価値観の違い
グレンの家に帰ってきたシェリルは己の手に乗っている代物に目を白黒させていた。赤紫色をした拳程の大きさはある石。宝石のように輝きを放っているわけではないが、鮮やかな色が美しく、綺麗に加工すれば装飾品などにしても十分見劣りはしないだろう。
それに、何よりこの大きさである。シェリルは小さな村出身であり、裕福な暮らしをしていたわけではないので使ったことがないが、父親の仕事の関係で何度も見たことがあった。
「こんな大きな魔法石は見たことない。それに……」
魔力量の少ない者が魔道具を使う際に魔力の補助として使用する魔法石は、とても価値の高い石である。限られた場所からしか採掘できず、その場所も基本的に危険な上に採掘できる量も少ないからだ。そのため、魔法石を使うのは王族や貴族、商人などお金持ちだけである。
「こんなにたくさんなんて……ありえない」
魔法石を持っていない手に握られているしっかりとした生地でできた袋をシェリルは落としてはならないと強く握りしめた。袋の中には大きな魔法石がこれでもかというほど入っているのである。
そんなシェリルにとっては目眩がしそうな程高価な代物をぽいっと投げてよこしたのは、腕を前で組み、呆れた表情を浮かべているグレンだ。
シェリルがジェフから貰ったお菓子を堪能している間、例の如くジェフの雷が落ちたらしい。ブツブツと文句を言いながらだったが、グレンはシェリルを連れて帰って来た。
「お前、いちいち大袈裟だな」
「だって人間の世界ではすっごく高価なものなのよ」
「こっちではそうでもない。湾の底にはゴロゴロとたくさん転がってるぞ」
「……ゴロゴロ」
小さく呟いたシェリルを見つめ、グレンはぐっと眉間にしわを寄せる。何かを探るようなグレンの視線に気づいたシェリルは、誤魔化すように魔法石をグレンの横にある穴に入れた。
「ここに入れたら火と水が使えるのね」
「……そうだ。そこを捻ると火が、あっちは回すと水が出てくる。これでお前でも一人で過ごせるだろう」
今、二人がいるのは家の台所である。グレンの説明のまま試してみると、本当に火と水が出てきた。村では火はいちいち起こさないといけないし、水も井戸から汲んでこなければならなかった。そう考えるとなんと便利なことか。シェリルは嬉しさのあまり目を輝かせ「これ凄いっ! 」とグレンへ振り返る。シェリルの眩しい視線を一身に受けたグレンはとても嫌そうな顔をした。
「だからいちいち大袈裟なんだ」
「でも、魔法石なんて高価な物使った事ないし。というか私、なんで魔法石使えるんだろう?」
魔法石は使用者が魔力を流すことで、その魔力を増幅してくれのだ。シェリルは魔力が皆無であるため流し込むほどの魔力などない。
しかし、その疑問は簡単に解決した。
「魔法石に俺の魔力を流し込んであるからだ。元から魔力が籠っていれば、魔道具に入れた瞬間から使える。魔道具にとって魔力は原動力だが、魔力を使いながら動くのは意外と疲れる。だから魔法石に予め魔力を込めておくのが一般的だ」
「なるほど」
「その大きさなら二週間は保つだろう」
「二週間!?」
たったそれだけ! とシェリルは驚いてしまう。これほどの大きさの魔法石ならば、人間世界では一つ買うのにどれくらいかかるだろうか。たふんそのお金でシェリルは二年は普通に暮らせるだろう。
「……恐ろしい」
価値観の違いとは本当に恐ろしい。グレン達、人魚族にとって魔法石はそこらへんにゴロゴロと転がっていて簡単に手に入るものなのだ。だから平然としていられる。
しかし、シェリルは人間の世界から来たのだ。こんな高価なものをポンッと投げ渡し、使うことに戸惑いのカケラもないとは、正直信じられない。
いや、これが普通なのだと受け入れなくてはやっていけない。グレンの言うように、いちいち大袈裟な程に驚いていたら身が持たなそうである。
「よし、これで俺のすることは終わりだな。俺は二階の奥の部屋にいるが、決して入ってくるな」
やることはやったとばかりに踵を返し去っていくグレンをシェリルは慌てて引き止めた。いきなり袖を引っ張られたからか、グレンが若干体勢を崩す。
「今度はなんだ」
「いえ、ご飯は?」
「買った材料があるだろう」
「じゃなくて、食べないんですか?」
