「名探偵、猫ニャー。」
朝から
人だかりがしていた。
建設途中の
新築マンションで
人が死んだのだ。
パトカーが何台も停まり
救急車も来ていた。
現場の仮囲いから
僅かに見える人だかりは
どうやら一階の
エントランスホールに
集中している様だった。
「では、貴方が朝来た時に
発見したんですね?」
薄手のしわしわコートの
年配の刑事が
現場監督風の男に
話し掛けた。
この時期、朝は、
なかなか冷え込む。
「はい。現場のゲートが
開いていたので変だなと
思ったら、山田工業さんの
トラックが
停まってたんです。
で、朝早くから、
ご苦労さんだな、
そう思って車を停めて、
建物に入ったら…。」
現場監督風の男は
青ざめてそう答えた。
自分の現場で
人が死んだのだ。
工事は何日か
ストップするだろう。
監督からすれば、これから
警察は元より、
労働基準監督署の査察、
遺族への対応、工程の調整
大変な事ばかりだ。
「で、この人は
その山田工業さんの?」
「職人さんの
鈴木進一さんです。」
現場は4階建の
分譲マンション。
短い工期の中、連日沢山の
職人が入り、
工期に間に合わせる様に、
懸命に働いている。
既に4階まで出来上がり、
今は内装工事が
佳境のようだった。
「貴方は何時頃に現場を
出たんですか?」
「夜9時近かったと
思います。
私用があって、職人さんが
帰る前に先に帰らせて
もらったんです。」
死亡事故の被害者は
脚立から
転落した様だったが、
作業場所、つまり脚立の
位置から随分と、
離れた場所に
仰向けで倒れていた。
後頭部を
床のコンクリートに
強打したのだろうが、
脚立の直下で無いのが
気になるし、
第一、被害者の遺体には、
ある特別な事情が有った。
社会の窓から局部が
露出していたのである。
山田工業は溶接業を営み、
この現場では一階の
エントランスホールの
天井の下地の鉄骨工事も
請け負っていた。
従業員の鈴木進一は
昨夜、残業した、なぜなら
翌日、つまり今日から
エントランスホールの
天井工事が
始まるからである。
天井下地の鉄骨工事が
終わっていなければ
今日から天井を組む事が
出来ない。
スラブ、
つまり二階の床下に
アンカーボルトを
コンクリートドリルで
打ち込み、
アンカーボルトに
L型アングルを取り付け、
更にそれに
C型鋼を溶接して
それが天井パネルの
下地となる。
天井は二階の床下に
いっぱいで
彼は脚立の天端に立って
作業していたと思われる。
常に上向き作業の為に、
ヘルメットは邪魔で、
しかも
現場監督が先に帰った事で
気が緩んだのか、
ノーヘルで
作業していた様だった。
脚立の足許には溶接用
ホルダーが落ちていた。
何かの弾みで体勢を崩して
脚立から
転落したのだろうか。
それにしては
彼の倒れている場所は
随分と
脚立から離れている。
そしてなぜか
社会の窓から局部が…。
「警部。」
若い刑事が年配の刑事に
話掛ける、
「なんだ?」
今日は現場が休工となり、
作業中止になった為、
職人達は殆どが帰った。
…ただ一人を除いて。
「先程から、
此方をチラチラと
様子を窺っている様な
男がいます。」
「名前を聞いとけ。
害者の状況からして
只の事故では
無いかも知れん。」
「はっ。」
「鑑識は?まだか?」
「えー、、、もう直ぐ
到着する筈です。」
直ぐに…鑑識が到着した。
もしかしたら
事件性が有る、
と云う話からか
慎重に床の上を
チェックする。
遺体の位置をチョークで
マーキングし脚立の位置も
更には被害者の物と
思われる
床に転がった
スマホの位置を。
カメラのフラッシュが
物々しい…。
「何か解りましたか?
警部?」
「…解らん。」
若い刑事に話掛けられた
年配の刑事はふと、
「さっきの男は
まだ居るのか?」
「はい、一応、
名前を聞いて、
現場の休憩所に
待機させてますが?
かなり変わった
名字でした。」
「呼んでくれ。」
「はっ。」
若い刑事に案内されて
男が立ち入り禁止の
テープを
さも邪魔臭そうに避けて
入って来る。
年配の刑事が、
その男に聞く、、、
「貴方はこの男性を
知っていますね?」
「うん。
山田工業の鈴木さん。
知ってるよ?」
男は遺体を見ながら、
少しだけ眉を顰めた。
「貴方は昨日は何時頃、
ここを出ましたか?」
「俺も残業したからなー、
監督さんと同じ頃、
9時前かなー。」
目の前に
自分と面識の有る
知人の遺体が
有ると云うのに動じない。
…変わった男だ。
重要参考人だな…。
「貴方が帰る時の状況を
教えて下さい。」
「え?俺が帰る時は
もう誰も居なくて、
4階から降りてきたらさ、
まだ山田工業さんが
仕事してたから
びっくりしたんだ。
脚立の天端に乗って、
スラブ下で溶接して、
なんか大変だな、
熱そうだなって思ってさ、
お先にって声掛けて、
現場事務所に
行ったんだお。」
「その時、
何か変わった事は?」
「別に?」
「貴方、
職人さんですよね?
