9.仁義なき親子戦争
「ふああ~~」
「若い娘がそのように大口あけて欠伸をしてはいけないわ」
「ん? 口あける?」
「欠伸を、人前で、しては、いけないと、言っているの!!」
「あくび、だめ、分かった」
「……」
胡散臭い占い師が来た日の夜、私と義母は居間でシン・ユーの帰宅を待っていた。私の養子縁組の話をする為だとか。
シン・ユーの帰宅は日付も変わるような時間帯で、義母よりしてはいけないと言われた欠伸を噛み殺すのに必死になっていた。何故ならば、現在の時刻がいつもだったら既に眠っている時間だからだ。
色々な意味合いでのご主人様の帰りをじっと待っている間、何だか市場に売られていく家畜のような気分になってしまった。このザン家での暮らしも後少しかと思うと、これまでの異国生活の記憶が走馬灯のように蘇ってくる。
貧乏貴族の自分には驚きしか無い日常だった。生活習慣、食文化、信仰、産業など祖国とは全く異なる歴史は摩訶不思議であり、理解不能でもあり、また、素晴らしくもあった。
大華輪国の言葉や文化をリー・リンから竹の棒で脅されつつ、必死になって頭の中に詰め込む毎日ではあったが、労働の必要性の無く、食事の心配をしなくても良いというのは心の安息となっていた。
ザン家での暮らしは今までの人生の贅沢な休日というか、ご褒美だったのかもしれない。
使用人が淹れてくれた癖のある薄緑色の茶を飲みながら、そんな風に考える。
しかしながらこのような時間帯にお茶を飲んでも大丈夫なのだろうかと疑問に思う。お茶の葉には興奮・利尿作用があると言われているからだ。多分ガブガブ飲めば今夜は眠れなくなるだろう。
義母にそのことを伝えれば、お茶には心を落ち着かせる作用があるという、胡散臭い詐欺師から聞いた為になるご回答を頂いた。先生、根拠の無い話を本当にありがとうございます。
机の上にはスープを飲むような大きな深形のお皿も何故か置かれていた。中にはお茶がなみなみと注がれている。聞けば、これはシン・ユーの分で、詐欺師大先生から購入をした心と体の具合を良くするお茶らしい。なんというか、怪しいお茶も売っているなんてなんて手広い商売をしているのかと深く感心してしまう。
「このお茶、全部シン・ユー?」
「ええそうよ。これだけ飲めば体の調子も良くなる筈だわ」
「……」
なんだかんだ言って、義母もシン・ユーのことが心配なのだろう。二人共もう少し素直になって接し合えばいいのだが、色々拗らせていて今更という感じなのだろうか。
まあ、このお茶をシン・ユーが素直に飲んだとしても、やってくるのは心と体の不調を治す絶対的な効果ではなく、眠れぬ夜と抑えきれぬ尿意が襲ってくるだけだと思うのだが、真面目に突っ込みを入れたほうが良いのか悩み所だ。
ほどなくしてシン・ユーが帰宅をしてきた。
揃って居間で【待て!】をしていた私たちを訝しげに睨み、仕事を終えて尚解れなかった眉間の皺を更に深くしながらシン・ユーは長椅子に腰掛ける。
「何用だ。こんな夜更けに」
「あら、良い話なのに」
深夜のシン・ユーは殊更不機嫌だった。仕事で疲れて帰ってきて、お風呂も食事も選べなくて、義母と私の一択だったのが不満だったのか。良い話と聞いたのに眉一つ動かさないで事の次第に耳を傾けていた。
「この子をね、養子に出そうと思っているの」
「なんだと?」
「シートゥー・ムー先生がね、是非とも引き取りたいって。婚姻も破棄して欲しいと言われているのよ」
「――!! 馬鹿なことを」
だんだん部屋の雰囲気が険悪に染まっていく。居心地悪さを感じていた私は、うっかりシン・ユー用の心と体を落ち着かせる素晴らしいお茶に口を付けてしまった。
心と体は――落ち着かない。詐欺茶なので当たり前だ。
「ねえ、あなたも望まない結婚だったから良い話だと思うの」
「一度決めた婚姻を簡単に反故に出来るものか!!」
「婚姻関係の解消なんて書類一枚で済むものじゃない。それともリェン・ファのことが案外気に入っているのかしら?」
「何を寝ぼけたことを言っている!?」
「……寝ぼけた事、ですって? 私はあなたのことを思って助言しているのに!!」
目の前で舌戦を繰り広げる二人の言語はだんだんと早口になっていくので、会話の内容を聞き取れなくなってしまった。今更ながらリー・リンに同席して貰えば良かったと後悔する。
……会話の内容が分からなくても、私に関することで揉めていることには間違いないが。
「華族の婚姻は国王の許可を貰って行うということを知らないと言うのか!?」
「それ位知っているわよ!! 趣味が合わなかったから離縁したって言えばいいじゃない!! どうせ陛下には毎日会っているのでしょう!?」
「離婚はこの家の品位を下げる行為に繋がることも理解していないみたいだな。――だから、何も知らない成金商家出身だと陰口を叩かれるんだ!!」
「な、なんですって!?」
やめて~~、私の為に喧嘩はやめて~~!!
