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没落令嬢の異国結婚録  作者: 江本マシメサ
一章【星を胸に旅立つ少女】
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7.病弱な夫

「奥様、どれを召し上がりになりますか?」


 ラン・フォン様と二人きりの気まずい食卓を囲むのは何度目だろうか。相変わらず十人以上が余裕で使えそうな机の上には隙間なく料理が並べられていた。これが二人分の食事だということをいまだに驚いていたりする。


「奥様? 如何なさいましたか?」

「!!」


 給仕担当のおっさん使用人に顔を覗き込まれて我に返る。

 使用人の方々の言う奥様とは私の事なのだ。


「な、なんでも、ない」

「左様でしたか」


 変な噂が広まらないうちにシン・ユーが先に入籍だけ済ませているので、私は間違いなく奥様なのだが、呼ばれる度にラン・フォン様の事かと思ったり、聞き逃したりして、反応が遅れる事が多い。


「どれを召し上がりになりますか?」

「……籠の中の丸、白いの」

小籠包(シァオロンパオ)ですね?」

「……しゃお、うん、それ」


 大華輪国語には現代語と古代語があり、日常で使う割合は半々といった所だろうか。同じ言葉でも発音の違いがあり、個人的には現代語の方が言いやすいような気がする。

 例えば、使用人が蒸篭セイロから小皿に移してくれている小籠包シァオロンパオは古代語の発音になる。現代語だと小籠包ショウロンポウとなるのだが、圧倒的に現代語で発音する方が簡単なのだ。

 残念な事に人の名前は全て古代語から付けるようで、もれなく全員の発音が難しいという異国人泣かせの決まりがある。


「三つでよろしかったでしょうか?」

「うん。ありがと」


 小皿には人差し指と親指をくっ付けた位の小さな小籠包が三つ並べられ、杯には花の香りのする甘くないお茶が注がれた。

 皿の前には陶器で出来たレンゲと呼ばれる花びらに似た形の匙と、箸という竹を削って作った二本で一対の食べ物を挟みとって用いる道具が置かれる。レンゲと箸は魚を模した陶器の焼き物の上に先端を載せており、食卓に直置きにならない工夫が施されている。

 自分の国では布の上に食器を置く習慣があるので、初めに見た時は驚いた。

 食卓の上を美しく見せる大華輪国の素晴らしい文化の一つと言えるだろう。この箸置きには様々な種類があり、今ではどのような形状のものが出てくるのか楽しみにしている。


「奥様?」

「!!」


 再び使用人からのこちらを不審がる突っ込みが入ってしまった。

 今は箸置きの素晴らしさに感動をする時間ではなく、食事をしなければならない時だ。

 準備された箸を右手に、レンゲを左手に握り締め、小籠包と対峙する。


 リー・リンから教えてもらったのだが、この国では息を吹きかけて食事を冷ます行為はしないらしい。息を吹くというのは仙術師の【魂を入れる】、また、【魔術を使う】印とされており、食べ物には行わないとのこと。


 目の前に置かれた小籠包シァオロンパオは、薄い皮の中に練ったひき肉と細かく刻んだ野菜を混ぜた具と共に熱々のスープが包まれた食べ物だ。私は初めてこれを食べた時に、中のスープの存在を知らず、口の中を大火傷してしまった。

 次こそは失敗しないぞ、と望んだ二回目にフーフー禁止令を聞いてしまったので、またしても火傷を負ってしまう事となる。

 三度目の今日こそは、と気合を込めて一つ目の小籠包をレンゲの上に箸で転がして乗せた。


 ちなみに箸使いも慣れておらず、苦戦する毎日を送っている。どうすれば片手ですっと物が掴めるのか、その秘技の習得にはまだ至っていない。


 掴んでいた箸に力を入れ、食事に取り掛かる。


 小籠包には正しい食べ方というのが存在する。

 まず小籠包をレンゲの上に乗せ、箸で突いて中のスープを出す。次にスープを啜り、お好みで薬味などを入れて食べるという順序を守れば火傷もしないのだ。


 そろそろ冷めた頃だと思い、レンゲの上にある小籠包を箸で突く。中からじわりと出てきたのは鳥を煮込んで作った半透明のスープだ。考え事をしていたのでかなり時間は経っている筈だが、出てきた汁からは白い湯気が上がっている。フーフーしたい気分を抑え、じっと冷めるのを待つ。