この状況を見て、
どんな風に思いますか?」
年配の刑事の問い掛けに、
その男はゆっくりと
辺りを見回した。
「大体解るよ。」
「えっ?
ちょ、ちょっと、お話を
聞かせてもらっても
いいですか?」
年配の刑事はびっくりして
そう言う。
「いいけどー、
お腹ついたな。
今日も寝坊気味で
朝飯食ってないんだ。」
「なら、向かいの牛丼屋に
行きましょう、
どうか詳しく
お聞かせ願いたい、
捜査に協力して下さい。」
「いいよ?牛丼は
ギガ盛りにちてね?」
「おい、お前、
現場を頼んだぞ?
俺は今からこの人の話を
聞いて来るから!」
「警部、私が行きます、
まだ新人の私が残っても
何か有った時、
困りますから。」
「それもそうだ…。
なら、お前、
この人と行って来い。
しっかり話を
聞いて来るんだ。」
「はい!」
「あ、因みに牛丼代は
その人の分しか
出ないからな?
お前がもし食うなら、
もちろん自腹だ、
…いいな?」
(せこー。)と、思いながら
若い刑事は、
その男と連れ起って
現場を出た。
道向かいに
牛丼のチェーン店が有る。
その男と若い刑事は
店に入った。
朝飯のラッシュが過ぎ、
店内は空いていた。
「ギガ盛りで?」
「うん。」
若い刑事は
バイトの兄ちゃんに
ギガ盛りと
大盛りを注文する。
「あ、卵付けてね?」
「…で、早速ですが。
お話、聞かせて下さい。
只の事故とは思えない、
遺体は社会の窓から
局部が、…事件の可能性が
有ります。」
「事件じゃ無いね、
事故だよ。」
男はそう言いながら
ギガ盛りを
店員から受け取る。
…牛丼屋は仕事が早い。
「え?どうして、
そう言い切れるんです?」
割り箸を男に渡しながら
若い刑事は聞く。
勿論、ボイスレコーダーを
ONした。
「鈴木さんはね、
脚立に乗って、
上向きで溶接してたんだ。
もう少し高い脚立なら
良かったんだ。
あの脚立じゃ高い場所の
仕事は天端に乗っても更に
上向き作業になる。
ま、ある意味
仕方が無いんだけどね。」
牛丼を掻き込みながら
男が言う。
「…ある意味、
仕方が無いとは?」
「現場は事故防止の為に
高い脚立は
持ち込み禁止なんだ。
あの脚立は6尺、つまり
高さ1800ミリ。一階の
エントランスホールで
二階の床下までってゆーと
少し高さが足りない。
多分、鈴木さんは脚立の
天端に立って、
手を伸ばしての
上向き作業になる。」
「そこまでは、僕と警部も
推理しました。」
「問題は、鈴木さんが
上向き溶接をしていた、
これなんだ。」
男は口いっぱいに牛丼を
ほうばると口を
モグモグさせて
暫く黙り込む。
そして作業服の袖で
口を拭く。
袖口が黄色く、
…卵色になった。
若い刑事がナプキンを渡す
「上向き溶接が??」
「うん。
君は溶接の経験なんて
無いよね?あれね、
…要するに
鉄と鉄を熱で溶かして
くっつける訳だから、
溶接時に発生するスパッタ
つまり火の粉はね、すげぇ
高温で暑いんだお?」
「何となく解ります。
大体、何度ぐらい
有るんでしょうか?」
「知らんわ、そんなん。
でも馴れた職人なら
いざ知らず、例えば君なら
あぢーあぢーって
大騒ぎかな?笑」
そう言いながら男は笑い、
コップの水を
一気に飲み干した。
この細い体のどこに
ギガ盛りの牛丼は
吸収されるのだろうか。
…早食い過ぎる。
(よく噛んでね?)
心配しながら若い刑事は、
「溶接の火の粉が熱いのは
よく解りました。
で、貴方の推理は??」
男は更に
牛丼を掻き込みながら、
「溶接時にね、
…んっ、けほっ、
…あ、あんまり
溶け込ませ過ぎると
鉄が溶け過ぎて、
小さな玉に
なって落下する。
これは火の粉なんか
問題じゃないくらい熱い。
鈴木さんは上向き溶接中に
その溶接の玉が首から
入ったんだと思う。
鈴木さんの作業服、
少し首が広かっただろ?」
そう言えば被害者の服は
職人がよく着ている
ハイネックシャツでは
無かったな、と、
若い刑事は思った。
「首から入った溶接の玉の
熱さに、慌てて脚立から
降りたんだ、きっとね。」
「成程、で、熱い熱いと
歩き回る?」
「うん。溶接の火傷で
一番多いのは指先さ。
思わず指をくわえて
ちゅうちゅう吸うよ。笑」
「え?」
「鈴木さんの首から
入った溶接の玉はね、
ズボンのベルトでは
止まらずに
パンツの中まで進入した。
運の悪い事にね。笑」
「え?どうゆう事?」
「首から入った溶接の玉は
普通はベルトで止まる。
ベルトがお腹を
締め付けてるからね。
俺なんか、お腹、
火傷だらけだよ?見る?」
そう言いながら
男が立ち上がりズボンの
ベルトを緩め出すのを
制して、、、
「あ、いや、成程…、
するとパンツの中まで
進入した溶接の玉は…。」
「そう、ちんちんを
…火傷させる。」
「成程!!!