グレンの目が大きく見開かれる。ここにはない澄んだ空の色をした瞳に映り込んだシェリルは、不安そうに瞳を揺らしていた。
シェリルの表情にグレンは一瞬言葉を詰まらせたが、一度だけ首を横に振り「いらん」という言葉を残して部屋へと向かっていった。
残されたシェリルはグレンの姿が見えなくなると長く細く息を吐き出す。そして思いきり息を吸い込み、ごくんと飲み込んだ。こみ上がってきそうなものも全て押し流すように。
「うん、大丈夫」
シェリルは自分自身に言い聞かせる。
一人なんてもう慣れっこだ。一人分の食事だって、簡単なものでいいから作るのが楽だと思っている。
ここ数日、少し他者と関わっただけ。酷い扱いの後に優しくされただけ。
第一グレンに対する印象は最悪だ。今も何も変わらない。ただたくさん話してくれたのは、グレンの好きな魔道具の話だっただけにすぎない。
握りしめていた袋の中を覗き込む。軽く揺らせば、なかなかの重量感と石のぶつかる音がした。
「大事に使うよ」
例えアクリムニアではそこまで貴重なものではなくても、シェリルにとってはとても高価で価値があり、なにより大切にしなければならないものだ。
「よし! それじゃ、ご飯を食べてしまおう!」
美味しいものを食べれば元気になれる。美味しそうな匂いにつられてグレンがやって来てもあげないんだから! とシェリルは鼻歌を歌いながらご飯支度をし、晩御飯を済ませ、シャワーを使うか迷ったものの、魔法石に深々と頭を下げつつ使わせてもらった。
体がすっきりすれば心も軽くなる。明日は家の大掃除だ、と意気込んでベッドに入れば、疲れていたせいもあり、すぐに夢の世界へと誘われた。
そして朝、待てど暮らせどグレンが起きてくる気配がない。朝食も済んでしまった。そこでシェリルはある考えにたどり着く。
「まさか、もういない!?」
駆け上がるように階段を上がり、奥の部屋のドアを勢いよくノックする。何度も何度もノックする。ドアに耳を当ててみても、中で人が動く気配はなかった。
「やっぱりー!」
昨日のグレンの言葉を思い出す。
『これでお前でも一人で過ごせるだろう』
グレンはジェフの説教に懲りることもなく、花嫁を放っぽり出し、意気揚々と研究所に向かったのだろう。筋金入りの研究馬鹿である。
さすがのシェリルも呆れて怒りの感情すら湧いてこなかった。
まぁしょうがない。今日は大掃除だし、と開き直ったシェリルの耳に玄関の方から扉を叩く音が聞こえてきた。
もしかしたらジェフが今日も様子を見に来たのか、と玄関へ急いで向かうシェリルは、扉の先にいる人物の言葉に固まった。
「おはようございます! ユージスト家からお迎えに参りました!」
ユージスト? どこかで聞いたような……とシェリルはここ数日の記憶から答えを探し始める。そして、思い出した。
一度しか聞いていないというのに、とても緊張していてあの時の事はほとんど覚えていないのに、それでも一つだけはっきりと覚えている国王の言葉。
『グレン・ユージスト』
ハッとシェリルは思考の波から戻ってくると、ゆっくり扉に近づく。
嫌な予感しかなかった。いや、生贄にされた時からいいことなどなかったのだが。
「まさかのあの人の実家……」
そっと扉に手を添えて、まるでスローモーションのようにゆっくりと扉を開けていく。扉の隙間から現れたのは、満面の笑みをたたえた男であった。
「おはようございます。シェリル様でいらっしゃいますね?」
仕立ての良い服を着ているということはグレンはかなり良いところのお坊っちゃんということか、とシェリルは考えつつ、男を上から下まで観察する。男はシェリルの不躾な視線など気にもせず、門の前に止まっているこれまた立派な馬車(といっても、やはり馬はいない)にシェリルを誘導しようとする。
「あ、あの……私、何も聞いていないのですが」
知らない人に着いて行くな、と今は亡き父からよく言われていた。子供の頃の話だけれど。
怪しい人かなんてシェリルには判断できない。困惑するシェリルを他所に、男はさぁさぁと笑顔で急かしてくる。
「ご心配はいりません。人間の花嫁を害そうとすれば国が動くということは人魚族の誰もが知っていることですから。グレン様のご両親がシェリル様にお会いしたいとおっしゃっております。さぁ、参りましょう」
こうしてささやかな抵抗も虚しく、シェリルはユージスト家へと連れていかれたのであった。