 ――と、こんな感じで小籠包シァオロンパオを食べるのは大変なのだ。


 だが、それを乗り越えて尚、食べたいと思う魅力的な食べ物でもある。


 ◇◇◇


 屋敷の住人が寝静まった深夜、廊下から誰かが咳き込む音が聞こえて目を覚ます。

 一体誰が、と気になって部屋から出てみれば、使用人だろうか、蹲って咳き込んでいるので、思わず駆け寄ってしまった。


「だ、大丈夫? 苦し?」


 灯りを持ってなかったので、相手の状態がよく確認出来なかったが、激しい咳き込みは治まりそうにない。

 咳き込む青年の肩に触れ、人を呼んでくると言おうとした時に、硬く結われている三つ編みが手の甲に当たった。


「――シンユウ?」


 廊下で咳き込んでいたのはシン・ユーだった。


 私は慌ててお義母ラン・フォン様の部屋へ走り、状況を伝える。


「……もう、なによ」


 真夜中に叩き起こされたお義母ラン・フォン様は不機嫌の権化となっていた。


「シンユウが、シンユウが!!」

「シン・ユーがどうしたの?」

「来て!!」

「……」


 説明している時間が惜しいと思い、お義母ラン・フォン様の手を引いて、シン・ユーの居る場所へと連れて行く。


 シン・ユーはまだ同じ位置に蹲り、咳き込んでいた。

 お義母ラン・フォン様にどうすればいいと聞いたが、想定外の答えが帰って来たのである。


「ああ、これはいつもの発作よ。ほっといたら治るわ」

「え? ごめん、もう一回」

「問題ないの。大丈夫よ」


 苦しそうに咳き込む息子を前にお義母ラン・フォン様は平然としていた。


「シンユウ、大丈夫?」

「ええ。この子は小さい頃から体が弱くってね。王都の空気が悪いものだから、日によってはこうやって咳き込んでしまうみたい」


 よく聞き取れなかったが、薬などで治る症状ではないらしい。こんなに苦しそうにしているのに、何も出来ないとは。

 少しでも落ち着けるようにと背中を摩ってはいるが、あまり意味はないのかもしれない。


「リェン・ファ。ほっといても大丈夫だからもう寝なさい」

「先生、診た?」

「ええ。占術の先生は問題ないと言っているわ」

「……」


 またしてもよく聞き取れなかったが、病院の先生が大丈夫というのなら素人の私が心配することではないのだろう。しかしながら、この咳の仕方は肺を患っていた母親ものと似ているので気になってしまう。


「この子は休みの日はほとんど具合が悪いって寝込んでいるし、そんな感じで本当に武官をやれているのかしらね」

「!?」


 シン・ユーが休日にほとんど姿を現さないのは、自室で臥せっていたからなのか。

 一人で趣味を楽しんでいるものと思い込んでいたので、申し訳無く思った。


 お義母ラン・フォン様の愚痴を聞いているうちに、シン・ユーの咳も治まる。


「シンユウ」

「……」


 何か必要なものはあるかと聞こうとしたが、支えていた手を迷惑だと言わんばかりに押し返されてしまった。


「放っておきなさい」

「でも」


 シン・ユーは私とお義母ラン・フォン様を一瞥すると、何も言わずに去っていってしまった。


 翌日リー・リンに話を聞いてみれば、大華輪国の王都、千華では布の染色が盛んに行われており、毎日のように水を炊いて布に色を染める作業が大々的に行われているという。

 職人の手で作られた美しい布は外国に輸出され、大華輪国の経済を支えるものとなっているが、染色をする際に出る煙が王都に住む人々の健康の害になることもあり、シン・ユーの咳の原因も染色の際に出る煙によるものだとか。


「咳、治らない?」

「そうですね。田舎の空気の良い所に移り住めば多少はマシになるでしょうが」

「……」


 王都での派手な暮らしを好むお義母ラン・フォン様に、王様に仕えることを誇りとするシン・ユーの二人が田舎暮らしを選ぶとはとても思えなかった。


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