生贄にされました
不定期更新になると思いますが、よろしければお読みいただけると嬉しいです。
湿気を多く含んだ空気、今にも雨が降り出しそうな真っ暗な空、目の前に広がるのは波もなく、いっそ不気味にすら見えてくる静かな湾。
何故私がこんな目に合わなければいけないのか。
シェリルは自分をここまで連れてきた連中を威嚇するように睨みつける。しかし、そんなことをしても何も変わらない事はわかっていた。自分の未来に待っているのはーー死のみである。
シェリアは長い黒髪に紫の瞳を持ち、はっきりとした顔立ちの何処にでもいるごく普通の女だった。少し変わり者の母親と仕事に生き甲斐を感じているような働き者の父親を持ち、ハキハキとした性格で、器量もよく、働き者。住んでいる村は小さかったが、別に不便を感じたこともない。シェリルの難点を挙げるとすれば、魔力がほぼ皆無といったところだろうか。
この世界に住む者には少なからず魔力が身体に宿っている。魔力量が多ければ魔法を使える幅が増え、良い仕事につきやすく、魔道具などにより生活が便利になる。逆に、魔力量が少なければ何をするんでも自力で頑張るしかないのだ。魔道具を使う補助として魔法石も存在するが、高価なため一般庶民には手が出せない代物である。
魔力量は遺伝するため、地位が高い者(主に王族や貴族)は魔力量の多い子が産まれやすい。そして、平民は少ないのが普通なのだ。
そんな平民の中でもシェリルの魔力量は底辺レベル。普段の生活でも魔法など使えない。別段不便ではないが、魔力量の少ない女を嫁に貰ってくれる者はおらず、結婚適齢期の十九歳になっても相手が現れそうな兆しはない。
それに加え、母親を五歳の頃に病で亡くし、二年前には仕事中の事故で父親を亡くし、一人となったシェリルは村の中で浮いた存在になっていた。
そんなシェリルのところに数日前、役人がやって来た。名前を確認するや否や「来いっ! 」と腕を引っ張られ、馬車に詰め込まれる。何が何だかわからないシェリルは村人達に助けを求めたが、皆顔を背け見ないふり。暴れて逃げようとすれば、力づくで押さえつけられた。
そして、無情にも走り出した馬車の中でシェリルは受け入れがたい言葉を耳にする。
「お前は生贄に選ばれた」
その言葉はシェリルを絶望の淵へと簡単に追いやった。
この世界にはウンディー湾、別名『神の住む湾』という場所がある。遥か昔、天災で苦しんでいた人々を救ってくれた神が住んでいるという湾。お伽話のようだが、実際にこの世界は何度もその神に助けられてきたーー生贄をお供えする代わりに、だ。
生贄は四十年に一度、魔力が限りなく少ない者を二人、供えなくてはいけない。性別は生贄を供える年に神からお触れがあるのだそうだ。基本、結婚できるくらいの年齢の者で、生贄を出す国は順番で決まっている。今回はシェリルの住む国だったということだろう。
生贄を出した家族また村、町にはお金が入るとか。村に売られたんだと、この時シェリルは理解した。
「おい! 進め!」
シェリルの両手を拘束しているロープを掴んだ男が、なかなか歩かないシェリルに向かって怒鳴る。儀式を見届けに来た王族や貴族を待たせる訳にはいかないからだろう。
そう考えただけでも腹が立つ。
自分が何をしたというのか。
生贄となり死ななくてはいけないほどの事をしたとでもいうのか。
悔しさから目に涙が溜まってくる。ウンディー湾に近づいていけば見えてくる小さな舟。あれに乗せられ沖に出されるのかと思うと足が竦み、しかし、そんなことを構ってくれない男は無理やりロープを引っ張っていく。
「乗れ!」
言葉とは裏腹に、勝手にシェリルを持ち上げた男は、乱暴にシェリルを舟に乗せた。ぶつけた足が痛くて、思わず屈み込んだ瞬間、舟が揺れる。ハッと顔を上げれば、舟はすでに陸から離れていた。
「そんな! 嫌っ、生贄なんて嫌よ!」
シェリルの悲痛な声に反応する者は何処にもいない。彼らにとって生贄は、世界に安定をもたらすためには必要なもの。そして、魔力量の高い彼らには縁の無いものなのだ。
舟は漕ぎ手がいないにも関わらず、ゆっくりと沖へ進んでいく。絶望に打ちひしがれたシェリルは力なく座り込んだ。そんなシェリルの耳に可愛らしい声が届く。
「あの。貴女は、泳げますか?」
驚いて顔を上げたシェリルの視界に飛び込んできたのは、癖の強い亜麻色の髪に大きくてクリッとした桃色の瞳を持った可愛らしい女性。
「あ、貴女は?」
「私はユーリス。生贄よ」
ニコッと笑ったユーリスを見て、一瞬ここは喫茶店かなんかだったかと錯覚する。それほどの可憐な笑顔だった。
しかし、忘れてはいけない。ここは舟の上で、彼女は生贄だと言ったではないか。先ほどは自分の事に精一杯で気づかなかったが、生贄は二人なのだから、もう一人いてもおかしくはない。
「それで、貴女は泳げる? 私、泳げないのよ」
そして、よくわからない質問を繰り返すユーリス。そののんびりとした空気にシェリルは飲み込まれた。
「泳げるけど……って、あなた泳いで陸に戻る気だったの!?」
「あっ、そんなこと考えてなかった。ただ、水の上にいるんだから泳げた方が安心かなって」
「安心って……そういう問題? あなた天然なの?」
「みんなよくそう言うけど、私は普通だと思うよ?」
それは天然の人がよく言うセリフだ。シェリルは命の危険と隣り合わせの状態で、訳のわからない話をしていることが可笑しくて小さく噴き出し、そのまま笑いは大きくなっていく。
「あはははーー、あなた面白い。最後があなたと一緒で良かったかも。最後に笑えるなんて思わなかったわ」
「よくわからないけど、そう言ってもらえて良かった」
「私はシェリル。あなたと同じ生贄よ」
「よろしくね、シェリル」
よろしくと言われても、この後会える訳がないのに。やっぱりおかしな子だわ。
シェリルは笑いながらも差し出されたユーリスの手を握りしめた。
その時、突然舟が大きく揺れる。二人が大きくバランスを崩した瞬間、舟は大きな水柱に飲み込まれた。その水の勢いに負けないようにシェリルはユーリスの手を強く握るが、抵抗も虚しく二人の手は離れ、水の中へと引きづり込まれていった。
水をたくさん飲んでしまったシェリルは苦しさのあまりもがく。上も下もわからない状態で、どんどん視界が霞んでいくのを感じ、自分は死ぬのだと悟った。
もう意識が保てない、そう思った時、シェリルは朧げな視界の中で不思議なものを見る。
ーー水の中を優雅に泳ぎながら近づいてくる銀色の髪の人間。しかし、その足は人間のものではなく魚のヒレという、初めて見る不可思議で美しい姿だった。