花嫁にされても健気に頑張る花嫁を労いに……来るわけないなぁ。いや、ほんと、なんで私の夫になるのがあんな最低男なんだ」
「なら、俺を選ばない?」
一人のはずの部屋で突然言葉が返ってくる。だらんとベットに仰向けで寝転がっていたシェリルは驚きのあまりビクンッと打ち上げられた魚のように跳ね上がった。
「くくくっ……驚かせてごめん。一応声はかけたんだけど」
シェリルが慌てて声のするドアの方へと視線を走らせれば、口元に手を当て笑いを堪えようとして失敗している男が立っていた。
「なっ!? あなた、いったいここで何を」
「ん? それはもちろん貴女に会いたくて、ですよ?」
そう言って切れ長の茶色の瞳を細めた男は、色気たっぷりの妖艶な笑みを浮かべる。そんな男を見て、シェリルは気づかれないように小さく息を吐いた。
最近は容姿の優れた者たちばかりに会っているシェリルだが、その中でも格段に注意しなければいけないのは銀色を纏う者だと思っている。何故なら毎回厄介ごとに巻き込まれるからだ。
「……嫌な予感しかしない」
何故なら目の前の男もまた銀色を纏っているからである。