生き物と魔力と皮肉な運命
ーー遥かむかし、まだ人魚が魔力を持たぬ頃、人魚は他の魚と同じような姿で水の中を泳ぎ回っていた。しかし、ある日突然世界に魔力というものが生まれ、生態系が一気に変わる。
今まで知能の高さで生き物の頂点に立っていた人間はその魔力でより発展したが、魔力量だけで言えば人間よりも、四足歩行から二足歩行に進化した獣人の方が魔力量は高く、水中で生きていた魚の中で上半身が人間のような姿に進化した人魚の方が魔力も知力も高まった。
知力を持った人魚は人間のように国を作ろうと陸地を目指した。しかし、それは無理であった。何故なら陸の上は空中に漂う魔力量が少なすぎたのだ。
魔力が世界に誕生してから、魔力を宿す生き物は呼吸する際に水中または空気中に漂う目に見えることのない魔力を取り込む必要があった。しかし、水中と空気中の魔力量には大きな差があり、結局人魚は水の外での生活を諦め、水中に人魚の国を作らざるおえなかった。
「そして、その当時一番の魔力保持者であったオーウェンの作った国がアクリムニアである、か」
手元の本から目を離したシェリルは、ぐっと両手を上げて身体を伸ばし、ふぅと息を吐くとともに肩から力を抜いた。読んだページにスピンを挟み込み本を閉じれば、表紙に書かれた『アクリムニアの歴史』という題名が目に飛び込んでくる。
今まで手にしたことのないほど分厚い本。シェリルの暇な時間の相手をしてくれたこの本を渡してきたのは、何を隠そうあのグレンである。
買い物をして研究所に帰った後、もう用は済んだから帰れとばかりに再び研究に没頭しようとしたグレンをシェリルは慌てて引き止めた。なんせシェリルはこの後何をすればいいのかわからなかったのである。
家に帰ったところで魔力皆無のシェリルには到底掃除も食事もできないし、やる事さえない。旦那様になるはず(?)のグレンは花嫁に興味ゼロで待っていてもろくな事にはならないとこの二日間という短い時間ではっきり理解した。
だから言ったのだ。
『この国のことを教えて』と。
グレンの事を教えて、と言わなかったのは、絶対に教えてくれなさそうだからだけでなく、あまり興味がなかったからでもある。何故なら、見た目はいいとしても、責任感はないし、だらしはないし、口は悪いし、優しさのかけらもないし、デリカシーもない。働き者と言えば聞こえはいいが、仕事にしか興味がない。こんな男に好感を持てる者がいるならば目の前まで連れてきてほしいくらいだ。
案の定、シェリルの言葉を聞いたグレンは面倒くさそうに大きなため息を吐きながら何かを思案していた。そして、何かを思い出したのかおもむろに部屋の中に積まさっている本やら書類を物色し始めたのだ。
バラバラと物が落ちていくがグレンに気にした様子はなく、見兼ねたシェリルが後を追うように崩れた山を直していく。グレンの後をシェリルが追う、その光景は異様であっただろう。
そしてグレンが見つけ出したのがこの本である。何でも人間の花嫁をもらう者が必ず受け取る王家からの品物らしい。
「アクリムニアについてはここに書かれているから読んどけ」
そう言って渡された本をその場でパラパラとめくったシェリルはすぐに気がついた。グレンの部屋にある本や書類の字は全く読めない。きっと人魚族のつかう文字なのだ。しかし、渡された本の字は人間の国の物でシェリルも読める。
つまり、この本は人間に読ませるために書かれたものなのだ。混乱する人間の花嫁のために用意されたもの。
「それじゃあ、その本持ってさっさと出て行ってくれ」
机の上にある資料に視線を落としながらのたまったグレンにシェリルが苛立ちのあまり飛びかかろうとする。感情が高ぶると頭よりも身体が先に動くのはシェリルの悪い癖だ。
だが、シェリルが踏み込もうとした瞬間、タイミングを見計らったようにジェフが顔を出した。
「お菓子があるんだけど、シェリルさん食べない?」
そう言いながら見せてくれたお菓子は買い物をしている時にシェリルが食べてみたいと思ったもので、グレンへの怒りも忘れ、シェリルは一瞬でお菓子につられた。
「わぁ! いいんですか!」
「もちろん! ここじゃなんだし休憩室で食べようか」
「はい!」
そうしてジェフに誘導されるままシェリルは研究所にある休憩室に行き、ジェフの入れてくれた紅茶と共にお菓子に舌鼓を打ったのである。お菓子は大変美味しかった。甘いお菓子などシェリルには高級品なので、一つ一つ大切にいただいた。
ジェフは後でまた来るからゆっくりしてて〜と言いながら休憩室を出て行ったので、残されたシェリルは暇なので本を開いた。そして今に至るのだ。
「水の中に国を作るために大きな結界を張れちゃうオーウェンって人は凄いけど、そこまでして魔力のないものと区別したのに、魔力量の高い人魚は魔力皆無の人間がいなきゃ子孫を作れないなんて……皮肉ね」
人間も人魚も変わらない。自分を正当化するために他者より優位にいたいと考える。
何故人魚は国を作ったのか。今までの自分達のような魔力のない魚と区別したかったからか。自分達よりも魔力の劣る人間ができて、自分達ができないはずはないと思ったのか。
人魚族を守るため。それも考えの一つにあったかもしれない。だが、人間を魔法で助け、騙してまで子孫繁栄のために人間の花嫁をもらう。人間としては、いや、生贄にされた身としてはーー
「馬鹿にしてる」
人の人生を何だと思っているのか。シェリルは決して人間の世界に未練があるわけではない。両親はすでに他界しているし、魔力皆無のせいで嫁にもらってくれる人もおらず、小さな村では目の上のたんこぶのような存在だった。
だからといって勝手に人の将来を、人生を決められてもいいとは思っていない。
恋に夢見て何が悪い。好きな人と結婚したいというささやかな夢を持っていて何が悪い。
まさか人間でもない、ましてや花嫁の存在を疎ましく思っている者に嫁ぐなんて、誰が想像していたか。
「……私が何したっていうのよ」
消え入りそうな声でつむがれた言葉は、誰に拾われる事もなく床へとこぼれ落ち粉々に砕け散った。