勿論、今の二人の間に割って入る勇気は無いので、心の中で喧嘩を制止する呼びかけをしている。
ザン家の仲良し親子は、またしても意見の衝突をしていた。
「――ッ!! もう、知らない!!」
「……」
シン・ユーが止めの一言を言ったのか、義母は涙を浮かべて部屋から走り去ってしまった。一体彼は何を言ったのか。少しだけ気になったのでシン・ユーの表情を見てみれば、末恐ろしい表情で机に上の養子縁組書を睨みつけていた。
――私もお義母様と一緒に勢いに乗ってこの部屋から去れば良かった。
最早殺気しか放っていないシン・ユーを前に、咄嗟の判断が出来ない自分を、のろまだと心の中で罵る。
シン・ユーに、何と話しかけていいのか。そんな風に考えているうちに、養子縁組書は破って破棄されていた。
詐欺師の家に引き取られなくて良かった、ありがとうと言うべきなのか。
だが、シン・ユーは恐らくザン家の体面を重んじて、私との婚姻関係を続けると判断をしたのだろう。
貴族の当主の結婚とはその人の人生を左右するとも言われる程に重要なことで、気が変わったからと言って簡単に解消される訳ではない。大華輪国とハイデアデルン国、華族と貴族、国や呼び方は違ってもその辺の常識は一緒だと思っている。
詐欺茶の効果なのか、怒りに満ちたシン・ユーを前に、先ほどから胸がドクドクと高鳴っている。決して目の前の怒りの化身様にビビッている訳ではない。本当だ。
あと、お茶のもう一つの効能が私に襲い掛かっていた。
早く、ここから、出て行かねばならぬ。
こんな用件を言うのは恥ずかしいことなのだが、生理現象なので許して貰おう。
「シンユウ」
「……なんだ?」
「お花、摘みに、行く」
「は?」
「お花、摘み」
「こんな時間にどこに行くのだ?」
「……」
――そうだ、ここは、異国だった。
自分の国でお花摘みに行くというのは、言い難い行為を暈して使う言葉だったが、大華輪国では通じないようでがっくりと肩を落とす。
「花ならその辺に生けてあるだろう」
「チ、チガウ」
「何が違う?」
「……」
いやいや、シン・ユーと噛み合わない軽快な会話を楽しんでいる場合では無いから。
私は追及を止めないシン・ユーを無視して立ち上がる。
「ごめん。行く、すぐに」
「!?」
意を決し、部屋から駆け出そうとしたが、寸前でシン・ユーに腕を取られてしまう。さすが武官様と言うべきか、咄嗟の行動が素早い。
「!!」
「まさかあの占い師の家に行こうとしているのか!?」
違う、違う!! あんな胡散臭いおっさんの所へなんか行くものか!! 行きたいのはあなたのお家のちょっとした個室ですから!!
「シンユウ、離す!!」
「訳の分からんことをするな!!」
「チガウーチガウー!! いますぐ離すーー!!」
私とシン・ユーはその後偶然廊下を通ったリー・リンの突っ込みが入るまで、このような愉快な会話を五分間ほど続けていた。
――詐欺茶の興奮作用と利尿作用は凄い。これだけは自信を持って言えよう。