だから社会の窓から
ちんち、…局部がっ!!」
「うん。笑笑」
男はにっこり微笑む。
「でも、何故、後頭部を
強打したんでしょうか?」
「そこだよ、明智君。」
(は?明智じゃねーし!
名探偵にでも
なったつもりだな?笑)
「名探偵さん、謎解きを
お願い致します。笑」
若い刑事は
男に合わせてやった。
「多分、だよ?
ここからは完全に
俺の予想だからね?」
そう言いながら
男はタバコを取り出す、
「店内禁煙、
…みたいっすよ?」
「ちっ。まあ仕方がねーか
でね、
鈴木さんは、きっと、
あまりの熱さに、
ちんちんを
しゃぶろうとしたんだ、
指先を
火傷した時の様に。」
「…えっ?!」
「マジで。
パニクった時は人間、
何をし出すか解らない。」
「マジで?」
「…俺も…、
経験有るから解る。」
男は遠い目をした。
(え?
ちんちん火傷の経験が?
それとも、しゃぶろうと
した経験が?)
若い刑事の疑問顔に
気付かずに男は続ける、
「でも、前屈みになって
しゃぶろうとするけど
届かん、そこで鈴木さんは
…考えた、スマホで
えちな画像を見て、
少し大きくすれば
届くんじゃないかと。」
「それで
スマホが落ちてたんだ!
でも、大きくしたら
それだけ火傷の傷口も
拡がって、余計に
痛いんじゃ?」
「でも、
そうするしか無かった。
やむにやまれぬ気持ち、
…解らんでも無い。」
そう言って
男は目をつぶる。
何かを思い出すかの様に。
「届いたんですかね?」
「届かなかったと思う。
必死になって前屈みに、
何回かトライした、
…その時!!」
「その時?!」
「勢い余って、空中前転、
つまり宙返りして
後頭部を強打したんだ。」
「………………………。」
「仲間内では、これを
しゃぶろうとして宙返り、
…と、呼ぶ。」
(仲間内って????
しゃぶろうとして宙返り、
…どっかで聞いた様な??)
暫く、ちんちんが続いた、
いや、
沈黙が続いた…。
後日、
鑑識から上がった報告は
正にあの男の
言った通りだった。
被害者の首筋から
下腹部まで
赤い火傷の筋がうっすらと
その筋は局部の先端まで
達していた。
溶接時の大きなスパッタが
通った跡だと思われる。
被害者のパンツの中からは
幾つかの鉄粉が
発見された。
更には被害者のスマホには
いわゆるエロ画像が…、
これはロックの解除に多少
手間が掛かったらしい。
そして被害者の頭部付近の
床に、強く蹴りあげた様な
足跡…、
これは被害者の靴跡と
一致した。
事件は
事故として処理された。
何日か後で、
若い刑事はその男の自宅へ
向かった。
極々、僅かでは有るが
捜査に協力してくれた
報奨金を手渡して
お礼を直接、
言いたかったからで有る。
男は単車で
出掛ける寸前だった。
「こんにちは、
先日はどうも。笑」
「ああ、
あん時の刑事さんか。」
ヘルメットを取りながら
男が答える。
「お陰様で一件落着です。
御協力を、ありがとう
ございました。」
「そーか、…良かった。」
報奨金を手渡しながら、
若い刑事が、
「あの事故で、前に見た
漫画を
思い出しましたよ。」
「へー?どんな?」
「あんまり
関係無いんですがね
男性二人の探検隊が
ジャングルに行くんですよ
でね、隊長がね、
局部を毒蛇に噛まれる、
立ちションの時に。」
「そりゃ大変だ、笑」
「でね、隊長が、
もう一人の男に、頼むから
毒を吸い出してくれと。」
「…無理。」
「ええ、笑。そこで場面が
切り替わって、
隊員が隊長の葬儀の
遺影の前で
深々と頭を下げている、
とゆー、、、笑」
「笑、成程。
でも、俺が書くなら、
もう、一捻りするな。」
「え?どんな??」
「隊員は、隊長の局部に
吸い付いて毒を吐き出す。
それが切っ掛けとなり、
…場面変わって、二人は
渋谷区で同性婚挙式。」
「成程ー!!!BL好きの
女性に受けそうな?!
さすがっ!!!笑」
「名探偵、猫ニャーと
呼びたまえ。」
そう言いながら、
男は単車に跨がる。
…しかしkeyを
忘れたのだろうか、
再び玄関に引っ込む。
ドカン!!!
おうふっ!!!!
(上がり框に躓いたな?
迷探偵だわ。笑)
若い刑事はくすりと笑う。
…その男の名は猫ニャー。
それ以上でも
それ以外でも無い。